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10月, 2017の投稿を表示しています

道筋を見つける

私は自分を見つめることを通して、個性を発見し、輝かせ、内なる尊さを発揮したいと念願しました。その結果として、鮮やかな航跡を描いて生きたいと思いました。穏やかですべてを癒す琵琶湖の姿も自分の人格の理想だと思いました。
理想は描けました。 しかしそこに近づく道を見出さないと、いつまでも理想には届きません。
道は卑近なところから始まります。
肉体の機能が健全でなくては個性を正しく発揮できません。 私はそれまでがぶ飲みしていたお茶やコーヒーを制限し、南アルプスの天然水を飲料の中心にすることにしました。 体の中の水が濁っていると感じたからです。 これは正解でした。3か月のみ続けて、身体が軽くなったからです。 体に余計な負担をかけない飲み水は大切だと、実感しました。
また糖尿病の完全克服のために、生活習慣の改善にもとり組み始めることにしました。家族の協力を得て、それまでよく食べていた間食を、ほとんどしなくなったのもその一つです。 (食事の改善は、別の機会に書いたので省きます。) http://tanemura2013.blogspot.jp/2017/07/blog-post.html http://tanemura2013.blogspot.jp/2017/07/blog-post_5.html
http://tanemura2013.blogspot.jp/2017/07/blog-post_21.html
私は理想は考えるのですが、そこで止まってしまう癖があると思いました。 それを改めて、もっと本質的にものを考える癖をつける必要があると感じました。 理想を見つけたら、どうやったらそこへ近づけるかを考えないといけない。
そのうえで行動にうつらないと変わりません。
喩えて言うと、宝探しの地図を発見しても、ここに宝があると知ってもそれは手に入りません。そこに行くルートを考えて見出さねばなりません。そして実際に行動することが必要です。そういうことだと思います。
その時に色心不二の考えは外せないと思います。
身体と心の両面からのアプローチが必要です。
心理カウンセラー・種村修(種村トランスパーソナル研究所) ※メールや電話でのカウンセリングを行っています。ご希望の方はご連絡ください。 <連絡先> 電話 090-8051-8198
メール tanemura1956@gmail.com

他を尊べない時は自分を尊べていない

自分を尊ぶ時は、他を尊びます。
他を尊べない時は、自分を尊べていません。
これは私が経験的に感じることです。
ですから、周囲の人に対して嫌悪したり、見下げてみる気持ちが強く出ている時は、自分が自己否定に陥っていないかどうかをまず振り返ってみないといけないと考えています。
自分を尊ぶとは、自分の個性を尊ぶことです。 自分の個性が超越潜在意識から分化したものであり、宇宙に咲いた花であると思い始めると、この自分は限りなく尊いと感じます。 自分の尊さを信じる気持ちが強くなればなるほど、人の個性に対しても尊ぶ気持ちが自動的に心に湧いてきます。尊ばざるを得ません。
他者への尊敬の気持ちが薄れてきたとき、自分を否定する気持ちが強まってきています。だからそこで自分を見つめなおして気持ちを切り替える必要があると思います。
自分の個性の尊さを知り信じることは、最も大切なことであると思います。
心理カウンセラー・種村修(種村トランスパーソナル研究所) ※メールや電話でのカウンセリングを行っています。ご希望の方はご連絡ください。 <連絡先> 電話 090-8051-8198
メール tanemura1956@gmail.com

自分を生かす、個性を生かす

私は自分が生き生きと生きて燃焼した人生を送りたいと願っています。 それが幸福なことだからです。 自分が生き生きと生きている状態は、個性を生き生きと発揮している時ではないかと思います。 そこで個性を生かす、あるいは個性を輝かすことを考えてみたいと思います。
個性を生かすとはどういうことでしょうか。 私は一人一人には尊い個性が宿っていると思います。いろいろな人と接していると、一人一人が見事に異なる個性をもっていると感じます。 自分が気にいる気にいらないではなく、そこに異なる個性があると見ると、度の個性も価値があり、役割があると思えて来ます。 おそらくはどの個性も、それぞれが大切でかけがえのない役割をこの世界で果たしているのではないでしょうか。 そう考えると、個性を生かすことは、私たちにとって最も価値あることのように感じます。
個性を生かすとは、言葉を変えると自分を生きすということだと思います。 自分を生かしきっている人は、多くの人から尊敬されているのではないでしょうか。 スポーツの世界で世界的に活躍するアスリートたちの演技や試合を見ていると、自分の個性を全力で出し切り、生かしきっている姿に敬意を感じます。そして刺激を与えられます。
自分の個性を生かしきる人生、あるいは自分を生かしきる人生は、どうすればおくれるのでしょうか。 なによりも、それを目指すことではないかと思います。
「自分を生かせ、 自分を生かしきれ。 妥協することなく自分を生かしきれ。 生かすことに限界はない。 完璧に自分を生かせ。」
これは私が印象に残って書き留めた言葉なのですが、身が引き締まる気持ちがします。私の人生も、こうありたいと願います。
ある人がこんなことを言っていました。 「自分を生かすとは、与えられた生命に対する最高の感謝の気持ちではないかと思います」

自分の中の子供の心

幼いころにどうしても満たされなかった思い、ずっと我慢して抑え込んできた願望は、しばしば心の中に生きつづけ、働きかけてくることがあります。 それに気づき、その「子供の心」を受け入れ正当に満たしてあげると、それまで無意識に突き動かされていた「満たされない思い」が緩和され、幸福感が広がります。
小さいころ、実家で両親と一緒に住めないで、おばあさんの家に何年も預けられて育った女性がいたら、その人はほぼまちがいなく心の中に寂しさを持っていると思います。 その人が嫁いでから、夫婦円満なのにしばしば実家に帰りたくなるとしたら、その人の中にある「子供の心」が実家に帰りたいと主張しているのでしょう。 彼女は子どもの頃、いつも実家に帰りたかったのですから、その思いが生き続けているのです。
彼女のなかの「子供の心」を癒すためには、どうすればいいのでしょうか。 「子供の心」は親の都合や事情を知っても納得しません。 スキンシップしないと納得しないのです。 子供の心は親との触れ合いを求めているからです。
彼女へのアドバイスとして、こういうことを言ってあげたいと思います。
「実家に帰ったらお母さんとハグしてくださいね。それをしないと、子どもの心は納得しません。」 「あなたは甘えたいから実家に帰るのです。その本音を自覚してくださいね。」 「あなたが寂しがっているのに、母親が寂しがっていると思っている。寂しがっているのはあなたですよ。」 「お母さんをハグしたり、マッサージしてあげると甘えたことになりますよ。」 「自分が満足するためにお母さんに会ってくださいね。」
こうした寂しさを抱えた「子供の心」は、癒してあげないといけません。そうしないと甘えるところがないので、死ぬまで仕事にしがみついて頑張ってしまう状態になりがちです。
まず自分の中の「子供の心」に気づくことが大事です。そしてそれを受け入れること。そこから癒しが始まります。

心理カウンセラー・種村修(種村トランスパーソナル研究所) ※メールや電話でのカウンセリングを行っています。ご希望の方はご連絡ください。 <連絡先> 電話 090-8051-8198 メール tanemura1956@gmail.com

どう生きたいのか

個性が正しく発揮している状態では、人は明るく生き生きとしています。 その時に、育みのエネルギーが働きます。 家庭でも、家族を育み成長を促したいと願うのであれば、自分の個性を生き生きと発揮していることが必要です。 それさえできれば家族は良い刺激を受けて成長します。 これが育みとなります。 職場でも同じことが言えます。
ただし肉体自我としての自分が生き生きとしているのか、魂としての自分が生き生きとしているのかはよく見極める必要があります。 自分に甘いと、どうしても肉体自我の願望を自分の願望と同一視しかねません。
それを切り分けるためには、「自分はどう生きたいのか」を見つめる必要があります。
カウンセリングは、人と癒しを結び付ける仕事です。 しかし、人と癒しだけに注目していると堕落を生みやすいのも事実です。 そこに超越潜在意識、つまり内なる神とも言うべき本来の自己へと自分を高めていく視点が不可欠であると思います。 私は、癒されるだけでなく、それが同時に成長でもあるようなカウンセリングを目指してゆきたいと願っています。
心理カウンセラー・種村修(種村トランスパーソナル研究所) ※メールや電話でのカウンセリングを行っています。下記までご連絡ください。 <連絡先> 電話 090-8051-8198
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はぐくみの注意点

人の個性は素晴らしいものです。 それは敬意を払わざるを得ないものだと思います。
しかし、その個性が何かの事情で覆われて、現れていない場合があります。 そういう場合の一つの特徴は、自分に原因を求めず他に責任を転嫁する気持ちが強いことです。
人は話を聞いてくれる人に頼って誰かの悪口をいい、聞く側の正義感を煽ってくる場合があります。 それをそのまま鵜呑みにして同情すると、相手が感謝したとしても少しも相手の成長にならず、むしろ停滞させます。 まず慎重に見極めることが必要です。
しばしばみられるのは、自分に負い目があるのに、それを隠している人です。その人は上司などの批判をして職場の仲間の正義感を煽ることで同情を引き、聴き手を味方に引き入れようとするのですが、自分問題はしっかりごまかしています。 うっかり同調してその人の想念を吸い込んでしまうと、影響を受けて呑み込まれてあやつられます。
自分には悪い点があることをきちんと知っていて頼ってくる方には、しっかり聴いてあげて、本人に自分の問題と向き合うように支援することで、その方は成長できます。
本当に正しいことを言い、上司や会社の問題点を言ってくる人に対しては、よく聴いてあげて吐き出してもらい、場合によってはその方の代弁者になってあげることも必要です。
しかし特に注意が必要なのは、繰り返し過去に誰かに害されたと、自分の心の傷を訴えつづけ、それをずーっと言い続ける人の場合です。 初めはあまりの被害の大きさにびっくりして、同情して聴くのは仕方がないかもしれません。しかし、いくら聴いても、またいくら考え方の転換をアドバイスしても、手を変え品を変えて延々と〇〇のせいでこうなったと同じ訴えをする場合は、何かを隠している可能性が高いのです。 その方はおそらく、今の自分の問題、本音の気持ちを隠しています。その方の奥にはこのような気持ちが潜んでいる場合があります。 「自分が変わるのが怖い」 「仕事をしてもうまくいかない」 「自分を信ぜず尊いものと見ていない」 「今の不幸は過去の出来事のせいにして、今の自分の問題を認めない」 「過去のせいにして変わる気がない」
一番の問題は、今の自分を過去のせいにしていることです。そのために今の自分を見つめることを拒むことです。これが最大の問題です。 この方は、内心では自分が悪いという自覚はあります。悪いという自覚はあるのですが、それを誰にも知られたくあ…

個性を見出すために

個性を発揮した状態には特徴があります。
個性を発揮しているときは悩みがありません。 困難を克服する苦労はあっても悩まず、挑戦する喜びが伴います。
個性を発揮している時は、苦しみがありません。 それをすることが「苦」(く)ではないのです。
個性を発揮しているときは反作用がありません。 反作用とは推進することのブレーキとなるような反動が、その行為や思いに伴って必然的に生じることです。
個性を発揮している時は、喜びが湧いてきて、ワクワクします。 これをやると嬉しい、という気持ちが湧いてきます。
言い換えると、苦しみや悩み、反作用がなく、それをすると嬉しい、ワクワクする。そういう状態が持続するならば、それが個性を発揮している状態だと言えます。 自分の個性とは何かを見出すときに、これは大きな指針となります。
個性の発揮とは、自分に立ち返ることだと思います。
誰かに対して何かをしたり、何かをしてもらってうれしいというのではなく、人がいなくてもそれを発揮していることが幸せである。 これが個性です。 誰かが居なければ幸せでないというのは条件つきです。 個性を発揮している時の幸福は、人との関係の中で発揮されたとしても、人には依存しないものです。 その幸福は自分が本来の状態にあることに伴う幸福だからです。
自分が自分に問いかけて、自分に立ち返ることが個性を輝かすことです。 本来の自分を見出す途上で、個性を発見し個性を輝かすことは中心的な課題であると思います。
心理カウンセラー・種村修(種村トランスパーソナル研究所) ※メールや電話でのカウンセリングを行っています。相談されたい方は下記までご連絡ください。 <連絡先> 電話 090-8051-8198 メール tanemura1956@gmail.com

個性を輝かす行動

私は自分を信じる(自己信頼)ということは、自分の個性を信じ、個性を尊ぶ気持ちを持つことではないかと思います。
同様に人を信じるということは、その人の個性を信じ尊ぶということだと思います。 私は人を見る時に、その人の個性を尊び信じるように意識しています。 すると平等に人と接することができる気がします。 意識してそう見ようと努力することで、人との関係もよいものになっていくように感じています。
同じことは自分にもいえるはずで、自分の個性を尊び信じることがとても大切だと思うのです。 そうしないと、自分を否定したり卑下したりしてしまいます。それがストレスとなり、行動に自分らしさがなくなり、いびつさが出てきます。
以上のことから導き出せることは、「自己信頼を高めるための行動とは何か」というと、それは個性を輝かす行動のはずです。
個性を輝かす行動は、本当の自己が輝く行動であり、自分が最も生き生きする行動です。 自分らしさが最も輝く行動です。
私は個人の過去世の記憶を貯蔵している深層潜在意識の奥には、超越的で普遍的な個人を超えた潜在意識があると思います。それは個人を超えているので超越潜在意識と呼びたいと思います。超越潜在意識は宇宙のすべての存在とつながっているのではないかと思います。 そこで個性とは超越潜在意識が分化した、私という存在の核であると考えています。またその核の部分が各転生で輝きを放った意識も個性といってよいと考えています。 個性は多面的であり、さまざまな輝きをもってはいますが、その人らしさの核であり、その人の宇宙での役割を表現するものでもあると思います。
では自分の個性はどうして知ることができるかというと、一つの目安があると思います。自分が行動してワクワクすること、生き生きと輝くことをしている時であり、それによって苦悩や不幸がなく、反作用としての不幸や罪悪感などの不快の感覚がない状態ではないでしょうか。その行動をして喜びが湧き、いつまでも不快感や不幸感覚が湧かないものは、個性を輝かせていると言えると思うのです。
別の表現をすると、個性を輝かす行動とは、自分の心の中からこれをしてみたいとの思いが湧いてきて、積極的に行動し、障害があっても努力を惜しまず続けていけるものであるように思います。「それをすると嬉しい」と感じるからこそできることです。 だったら、「これをすると嬉しい」と思えることを見つけ出して…

自分を信じている自分に気づく

私が自分の中の「孤独」を感じ寂しさにも気づいた時、さらにその孤独の感情を見つめようとしました。 しかし、孤独をいくら見つめても、結局、孤独にしかならないことに気づきました。人からの信頼を失う恐怖、その結果孤独になる恐怖を味わい猛烈な孤独を感じたのですが、その孤独をいくら見つめても、孤独にしかならないことが理解できたのです。
そこで自らに問い掛けました。 「心の奥には、人を信じ、そして自分自身を信じている自分がいるのではないか――。」 人を信じているから、告白ができたのは事実です。信頼を失うことを危惧しつつ、結局、人への信頼を失わない自分がいると思います。 もう一つ、他人だけではなく自分自身も信じている自分がいます。だからどんなところからでも立ち直り、一人ででも道を切り開いていこうとする自分がいます。 自分は自分を信じているとだけ言い切れるわけではないのですが、自分を信じている自分がいることは確かだと思いました。 これは自己信頼の核となる拠りどころの発見でした。
次に問い掛けたことは、自分を信じている自分に気づいたのであれば、それを行動で示すとはどういうことか、ということです。 自分を信じている自分がいるということは、理論でも思想でもなく、事実です。心の事実です。 ですので、幾ら理屈を考えても、自分を信じるということを深めることができません。自分を信じているという思いを深め、その確信を強めるには、行動が必要です。
信じている自分に気づいたのであれば、それをいかに行動で表わすべきか。 思っているだけではなく、行動することでその確信がどう変わっていくのか。自己信頼を行動で示すとは、いかに行動するべきなのか。
それが追及するべき次の課題であると思うようになりました。
心理カウンセラー・種村修(種村トランスパーソナル研究所) <連絡先> 電話 090-8051-8198 メール tanemura1956@gmail.com
※メールによる相談を中心にカウンセリングを行っています。

寂しさと恐怖心

私はかつて、自分の秘めている秘密を話そうとした時、これを話せば信頼関係が消えるのではないか、自分は孤独になってしまうのではないかという恐れをもっていること自分に気づきました。
その恐れの奥にある感情は、寂しさでした。自分が誰からも理解されなくなり、人が去り孤独になるときの寂しさだとおもいました。 でも、もっと深く見ていくと、寂しさには根っこがあり、その根っこは別の恐怖心につながっていました。
ここでは私の自己発見のプロセスを紹介します。 これが読者の自己探求のヒントになれば幸いです。
私は次のような問答(自己対話)をしました。
問掛「寂しいと感じる自分は、どうして寂しいと感じるの?」 返答「理解されないと寂しいと思う」 問掛「理解されないとどうして寂しいと思うの?」 返答「理解されないと孤独を感じるから」 問掛「なぜ理解されないと孤独を感じて寂しいの?」
ここで少しはしょりますが、こうした問答を繰り返しながらふと気づいたことがあります。
理解されない寂しさ。この寂しさを感じている主体は、本当に「自我としての自分」だろうか。そうではなくて、「本当の自分」が「自我の私」に理解されていないことを寂しく感じているのではないだろうか。 自分は自分自身のことを価値のある存在だと認めて、理解して、信頼してきたかといえば、そうではなかった。 「本当の自分」が、いつまでたっても私が理解してくれないことを寂しく思っているのではないか。その寂しさを私は感じ取っていたのではないか。
寂しさの奥には、気づいていない自分がいた。 それに気づいていないから寂しい。 気づいていない自分に気づけば寂しさは消える。 自分が気づいて欲しい、自分自身が寂しがっていることに気づいてほしい。