人生では、自分自身が真正面から問われるような危機的な局面が何度も来ます。
そのときに、逃げないで真正面から問題と向き合い、同時に自分の問題と向き合い対決できるか。
それとも問題を誰かに預けたり、自分と向き合うことを避けて安易な別の道に逃げるのか。
その選択が迫られます。
前者、つまり真正面から自分と向き合い問題に取り組むことはとてもつらい選択です。自分自身の弱さや醜さやその他もろもろの嫌な面と向き合わなければならないからです。そして乗り越えなければなりません。乗り越えるとは、自分を成長させることです。成長した自分はそれ以前とは行動も考えも変わっているはずです。
向き合うことに伴い辛さ、それはあたかも苦い食べものを、吐き出したいのを我慢しながら噛んで飲み込むようなものだといえます。いやな経験というのは、味わいたくなくて、吐き出したいのです。記憶から消し去って忘れたいのです。
でももしその時に逃げたら、後日、別の形で自分自身に向き合わされる時が必ず来ます。成長に必要なら、そういうことが起きます。そして自分と向き合い、乗り越えなければ前に進めない状況に置かれます。
まるで、にがくてペッと吐き出した食べものを、もう一度口の中に入れられるようなものです。もう一度やり直せと言われるのです。吐き出さずに味わいなさいと、神様から命じられているかのようです。
でもその問題に真正面から取り組み、自分の弱さや嫌な面を見据えながら、それを克服しようと努力していくと、変わります。苦く感じたものが、甘く甘美な味わいに変わるのです。
この瞬間は、煩悩即菩提の瞬間ではないでしょうか。きっとそうだと思います。
今までの自分の過ちや愚かさや未熟さをさらけ出し、そういう自分を受け入れて、そのうえで何度くじけそうになってもあきらめず自己改善に取り組むとき、運命が大きく回転します。自分を変えていきたいと強く強く願い努力する時に、道が開かれるのです。
苦く感じていたものが甘く甘美に感じ出した時、自分が成長したのだと知ります。試練と見えたものが、実は運命の神様からの自分へのプレゼントだったことを知るときです。そのとき、感謝が湧き上がります。
試練に直面した時は、肚を決めて、逃げないで対決するぞと決意することです、「自分自身と真正面から向き合うぞ。自分を変えるぞ。」
そういう覚悟が絶対に必要だと思います。
自己否定で固まっている心の氷を溶かすときには、やはりそうした覚悟がないと、うまくいかないと思います。
試練と向き合うことは、自分自身と向き合うことにほかなりません。
試練と向き合うことは、自分自身と向き合うことにほかなりません。
(続く)
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心理カウンセラー 種村修 (種村トランスパーソナル研究所)
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