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走るということ

 走ることは、カラダの欲求でもあるが、精神の欲求でもあると感じるようになった。 それは、走るのをやめ、歩くだけにして3か月ほどしてから感じ始めたことだった。 3か月前、1年以上続けてきたランニングをやめたのは、膝に痛みを感じたからだ。 膝が痛むと歩き、しばらくしてまた走る。 そんなうちに、寒さが増し、走るのが億劫で仕方なくなり、歩くだけにしようと思った。 走るのをやめるとほっとした。 ところが2か月もしないうちに、体に少しずつもやもやが溜まってきたように感じだした。 いままで走ることで祓っていた何かが、カラダに滞り溜まっていく感覚なのだ。 これはやばいかもと思いだし、再び走ることにした。 もっとも毎日は続かないので、休みの日だけ走ることにした。 それでも、走るとすっきりする。 汗をかき爽快になるとともに、体も心も軽くなるのがわかる。 途中、神社に参拝したりするので、なおさら軽くなるに違いない。 走っている途中はあの角まで走ろう、あの坂道の上まで走ろうと、心の中で、小さな目標を決めてそこまで走る。 走り切ると、次の目標を描いて、また走る。 その繰り返しは、小さな達成感の連続で、軽く走れる気がして楽しい。 走り終えた達成感と、汗をかいて着替えるときの気持ちのよさは、自分へのご褒美だろう。 走り終えると自分がリセットされて、元に戻る感覚がある。 意欲が出て、前向きになっている。 自分を変えようと努力している自分が、嬉しくもある。 走ると体重が下がることは経験則で知っている。 自分らしくあり続け、いい仕事がいつまでもできるように、走り続けたいと思っている。

体を鍛えることと心を鍛えること

 私は令和3年の2月現在で64歳です。 今年の5月には65歳を迎えます。 加齢とともに、身体の及ぼす心への影響について、実感することが多くなってきました。 一番顕著なのが、朝起きて体が重いときです。 なかなか動く気になれなくて、椅子に座ったまま本を読んだりして時間が過ぎていきます。 読書が進むので悪くはないのですが、カラダは固まっています。 自分の意志が強く働かず、カラダにずるずるひきずられている感が否めません。 そんな時でも、重い気持ちを説得して筋トレに取り組むと、短時間で気分が一新します。 今朝は、腹筋43回、背筋43回、腕立て伏せ43回、3キロのダンベルでの腕のトレーニング左右各43回、スクワット80回、それと真向法にストレッチです。 気分が一新して、自分の主体的な意志で行動を始められます。 なによりもカラダに引きずられる感が消えています。 筋トレは、筋肉を鍛えますが、心の筋肉も同時に鍛えるようです。 意志力が全然違ってくるのを実感しますし、前向きになります。 十年ほど前ですが、なかなか自己変革が進まず、進んだと思っては元に戻ったりを繰り返していました。 それが大きく変わったきっかけは、体質改善に取り組んだことでした。 食事、睡眠、運動を見直し、少しづつ不可逆的に変えていったところ、気持ちも大きく変化しました。 この時はっきりと、心が成長し自分が変わっていっている実感を持ちました。 体を鍛える整えることと、心を鍛え整えることは、一体のことであると思います。