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肚から声を出す方法


丹田を動かしてお腹から声を出す、肚から声を出す方法について、声楽をやった人に聞くと色々教えてもらえて、非常に納得できることがあります。

私は丹田を動かし、腹から声をだす感覚をつかむのに大変苦労してきました。
ましてそれを第三者に説明することは非常に難しいと感じています。
身体の使い方を体得しないといけないからです。

ところが本格的に声楽をやったことがある人が教えてくださった解説は、とてもわかりやすく、かつ実践しやすいものでした。
対話形式でご紹介したいと思います。



<横隔膜を下げ丹田に力を入れる>

Q 丹田で声を出すということを、どんなふうに習得されましたか?

A よく、「お腹から声を出すといい」なんて聞くけれど、
現実にお腹に息(酸素)を入れ込むことなんてできないんですよ。
呼吸の際に吸う「酸素」というものは、肺に入るもので、肺以外に「酸素」は入る事はない訳ですから。
肋骨の下部に沿って、横隔膜という膜が張ってあって、
横隔膜より上部の部分(肺とかある部分)は圧力が低くなっているんです。
だから、簡単に息が肺に入るようになっているのですが、
その横隔膜を破くと、横隔膜より下の部分(胃腸などの臓器がある部分)と、
上部の圧が同じになってしまうので、呼吸ができなくなります。
私が大学で経験したマウスを使った動物実験では、横隔膜を破くと、
次第にマウスは呼吸が出来なくなって、
息を引き取ってしまいました・・・(合掌)

Q 横隔膜を境に上と下で気圧が異なるというのは。はじめて聴きました。

肺に空気が入るのは、横隔膜の上の部分の気圧がその他の部分よりも低いからなんですね。
A そうですね。

話は呼吸にもどりますが、
じゃあ、息(空気というか酸素ですね)は肺にしかはいらないものなのに、
どうやって、「お腹から声を出す」状態にするんだろう。

疑問でした。
その疑問は、あるとき、
「お腹から声を出すというのは、お腹の前を膨らませるのではなく、
お腹の横を膨らませるイメージを持つお腹から声が出やすい

と聞いて、それにすごく納得したのです。
胸で息をするというのは、呼吸の際に胸が動くものですが、
お腹で息をするというのは、いわゆる、横隔膜を動かして、
横隔膜を下にググッと下げて、肺にいっぱいに息を貯めて、
かつ、その際に、お腹の側面を膨らますようにすると、
丹田部分に力が入るんですよ。
叩いても痛くない感じです。

Q 下腹に力が入った状態ですね。


A そうです。それで、「お腹から声を出す」という感じがやっとつかめて、
私は、「ああ、なるほど!そういう事か!」と非常に納得したのです。
それまでは、「お腹から声を出す」と言う事は、
お腹を膨らませたらいいのかな、お腹に息を入れたらいいのかな、
なんて思っていたのですが、
現実お腹に息は入る事はないですし、お腹を膨らませたところで、
下腹部に力は入らないんです。
横隔膜を下げて肺を大きくして、
かつ、下腹部には力をいれたまま、
むしろお腹の側面を広げるようなイメージで息を大きく吸い込むと、
お腹から、すごく、芯のある、通る声がでます
私は歌う際は、そんな風に心がけて、
お腹から声を出すようにしています。

Q 今のお話は、実体験にもとづいていて非常に分かりやすいですね。

ありがとうございました。
私は、ある音大で声楽を勉強している学生さんに、お肚から声出すための工夫を聞いたことがあります。
その方は、大学からは腹筋をするように指導されているといっていました。
彼女は実際に自宅で毎日30回、腹筋していると言っていました。
やはり体作りが欠かせないのですね。
私も個性を痛めないような方法で腹筋をするように心がけています。
それとスクワットも効果があるようですね。

心理カウンセラー・種村修
<連絡先>メールアドレス:tanemura1956@gmail.com

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