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隠す理由

人が自分を隠す理由にはいろいろあります。 仕事上での小さなミスを、なんとなく上司や周りにいたくない、隠したい気持ちが私にはありました。
なぜ隠したいのだろうかと、その理由を探っていくと、思わぬ原因に行き当たりました。 それというのは、「自分のなかにある理想の自己像」に原因があったのです。 これが不自然にかっこよすぎて、そこに自分を押し込もうとするあまり自分を窮屈にしていたのです。 結果、自然な自分を否定し、ありのままの自分を隠したいという気持ちになっていました。
私が描いていたかっこよすぎる理想の自己像とはどんなものだったかといいますと、笑わないでくださいね。
①失敗しない ②周りから認められている ③努力は人一倍していないといけない ④スピーディーにスッとできないといけない
こういう理想の自己像をもっていて、その枠の中に自分をはめ込もうとしていたのです。 そのために大変窮屈になってしまい、自然体でなくなっていました。 だから失敗を隠すようになったのです。 「この失敗はなかったことにして、忘れてしまおう」と・・・。 実際、そうやって失敗を完全に忘却していたこともありました。
この問題点を、身近な事例で考えたいと思います。
パンを運んでいて、うっかり落としてしまいました。 このとき隠す気持ちが働くと、落とされたパンの気持ちを考えません。 隠すと、落としたパンへの関心が消えます。 隠さずにきちんとパンに気持ちを向けると、こう思ったはずです。
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成長にならないことは起きない

前回の記事(http://tanemura2013.blogspot.com/2018/09/blog-post_8.html)「卑屈さとプライド」で、私は次の精神態度の問題点を指摘しました。
「精神的なもの、自分が価値を認めるものを上位に置き、そうでないと思うものを否定する。線引きをして、下位のものを否定する。関心を向けなくなる。」
私自身、若い時にはこうした傾向がずいぶん濃厚にありました。 どこからこうした線引きをしたのでしょうか。 今思うと、親の価値観に影響を受けていた面がずいぶんあると思います。
教育者であった父親の読書傾向にも相当な影響を受けました。 二宮尊徳やペスタロッチを尊敬したのも、父の影響です。 また神社仏閣を尊びお参りする習慣も、宗教を尊ぶ気持ちも、親の影響です。私の魂の素地もあったと思いますが、親の影響は強く受けています。 そうした反面、経済活動や商売といったものには、関心がありませんでした。また中学の時に病気をした影響も加わり、肉体を鍛えることを下に見て、精神に価値を置く肉体軽視の傾向が強くありました。
私は近年、いくつかの商業活動にかかわったり、肉体を鍛えることにウエイトを置いた生活をしてきましたが、これは昔の偏りの修正をするうえで、価値のある経験でした。 そして私が軽視して来たものに、実は、おおきな価値があったことに気付かされました。 その結果、この世には「価値がないものなどない」という見方に変わってきました。
そしていろいろな経験を通して、こうも思えるようになりました。
「成長にならないことは起きない。すべて成長につながる。」
これは受け止め方をそうすることで、本当にそうなります。 起きてくることは、すべて成長する機会です。 そうとらえて取り組めば、必ず成長できます。 逆の捉え方をして失速することも、実は成長につながる経験になっていきます。 こういうとらえ方には、否定がありません。 すべて肯定です。

肚から声を出す方法

丹田を動かしてお腹から声を出す、肚から声を出す方法について、声楽をやった人に聞くと色々教えてもらえて、非常に納得できることがあります。

私は丹田を動かし、腹から声をだす感覚をつかむのに大変苦労してきました。
ましてそれを第三者に説明することは非常に難しいと感じています。
身体の使い方を体得しないといけないからです。

ところが本格的に声楽をやったことがある人が教えてくださった解説は、とてもわかりやすく、かつ実践しやすいものでした。 対話形式でご紹介したいと思います。


<横隔膜を下げ丹田に力を入れる>
Q 丹田で声を出すということを、どんなふうに習得されましたか?

A よく、「お腹から声を出すといい」なんて聞くけれど、 現実にお腹に息(酸素)を入れ込むことなんてできないんですよ。
呼吸の際に吸う「酸素」というものは、肺に入るもので、肺以外に「酸素」は入る事はない訳ですから。
肋骨の下部に沿って、横隔膜という膜が張ってあって、
横隔膜より上部の部分(肺とかある部分)は圧力が低くなっているんです。
だから、簡単に息が肺に入るようになっているのですが、
その横隔膜を破くと、横隔膜より下の部分(胃腸などの臓器がある部分)と、
上部の圧が同じになってしまうので、呼吸ができなくなります。
私が大学で経験したマウスを使った動物実験では、横隔膜を破くと、 次第にマウスは呼吸が出来なくなって、
息を引き取ってしまいました・・・(合掌)

Q 横隔膜を境に上と下で気圧が異なるというのは。はじめて聴きました。
肺に空気が入るのは、横隔膜の上の部分の気圧がその他の部分よりも低いからなんですね。
A そうですね。
話は呼吸にもどりますが、
じゃあ、息(空気というか酸素ですね)は肺にしかはいらないものなのに、
どうやって、「お腹から声を出す」状態にするんだろう。
疑問でした。
その疑問は、あるとき、 「お腹から声を出すというのは、お腹の前を膨らませるのではなく、
お腹の横を膨らませるイメージを持つお腹から声が出やすい
と聞いて、それにすごく納得したのです。
胸で息をするというのは、呼吸の際に胸が動くものですが、
お腹で息をするというのは、いわゆる、横隔膜を動かして、
横隔膜を下にググッと下げて、肺にいっぱいに息を貯めて、
かつ、その際に、お腹の側面を膨らますようにすると、
丹田部分に力が入るんですよ。
叩いても痛くない感じです。

Q 下腹に力が入った状態ですね。

卑屈さとプライド

卑屈さとプライドは、つながることがあります。
大変プライドが高い学校を中退したあと、なかなか世の中で認められず惨めな思いをすることがあります。 おうおうにして現実のみじめさから卑屈になるのですが、内心のプライドは非常に高いのです。 プライドが高いからこそ一層惨めな気持ちがするのですが、そうすると往々にして現実を否定します。そしてプライドにしがみつきます。
本当ならプライドを見つめなおして修正すればいいのです。 そういうまたとない機会です。 しかし、ありのままの自分を受け入れられなくて、現実とプライドのギャップに傷つくので、プライドをもっと高くして現実を否定しようとします。 これは逃避です。
つまり人間は卑屈さの奥に、高いプライドをもっているのです。
卑屈の人と接する時は、その人が持っている高いプライドを軽く見てはなりません。 奥にある、その人の個性の価値を見出すような付き合い方をし、礼節をもって接するのがいいと思います。 それは恨みを買わない方法であり、かつその人が自分の個性の価値を見つめるきっかけになると思います。
また自分が卑屈になっていると思う時は、プライドに引っかかっている自分を見つめなくてはなりません。 プライドが自分の個性を妨げているからです。
私たちの個性は尊いものです。 個性は人によって千差万別です。でも尊さは等しいと思います。 自分を尊ぶということは、個性を見出し個性を発揮する努力をするということです。 そして個性に自信を持つことです。 それでこそ、のびのびとした心で生きることができます。 それはプライドにこだわることとは、全く違うのです。

若い人の場合、個性を見出すには、まず両親から受けたさまざまな抑圧を見つめ、それを跳ね返す必要があります。

またある種の若い人は、精神的なものや自分が価値を認めるものを上位に置き、そうでないものを否定する傾向があります。
こういう傾向があると、人とのコミュニケーションがうまくいきませんし、自分の個性も見出せません。
価値の線引きをして下のものを切り捨てるという考えを持つと、下とみなしたものに関心を向けなくなります。
こうした「否定」を抱えていると、人の個性も見えないし、さまざまな事柄にある価値も見えないし、自分の価値も見えません。
物事の見方が非常に狭く、付き合いにくく、プライドばかり高い浜の狭い人間になるので、勇気をもって自分を変えようとすることが必要です。


心の自動制御機能

1.自己制御機能とは
私たちが体力や心的エネルギーの限界を超えて無理している時や、激しく自己否定している時には、広義の潜在意識の奥からは無理していることを示すサインが来ます。 そういう自動制御機能が私たちの存在には備わっているように見えます。
私たちの心の中核を丹田という言葉で表現すると、この丹田を支えているのが個性の影です。「個性の影」は潜在意識を含む心の基底部分であり、超越潜在意識とのつなぎ目であり、丹田を支えているものであると思います。
私たちは人生の中で往々にして危険領域に入り込むことはあります。その時に危険を察知してサインを送り、修正するように働きかける機能がなければ、心の体もダメージを受けすぎていびつになって固まります。だから自動制御機能は必要です。
つまりこの個性の影の働きの一つは、丹田あるいは個性の自己修復機能です。言い換えると丹田を保護する機能が個性の影にはあると思います。
たとえば何か重要な任務に失敗して激しい自己否定をしていると、個性の影からはそれを修正する働きが来ます。個性の影がなぐさめて、「あなたには良いところがある」という意識を送り込んできます。しかし、それを拒絶し続けると丹田が歪んできます。これが心の傷となります。 このようにしてできた心の傷は、転生輪廻の過程で修正する機会を得て、修復しようとします。丹田の歪みを修復し、本来のバランスを取り戻そうとするのです。
2.恐怖心
私たちの丹田が歪む顕著なケースは、恐怖心です。 私たちは強い恐怖心を感じた時、逃げるか、立ち向かうか、どちらかです。立ち向かうと激しい恐怖を感じて苦しいのですが、丹田は歪みません。むしろ成長し丹田は大きくなります。
逆に恐怖から逃げると、丹田が歪み、小さくなります。逃げるということは、恐怖を感じている自分と向き合うのを回避します。
この時は、私たちの人生でも最も大切なです。この時に過去世にできた丹田の歪みを修正し、本来のバランスを回復し、丹田が大きくなるチャンスだからです。 そしてこの恐怖心と対決し抜くと、私たちの発する思いは超越潜在意識にまで届きます。つまり心の根源からのエネルギーと同通できるのです。これは回心といわれる瞬間でもあり、人生は一大転機を迎えます。
カウンセリングでも、そういう機会が来ることがあります。でもその時には、クライエントは、告白をカウンセラーが受け容れてくれず自分が見放…

存在の否定と反作用

私たちは、いまここに存在しています。 存在しているということは、それだけでエネルギーが出ており、影響力も出ています。
そして、この存在を否定すると、それに対する反作用が生じます。 反作用が起きると、「存在の否定」を修正する何らかの働きが始まります。 これは「存在の肯定」へと向かうように、いざなわれているように見えます。
存在の否定」のなかで、一番身近に頻発するのは「自己否定」です。 これは現在人が誰しも直面する可能性が高い心の病理だと思います。 一番それを表わしているのはうつ病の蔓延です。
うつ病は「否定の病」です。 自己否定の極端な思いが、自分のエネルギーを枯渇させ、停滞させ、動けなくさせます。固まっていくのです。 今を否定し、過去を否定し、未来を否定します。 自分を否定し、自分の能力も、未来の可能性も、過去の実績も否定します。 希望が無くなり、周りがまぶしく見え、自分がみじめになります。 貧困妄想や病気の妄想が執拗に湧き、力を失い、極端に依存的になります。 自己否定するのみならず、その気持ちを他者に投影するので、他人への否定の思いも湧き上がります。人間関係が破たんし、引きこもります。 また自殺の誘惑にさらされ、実行してしまう人も多いのです。 自殺は「存在の否定」を行動化したものです。
うつのつらさは、経験するとわかるのですが、出口の見えない苦しみです。 極端な否定の病だからです。
しかし、時がたつ中で、人との出会いがあり、何かに打ち込む機会がうまれ、それに打ち込む過程で自己信頼が芽生え始めると、霧が晴れていくようにうつ病が徐々に回復していきます。 自己肯定への心境の変化が、うつ病への特効薬であると思います。

怒りと気づき

私が以前、あるアルバイト先で経験した経験をお話します。 その職場では、20歳前後の男性が働いていました。 仮に、ここではK君と呼びたいと思います。 K君は、仕事中に自分のことを色々と、ほぼ誰かれなく話しかけてくる人でした。 K君には不思議な力があって、周りの人はついついK君の話に釣り込まれて、彼の人生相談にのっかったり、彼を励ましたりしてしまい、仕事の手が滞りがちになるのです。 これには結構エネルギーを奪われます。 また仕事の手が止まりがちになるので、職場の人は嫌がるようになりました。 「口を閉じて、もっと仕事に集中しなさい」 そういう注意を、何人もの先輩から受けていましたが、とまりません。
私はK君は、幼少期から母親に愛されていないと感じて育ってきたのではないかと思っていました。 だから、ある程度同情的ではあったのです。 それでも毎回自分のことを話すのを聴いているうちに腹が立ってきて、強い怒りを感じ、K君への拒絶感・拒否感まで覚えるようになりました。 これは他人の否定です。 カウンセリングでは、すべてを肯定し、気づきのサインととらえていこうと考えている私であるはずなのに、この状態はおかしいと思いました。 そして自分を振り返ったのです。
強い拒絶感・拒否感、つまり強い否定の感情が出てくるときは、自分の個性が発揮されていないときだと思います。 そして肉体の疲れがたまっている時は、個性が発揮されにくいのです。 肉体が疲れすぎていると、いろいろと感情の引っ掛かりが出てきます。
私がK君に怒りを感じたのは、これは投影ではないか思いました。