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2月, 2018の投稿を表示しています

溶けた状態とは

自分を見つめるうえで大切なポイントの一つは、心が固まっているか、流動し動いている状態かという見極めです。 心が固まると体も固まってきます。 その結果、動きが鈍くなったり、あるパターンの行動に捉われてそこから変化ができなくなります。 特に心の傷が原因でそうなっている状態は、氷にたとえることができます。 凍ってしまっているわけです。 それが溶け切った状態になったかどうかを見るポイントがあります。 どんな自分でも、それに向き合い、受け止める覚悟を持てるということです。 これができることが、溶け切ることです。 私たちはどちらを選ぶか、選択が迫られる瞬間があります。 自分に目をそむけずにみつめるのか、 自分から目を背けて逃げるのか、 それは自分が選ぶことです。 どちらを選んでも本人のためになります。 しかし、違いはあります。 前者を選んだ方が、早く成長します。 後者を選んだときは、時間をかけて変化することになります。 どちらがいいかは一概には言えません。 前者の方がきつい道、険しい道であることは確かです。 種村修(心理カウンセラー・種村トランスパーソナル研究所所長) <連絡先> 電話  090-8051-8198 (午前 9 時~ 11 時 30 分の間に受けつけます) メール  tanemura1956@gmail.com

歩くということ

自分を変えるために有効なことの一つに、歩くことがあります。 無心にひたすら歩くことに集中して歩くのです。 のんびりした散歩ではあまり意味がなく、一生懸命に歩いている状態を維持することが重要です。 私の場合、目標は 1 時間に 5 キロの距離を歩くことです。 このペースで歩くと、冬の寒さにもかかわらず体が温かくなり発汗します。 時間がない時でも 30 分で 2.5 キロを歩くように努めています。 歩くときは足の裏で道を押す感覚を大切にし、そのたびに脚のうしろの筋が伸びるようにします。 姿勢は頭のてっぺんがピアノ線で真上に引っ張られたようなイメージで、まっすぐにします。 こうすると姿勢がよくなり若々しくなります。 街の雰囲気を感じとりながら、なるべく毎回新しい道を選んで通ります。 通りが一本変わるだけで、新しい体験ができます。 この状態で無心に歩くのは、「動きながらの無」を体験するためです。 そのとき丹田に意識を向けながら歩くことに専念します。 「動きながらの無」の状態のときに、私たちの個性が生き生きと働きます。 それはとても気持ちがいい状態です。 体内の血流もよくなり、気持ちも前向きになり、積極性が出てきます。 こういう状態を毎日経験することは、本当の自分を取り戻すためにとても有効です。 種村修(心理カウンセラー・種村トランスパーソナル研究所所長) <連絡先> 電話  090-8051-8198 (午前 9 時~ 11 時 30 分の間に受けつけます) メール  tanemura1956@gmail.com

今くじける理由に過去を使わない

私たちが成長し続けるには「今くじける理由に過去を使う」ことをやめなければなりません。 たとえば学生の頃に、親の反対で自分の夢がつぶされたり、家の経済的な理由で夢を終えなくなることはあります。 しかし、そのことをいつまでも言い続けて、「だから私は不幸です」「私の夢は実現できません」といい続けるのはおかしいです。 今と過去は違います。 今くじけているのは今の自分であり、変えられない過去を理由に持ち出して今くじけている理由にするのは、大きな間違いです。 私たちが変えることができるのは、常に「今」です。 今くじける理由に過去を持ち出すのは、過去の時点に自分を固定させてしまい成長や変化を止めてしまいます。 だから、「 今くじける理由に過去を使ってはならない 」のです。 そして、「 今を変えない理由に過去を使ってはならない 」のです。 すでに変えられない過去を理由に、今くじけたり、今を変えないというのは、今も固定してしまいます。 つまり自分が固まってしまい、変化も成長もできなくなるのです。 今くじける理由に過去を使わない 今を変えない理由に過去を使わない これは日々成長するために必須のことであると思います。 種村修(心理カウンセラー・種村トランスパーソナル研究所所長) <連絡先> 電話  090-8051-8198 (午前 9 時~ 11 時 30 分の間に受けつけます) メール  tanemura1956@gmail.com

丹田を動かすために②・・・見抜く

私はこんな経験があります。 生鮮食料品を販売していたときです。 隣接の総菜売り場の若い先輩がアドバイスしてくれました。 「今日は厳しいようだね。午後 7 時には半額にしたほうがいいよ。」 私は 7 時半には値下げしたほうがいいと判断していましたが、豊富な先輩の言葉なので、そうかもしれないと思いました。 そこで店長に 7 時には値下げしたいと提案しました。 店長はきっとなった感じで鋭い視線を投げかけ云いました。 「状況を見て、こちらで判断して行う。」 私は午後 7 時までの勤務だったので、よろしくお願いしますと言って引き下がりました。 私は店長の言葉を伝えました。 その先輩はいいました。 「あの人はそういうだろうね。副店長ならきっとこちらの言うとおりにさせてくれたはずだけどね。」 その頃から、頭に鋭い痛みを感じ出しました。 自宅に帰ってからも、頭痛は続いていました。 「どうして頭が痛いのだろう、何が原因でそうなったのだろう」 と丹田に問いかけました。 しばらく考えていると、次のような思いが湧いてきました。 「若い先輩の思いに私は飲み込まれていたのではないか。私は値下げは 7 時半だと考えていたのに、先輩の言葉で 7 時値下げを提案しに行った。もともとの私の判断とは違う思いに動かされたのは、この時点で先輩の思いに飲み込まれてしまっていたからだろう。先輩は店長に対して少し批判的な思いがあるのだろう。自分ももっと早く値下げして売り切りたいのに、店長から時間を遅らせと言われて面白くない気持ちを持っていたのかもしれない。だとしたら、いままでにないきつい目を店長が向けたのは、そこに先輩の念を店長が感じて、それに反応した部分もあるのではないか。私は両者の確執のはざまに落ち込んで、両者の念を受けたのだろう。先輩の念に飲み込まれた私にも責任がある。」 そう自己分析した後に、私に憑いている先輩のエネルギーと店長のエネルギーに対して、「お引き取りください」と心の中で言いました。 すると頭痛は消えました。 これは他人のエネルギーに飲み込まれて影響を受けたことで頭痛が起きたと気づき、その原因を反省して憑いている他人のエネルギーを取り除いた経験です。 頭が痛み出した時点で、丹田は動きにく