私は数年前に、ある病にかかりました。それは生命の危機というものではないのですが、生活に影響を及ぼす治療法のない不治の病です。
大病院の先生が、年に一人か二人程度と言われた、そんな珍しい病気でもあります。
発病当時は、目の前が真っ暗になり、将来に怯え、その結果として不安神経症に陥りました。
不安は突然に押し寄せてきて、仕事をしている時や買い物に出かけた時など、状況にはお構いなしに不安が押し寄せてきて、立っていることさえ難しいような、そんな状態に陥りました。
このままではいけないと思い、種村様の指導の元で不安神経症を克服し、さらに自分を内側から見つめ直すべく自分なりに頑張ってきたつもりです。
それは、自分の病気は自分の歪んだ心の影響であり、その歪んだ心を直すことが出来れば病気も治る可能性があるのではという、色心不二の思いもありました。
そんな最近の出来事ですが、休み明けの日に、急に朝から不安に襲われました。
ふとしたきっかけで、病気に対する不安が次から次へと押し寄せて来ました。
比較的生活も落ち着いて、自分なりの趣味も初めており、最近は、発病当時のような急激な不安に襲われることがなかったので、私自身驚きました。
確かにその不安は、病名を知って不安神経症になった時とよく似ている感情だなと思いました。
ならばと、その不安を見つめて味わってみることにしました。
この言いようのない不安は、何がきっかけで出てきたのだろうかと感じてみると――、
休みの日に何もしないで遊んでいたこと、生活が落ち着いたので病気のことを忘れて日々の対処療法を怠っていたことが原因ではないか、
このままでは、今は落ち着いている病気も進行して、やがて生命に影響を及ぼすのではないか、
――そんな気持ちから出ているのだろうなと感じました。
そういうことを考えながら会社に到着して、会社で他の人を見ていると――、
ふと「不安が来るのは幸せなのかもしれないな」と考えてしました。
仕事でも不安があるから立ち止まって安全確認をします。大丈夫だろうかと心配だから考え直したり、再度確認したりします。
だから不安とは、「大丈夫なのか? もう少し考えてみたらどうだ?」 そんな立ち止まって現状を見つめ直す機会ではないかと考えたのです。
ならば、「不安に感謝しないといけないな」と思いました。
土日にやるべきことをやってないだろうと不安が教えてくれたのならば、改める努力をしないといけないと思います。
どの日の夕方には不安は消えていました。
今後は不安が来たら、その都度、「立ち止まって自分を見つめ直す機会なんだ」と自分に言い聞かせたいと思います。
匿名希望
(解説)
不安神経症とか不安障害と呼ばれているものは、そのままにするとパニックを引き起こしたり、うつの引き金になったりすることがあります。しかし、「不安は何かをおしえてくれるサイン」ととらえ、不安感情を冷静に見つめ、その意味に気づけば、不安が収まります。
<不安とは、「大丈夫なのか? もう少し考えてみたらどうだ?」 そんな立ち止まって現状を見つめ直す機会ではないか>と、そうとらえることで、不安に飲み込まれることなく、冷静に不安を克服できることを、この方は教えてくれています。
<心理カウンセラー種村修(種村トランスパーソナル研究所)>
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