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11月, 2021の投稿を表示しています

勇気を与えられた本『ブログ飯』

 最近、すごく共感して読んだ本がある。 染谷昌利著の『ブログ飯』だ。 ブログで飯生計を立てる術(すべ)を書いた本らしい、というので読みだした。 著者の染谷さんは1975年生れ。私より10歳若い。 文章がうまく、とても魅力的な人だ。 彼は30歳の時、ブログだけで生計を立てることを決意し、会社を辞めた。 奮闘するも、1年後に貯金が底をつきかけ、万策尽きて撤退を覚悟。 その時だ。 一つのブログがヒットして壁を超えた。 この本には、奥さんと子供一人と猫一匹を、ブログで一つで支えてきた9年間の経験の蓄積が、たっぷりぶち込まれている。 だからノウハウの本かと思うと、実は人生論なのだ。 ちなみに本の副題は「個性を収入に変える生き方」だ。 自分の個性をとことん磨き、しかもそれを収入に変える術と生き方が書かれている。 ブログの技術にとどまらず、「生き方」にまで踏み込んだところがすごい。 いぶし銀色の光を感じた。 ぐいとひかれて2回読んだ。本は線で真っ赤になった。 この本には明確なメッセージがある。それが私に勇気を与えてくれた。  インターネットの世界では、人と違うあなたの個性こそが価値を持つ。  だから個性を磨き続け、個性を成長させ続けることだ。  それが人の役に立つ表現を得た時、人に必要とされ、自分の足で世に立てるようになる。 染谷さんの主張は、説得力があり、心に沁み込んできた。 覚悟も迫られた。 あなたはどこまでやるつもりなのか、本当にやるのか、と。 とりわけ最後の著者の言葉に、胸が熱くなった。勇気が湧いた。   あなたの経験、知識は誰かが必要としています。  あなたの情報を求めている人は必ず居ます。  あなたの声がその人に届くまで、諦めずに続けてください。 この励ましに応える意味でも、私はこのブログを書き続けていきたいと思う。 ( ブログ飯 個性を収入に変える生き方 | 染谷 昌利, 大場ミミコ |本 | 通販 | Amazon )

比較して傷つく心

 何かモヤモヤして、気分が重くなる時、心の中で何かの感情が動いています。 それは何だろうと見つめていくと、ある時、ハッと気づきが生まれることがあります。 それがはっきり見えると、自分の中のモヤモヤが退いていきます。 内からのサインを受け取ったからです。 最近のことです。 エジソンの英語で書かれた伝記を読んだあと、そのモヤモヤを感じました。 その直前に『ブログ飯』という本も読んでいて、そのあたりから兆しがありました。 本の内容には感動しているのに、モヤモヤして暗くなっていく感覚が胸に渦巻きます。 何だろうこれは、何を伝えようとしているもやもやなんだろうか? そう意識して生活していると、ある時、ふっと気づきました。 人と比較して傷つく心だ、と。 エジソンの、どんな挫折や苦難や悲しみがあっても、より一層仕事に打ち込むことで乗り越えていった生涯。 それと比べると、私はいかに立ち止まり、停滞する時間が長かったのか・・・。 また『ブログ飯』の著者が、会社を辞めてブログで家族の生活を支えるまでの努力と比べて、自分の覚悟がどれほど甘かったのか・・・。 そして、人と比較して傷ついていたのです。 では、どうしたらいいか?  傷ついている状態を脱するには、人を比較の対象にせず、学びの対象にすればよい お互いに成長し合うために、異なった個性があるのだから、比較して自分を否定視して傷つくのではなく、学べばいいじゃないか。 でも、それだけでは足りない気がする・・・。 もし、何か自分に足りないものに気づけと言われているとしたら、それは何か。 著者がブログで飯を食えるようになるために、新しいことに取り組み、とことん追求した時の覚悟、エジソンが新しい発明に取り組んだ覚悟、これが足りないと言われている。 覚悟の甘さ、それに尽きる。 覚悟をもってブログを書き続け、自分が発信するもので多くの人のお役に立てるように。

君が代の効果

朝の散歩のときに、君が代を歌うと、歩く姿勢が変わります 君が代は、下腹に力を入れないと歌えません。 だから自然に腰が入り、背筋がピンと伸びてきます。 人間は年を取ると、歩き方が変化します。 とかく腰に力が入らない、ややかがんだ歩き方になりがちです。 しかし君が代を歌うと、自然に姿勢が伸びて腰に力が入った、若々しい歩きに変わります。 若いころに踊りやバレーをやった人は、姿勢がきれいです。 背筋がピンと伸び、下腹の丹田に力が入った姿勢で動かれます。 歩く姿勢も、美しいなと思います。 でもバレーも踊りもできない私でも、君が代を歌うと歩く姿勢が見事に変わります。 自分が若々しく、凛とした気持ちに切り替わります。 これは君が代の効果だと思います。

君が代を歌うと祓える

 君が代は不思議な歌だと思う。 しっかりと君が代を歌いきると、雑念を祓えてしまうのだ。 君が代は、丹田に力をこめないと歌えない。 そうでないと、のどを痛めてしまう。 肚から歌わないと、安定した声が出ない。 丹田に力をこめしっかり君が代を歌うと、体中が熱くなった。 気が付くと全身、汗をかいている。 自分のエネルギーが活性化しているのだ。 自分の丹田が動き出し、個性のバイブレーションが振動したから、雑念を祓えたと思う。 自分が自分であるために、君が代を朝、歌う。 これを習慣化していきたいと思っている。

雑念を払うということ

自分の心の課題をはっきりと自覚して、それを変えようという決意を持ち続けるならば、かならず成長の機会は与えられる。 様々な経験から、私はそう確信するようになりました。 直近で私自身が経験したのは、勉強時の雑念を払うという体験でした。 勉強時に雑念がわいて、集中力が大幅に低下する状態が、数か月続いていました。 勉強中に音楽を掛けたり、ユーチューブのニュース番組を掛けたり、いろいろ飲んだり…。 「ながら勉強」になってしまい、勉強している内容への集中が大幅に低下しているのを感じていました。 雑念が湧いて集中できない状態です。 なぜそうなるのかと見つめると、自分の本能やモヤモヤ、エネルギーの枯渇感を抑えるために、いろいろやっている自分を意識していました。 それを変えようと、本気で思ったのは、二つのおみくじがきっかけでした。 千葉神社でひいたおみくじには「学問 雑念が多すぎる勉学せよ」とあり、3日後、三代王神社では「学問 雑念が多すぎる」と、全く同じ内容が、おみくじに出ました。 これはもう逃げることはできないと観念しました。 でもどうしたらそれが収まるのかがわかりません。 瞑想しても、雑念が湧いて、短時間しか集中が続かないからです。  明治神宮に参拝して、ようやく勉強時の雑念を払えるようになったことを、前回のブログに書かせていただきました。 明治神宮の結界が、あまりにも強いので、私の個性をおおっていた雑念のエネルギーを祓っていただけたと思いました。 明治天皇は、一本の進むべき道をはっきりと見据えて凛として専心打ち込まれ成就される精神力がお強く、それが近代日本を生み出す原動力になったと思います。 その精神力の影響を受けて、私の中にある同様な個性の側面が顕現するようになり、自分でも雑念が祓えるようになったと、そう解釈できます。 明治神宮に参拝した折に明治天皇のお力を他力的に頂くのみであれば、その後も雑念を払うのを持続できないはずです。 しかし、自分の個性にある個性が喚起されてたのであれば、その後も自分の意志で集中できるようになります。 神社は自分自身を見出し自分自身に立ち返るために導きをいただける、大変ありがたい磁場です。 自分の課題に気づき、本気で克服し、成長しようとすれば、その機会は必ず与えられます。 神社は、それを促進してくださる場であると思います。