人が自分を隠す理由にはいろいろあります。 仕事上での小さなミスを、なんとなく上司や周りにいたくない、隠したい気持ちが私にはありました。 なぜ隠したいのだろうかと、その理由を探っていくと、思わぬ原因に行き当たりました。 それというのは、「自分のなかにある 理想の自己像 」に原因があったのです。 これが不自然にかっこよすぎて、 そこに自分を押し込もうとするあまり自分を窮屈にしていた のです。 結果、自然な自分を否定し、ありのままの自分を隠したいという気持ちになっていました。 私が描いていたかっこよすぎる理想の自己像とはどんなものだったかといいますと、笑わないでくださいね。 ①失敗しない ②周りから認められている ③努力は人一倍していないといけない ④スピーディーにスッとできないといけない こういう理想の自己像をもっていて、その枠の中に自分をはめ込もうとしていたのです。 そのために大変窮屈になってしまい、自然体でなくなっていました。 だから失敗を隠すようになったのです。 「この失敗はなかったことにして、忘れてしまおう」と・・・。 実際、そうやって失敗を完全に忘却していたこともありました。 この問題点を、身近な事例で考えたいと思います。 パンを運んでいて、うっかり落としてしまいました。 このとき隠す気持ちが働くと、落とされたパンの気持ちを考えません。 隠すと、落としたパンへの関心が消えます。 隠さずにきちんとパンに気持ちを向けると、こう思ったはずです。 「申し訳ない、 もったいない、 せっかく大地の恵みが形になったのに無駄になってしまった、 次は気を付けよう・・・」 そしてきちんと報告して、次は落とさないために、行動や動作をこう変えようと決意し実行するはずです。 この問題を探究して分かったことは、私には自分の理想に自分をはめ込む癖があるということでした。 理想に自分をはめ込んではいけない のです。 理想も成長させる必要があります。 理想にはめ込むと、理想が成長しません。 身体で感じ取ることが理想に入ってないことも問題でした。 「パンの気持ち、 パンを作ってくれた人の気持ち、