自分の見つめ方により、解決に向かう思考になる場合もあれば、空回りに終わる思考になる場合もあり、道筋が別れてきます。
自分の内に問題の原因を問いかけると、まっすぐ杉のようにのびていく思考になります。
自分の外側に問題の原因を見ようとすると、蔦(つた)のように絡まって上へ伸びない思考となります。
また感情に流されていくと蔦の思考になります。感情が大きく膨らみ、自分がどうあるべきかが抜けてしまい、感情に流されていくのです。
物事の原因や本質を(自分の内に)探し求めない蔦の思考は、怠け者といえます。誰かの影響でこうなったとか、外部的な要因でこうなったと、外にばかり原因をもとめるのは、怠け者なのです。
私も、自分の中に怠け者がいて、蔦の思考に陥っていて空回りすることがあります。それに気がつかないと、いくら原因を外に求めても自分が成長できません。
蔦の思考をしている時は、アドバイスをもとめて人に聴こうとします。
真の賢者に聴けば、「まず自分に探し求めないのですか」と逆に問われるかもしれません。
私の場合、こういう時は、往々にして自分の感情が感じ取れません。
「今自分はどういう感情を持っているのか」と問いかけても、感情が見えてこないのです。
こういう時は、「自分が自分をいつわりだましているからではないか」と自問してみる必要があると感じています。
こういう状態の時、往々にして「本心を隠して嘘をつく人」と縁ができることがあります。自分に自分が見えていないので、自分の鏡となる人が現れたと気づかされました。この時は、相手が悪いというよりは、自分の鏡として、この人を引き寄せてしまったのだと深く反省しました。
一番の嘘は、自分が自分をだますことかもしれません。自分をだましているから、自分の感情にも気がつけません。
隠すのは無意識ですが、隠すには隠す理由があります。「感情は悟りに遠い」という価値観があると、感情を認めたくないので、隠してしまうのではないかと思います。自分のプライドが傷つかないように無意識でそうしているのかもしれません
自分の感情に気がつけないときは、「自分を隠しているのではないか」「自分をだましているのではないか」と自問する必要があると感じています。
心理カウンセラー・種村修(種村トランスパーソナル研究所)
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