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桜の句を詠みました

    今年の春も桜が美しく咲きました。 今年は武漢肺炎の猛威の中で、残念ながら近隣を散歩しながらの花見にとどまりましたが、それでも心が満たされます。 武漢コロナ 寂しき春と なりにけり 人の出がまばらで、花見を楽しむ家族ずれはわずかでした。 そんな中で朝ランニングしていると、走っている人の姿が増えているのに気づきます。 外出自粛要請を受けて、だれもが運動不足になるなか、走ることで解消したい人が少しずつ増えているのだと感じます。 桜花 散りて空気を 春に染め 桜花 風に溶けゆき 春の色 今は 4 月中旬。 桜がどんどん散り始めていますが、散っていく桜の薄いピンクが樹木から消えるぶん、周りの空気が薄いピンク色にそまっていくような感覚を実感しています。 周りの空気が薄い桜色になり、桜が春の空気になっていく。 そんな静かな感動が湧いてきます。 思えばまだ肌寒いころに早咲きの桜が咲きはじめ、満開になる頃にはずっと温かくなり、花散る頃は春爛漫です。 一つの時代が大きく変わり、新しい時代が開けるのも、同じかもしれないと思います。 まず梅の花が咲き、寒さが終わるのもちかいことを知らせます。 やがて桜が咲くと春の到来を告げます。 桜が散る頃にはあちこちが桜の花吹雪で、空気全体が桜花の色に染まっていきます。まるで桜が溶けだして春の空気に変わっていくようです。 私も人生の終盤を過ごしていますが、私の仕事が春の到来を告げる一輪の桜でありたいと願っています。 もしこれも地球の春の到来を告げる活動の一つであれば、やがては桜花があちらにもこちらにも咲きほころようになり、散る頃にはほかの花々が一斉に咲きだして地球の新時代を飾っていくに違いありません。 そんなささやかな願いを持ちつつ、今日も小さな成長を重ねていきたいと思います。

成長を願う思いは実現する

私は不思議だなと感じる体験があります。 自分の心の成長を心の底から願っていた時、それにぴったりの環境が与えられるという経験をしたのです。 40代のころのことです。中年の危機の真っただ中でした。 私は二つの心の成長につながる願いを持っていました。 一つは、責任感のある人間になること。 私には子供がいなかったこともあり、ここ一番のところで責任感が希薄になる瞬間があると感じることがあり、それを変えたいと思いました。 二つ目は財務の目を持つこと。財務や資金繰りはしたことがなく、すごく劣等感がありました。経営の視点を持つために、その方面で磨きたいと思っていました。 しかし、簿記3級をやっと取ったばかりの人間に、そんな機会があるとは考えられませんでした。 ところが心の成長に関わる願いはかなうものだと、しみじみと感じる出来事が起きました。 不良債権を多く抱え、取引銀行が退いていく中で、いつ倒産してもおかしくないような状況下でかろうじて持ちこたえていた企業から、財務の責任者の誘いがあったのです。 なぜ素人の私に財部部門を任されたかというと、銀行から来ていた財部部長が、見切りをつけてやめてしまったからです。他になり手がなく、個人的な信頼関係だけで社長が私をそのポストに据えたのです。 私も仕事を求めて苦闘してた時であり、飛び込みました。 資金繰りがメインの仕事であったので、銀行交渉のため、休みが取れない緊迫した仕事でした。病欠も許されなかったので、私は病気にならないと決めました。すると風邪をひかなくなりました。 朝は早朝に出てよりは遅くまで仕事をしました。陽の昇る前にタクシーで会社に来て、タクシー代は自腹という日もありました。会社の実情を知っているので、経費を請求するにもなれませんでした。 資金繰りが厳しく、もうだめかと毎月思いました。 荒海に出って漁をする漁師が、船の床板の一枚下は地獄と感じていたといいますが、その感覚がひしひしと分かった気がしました。 それでも責任を投げだせません。多くの人が生活の基盤を失うからです。 この経験で、私は自分が欠如しているた責任感を、いやおうなく鍛えられました。 覚悟を鍛えられたと思います。 結果的には、優秀な専門家や部下の方の力を借りながらも、3年間で奇跡的な財務再建の経験をしました