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感情の重要性と隠ぺい⑤…丹田の意思に気づく

私たちは、思っていること、分かっていること、つまり意識できていることが自分のすべてであると思いがちです。しかし現実には、分かっていることと分からないことの両方をひっくるめて自分です。 これは顕在意識と潜在意識の両方をひっくるめて自分だという意味です。 私はあの裁判で知人から陳述書を頼まれたとき、もし怒りをもったまま裁判と関わってしまっていたら、関われば関わるほど昔の自分に引き戻されていたと思います。 昔の自分というのは、怒りをもって自分の裁判を戦った時です。この時も顕在意識では冷静に、愛の気持ちでという自戒を己に課していましたが、抑圧していた怒りに気づいてはいませんでした。 私の丹田(本当の自分)は、昔の自分に引き戻されることを嫌がっていました。怒りで昔に引き戻されていくのを嫌がっていたのです。 だから、今回の裁判は、関わり方を昔と同じにしてはいけないというブレーキがかかりました。 丹田の意思は、自分が直接受け取れることもあれば、それができない時、誰かの口を通して意思を伝えてくれることもあります。その時、直観的にこれがそうであると気づけるかどうかが勝敗の分かれ目です。ゆえに心を開いてあらゆる可能性を検討する柔らかい姿勢と謙虚さが常に必要になると思います。 話を戻します。 ブレーキがかかったのに気づいた私は、自分は今試されているのだと気を引き締めました。何を書くかも重要ですが、それだけでなく、それを書くときの自分の心境こそが問われていると感じたからです。 さて、こうした経験は、私の丹田を大きくしてくれたと思います。丹田は経験して大きくなっていきます。 私には小さい時から本に淫するという癖がありました。本にかじりついて、体験を軽んじる傾向があったのです。 もちろん本を読んでもそれをもとに体験をしていけば問題はないのですが、体験することに臆病になったり、おっくうに思って、本ばかりを次々読んで、行動しなくなって満足する傾向があったのです。読めば読むほど知らないことを自覚することが増え、もっと読まなくてはと心が急(せ)き立てられるようでした。そして引きこもっていきました。 しかし知識はいくら重ねても、丹田(つまりは魂)を大きくしてくれません。丹田は、単なる知識は忘れていくよ