私はある方の深層潜在意識(過去世の個性)の発する叫びを聴いていました。
それは魂から絞り出す切実な言葉でした。
「こういう状態で存在する意味があったのよ。
なのに、どうして過去すべてが幸せだと、あなたは言えないの?
この私も存在してよかった、幸せだったと、そう言えないの?」
私はこの言葉を聴いて、自分を振り返りました。
そして自分に問いかけました。
<自分の過去に対して、これがあったので自分は不幸だと思っている気持ちはないだろうか。>
<その時の自分が存在する意味を認めてあげず、その時の自分を否定して、いつまでも悔やんでいることはないだろうか。>
ほとんどの過去については、自己否定をやめて肯定へと転じたつもりなのですが、ひとつだけ引っかかっているかもしれないところが残っていました。
それは現役で京都大学農学部に入ったのに、4年間在学し、1年間休学したのちに退学し、自分の意志を貫いて東京に出て、政治的な改革を志して編集関連の仕事についたことでした。京大で左翼学生運動との思想的な対立を経験してから、悩んだすえのことでした。3回生のころから学部の勉強はほとんどせず、左翼が否定する日本のすばらしさを掘り出したいという動機のもとに、京大を卒業することを断念して畑違いの職業を選択したのです。
親との葛藤も深刻に経験しました。また興味関心を失ったとはいえ、大学の学部の試験で納得できる点数がまったく取れなくなってしまったことには強い劣等感を持ちました。それまで試験において劣等生だった経験がほとんどなかったからです。
でも心に傷は残りましたが、意志は固かったと思います。
自分は何をするために生まれて来たのか、何を志して生きるべきなのかをずっと考えたすえの結論だったからです。また自分がこれをなさずして誰がやるのかという気負いにも似た思いも、進路を決めた中にはありました。
結果として、この世的な安定や世間の評価する道を捨てるという決断をしたのは、潔さでもあったと思います。昔の仏教の出家者が世俗への執着をきっぱり捨てたような、人生の退路を自ら断つ気分もあった気がします。
しかし、その後の人生で志が途中で閉ざされ、また私自身の内的な変化から、さらに別の針路をとり、さまざまな職業を経験しました。その折々で、大学中退を引け目のように感じてしまっている自分を感じました。
そういう思いが残っている状態で、この言葉を聴いたのです。
「こういう状態で存在する意味があったのよ。
なにに、どうして過去すべてが幸せだと、あなたは言えないの?
この私も存在してよかった、幸せだったと、そう言えないの?」
私の学生時代の煩悶と決断は、志を第一義として、この世的に安定や生きやすさをもとめる気持ちと決別したいという気持ちの表れでした。この世的な価値にしがみついて、生きながら死んでいるような人生にはなるまいと決意したのです。
この決断の経験があったので、人生の岐路で選択を迫られたときに、この世的な生きやすさを捨て心の声に従って生きることに比較的躊躇がなかったと思います。そういう私があって、その後の私があり、今の私があります。
学生時代の自分をしっかり受け入れて、これがあったから私は幸せだと言える自分になろうと思います。
現時点で人生を振り返ってみると、この学生時代の私が存在する意味は、この世的な価値でしばられて魂を失わない人生にするためではなかったかと思います。
心理カウンセラー 種村修 (種村トランスパーソナル研究所)
※メールカウンセリングや電話でのカウンセリングを行っています。
<連絡先>
電話 090-8051-8198
コメント