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言葉の本質



言葉の本質は波動ではないかと考えるようになりました。
この宇宙には宇宙を成り立たしめている波動があり、リズムがあるように感じます。
言葉を使うとき、そうした宇宙をなりたしめている波動に近い存在に、自分自身が成り得る可能性があるのではないかと思います。
丹田を通した言葉は、そうした宇宙の波動の一翼を担うエネルギーを持っているのではないかと思うのです。

喉で言葉を発していても、それは薄っぺらで力のないものだと思います。
肚から出る言葉は、非常に心に響くエネルギーの強い響きをもっています。
肚から出る言葉のことを、丹田から出る言葉とも言います。
人体を一つの楽器に見立てると、丹田から出る言葉は、人体という楽器が最高の響きを奏でた状態です。

大学で声楽を学んでいる女性と話したとき、彼女は肚から声を出すために、毎日腹筋を鍛えたり身体的なトレーニングを欠かさないと教えてくれました。
肚から出る言葉、丹田からの言葉を出すには、身体的な訓練は不可欠です。
肚から出る言葉で声を発すると、澄み切っていきます。
その人固有の美しさを奏でます。
生き生きとしたその波動(バイブレーション)は自分を清め、元気にしてくれる力を感じます。

丹田を通った言葉には、その個性にしかだせない音色、波動、リズムを表現しているように思います。もっともその人らしい活き活きと輝いた個性のリズムが、丹田からの言葉には宿るようです。

その人の丹田、つまりその人の個性でしか奏でることができない波動やリズムがあるならば、言葉とは何でしょうか。
言葉の最も根源的な機能は、戦うためでも、伝えるためでもなく、個性が動き、個性が働くということかもしれません。

言葉が働くものであるならば、人の言葉に働かされている状態は、いわば奴隷の状態です。自分の個性の波動を忘れて出せなくなって、人の言葉、人の波動で動かされているのですから。

私が本を読んでいないと不安だという気持ちを長く持ち続けていたのは、言葉がないと不安だということです。
言葉がないと不安だというのは、誰かの発した言葉に捉われていないと不安だという心理です。奴隷の状態で安心を得ていたのです。これは奴隷の安心というべきでしょう。

人の言葉に動かされている自分を見つめてみると、自分が自分のリズムを奏でていないことがわかります。
人からの言葉で動くというのは、自分の丹田を通らない言葉で動くのであり、個性を発揮した状態とは言えません。
もしその言葉が、誰かの丹田からの言葉であっても、その人と私は個性が違うので、ぴったりと一致することはありません。だから注意が必要です。

活字中毒だったということは、自分が自分のリズムを奏でることを怠って、人のリズムに飲み込まれることを望む自分がいたのです。

言葉を文字とか、音声とか、そういうものとして見すぎると、本質が波動であることを忘れます。「あ」という言葉は、文字もしくは音としては、誰が表現しても「あ」です。しかし、それに込められた波動は、発する人の数だけ個性の違い、波動の違いがあります。響きが異なります。
言葉を言葉として見すぎると、三次元的になり、本質を見失うと思います。

言葉には、「丹田を表現する言葉」があります。
これが最も尊いものです。

しかし、これとは別に、私は「丹田を証明しようとする言葉」を使っていました。「丹田を証明しようとする言葉」とは、「目に見えないいのち、あるいは魂の本質を証明しようとする言葉」と言い換えることができます。
これは頭で理解させるための言葉です。私の各ブログには、いまだにそうした要素が混ざっていると思います。

目指すべきは丹田を表現する言葉です。
丹田を表現する言葉を私が発した時、読者がそれに刺激されて、自ら丹田からの言葉を発し、個性リズムを放つようになる。それが一番素晴らしい姿であると思っています。

心理カウンセラー 種村修 (種村トランスパーソナル研究所)
※メールや電話でのカウンセリングを行っています。
<連絡先>
電話 090-8051-8198

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