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深刻な経験の意味



思考が回らなくなる時

私がリストラで仕事を失った「中年の危機」の時期、私はバカになったと思いました。というのは思考が回らなくなり、記憶力が低下し、今までできたことができないのです。私は無気力と無力の深い穴に落ち込んでいきました。その穴から這い上がるには長い長い年月を要しました。

その頃の私のエネルギーの状態はというと、あくびを出して眠そうですぐに固まってしまうのです。動作はすごく緩慢です。パワーなく、思考も回らず、記憶がつながりません。
ただし、今現在の感情は分かっています。喪失感、挫折感、悲しみが深く、みじめです。希望がなく、自分の今までを否定し、未来も見えません。
ひどいうつ状態で、本当に思考が回らないバカになった自分を経験しました。

その時の思考能力は、AからBが生まれ、BからCが生まれるという流れは分かるのですが、ACがつながらないという感覚です。プライドが高いので、この状態はよけいつらいもので、自分と向き合うことが困難でした。

過去世とのつながり

今世において特徴的な経験は、実は過去世の魂の傷の再現であり、それを乗り越えるために体験することが少なくない。私はそう感じます。

過去世において、たとえば脳に何らかの損傷を受けて、思考が回らなくなり、自分がみじめになって固まってしまった経験としたら、どうでしょうか。
もしその時に、自分がバカになったのは、脳に損傷を受けた結果であり、自分の価値がなくなったわけではないと冷静に自分を受け入れられていたら、固まる必要はなかったと思います。
しかし、それをもって自分が駄目になったと思い、自己否定に陥ったから、固まってしまい、魂に深い傷となって残ったのでしょう。

その時の魂の傷は、今世まで持ち越され、ある事件をきっかけにその心の状態が再現されます。それが、私の40歳代に経験した、うつ経験の意味ではないかと思うのです。

うつ状態に陥った自分を見つめると、あれだけ真剣に学び、思考を鍛えたはずなのに、今ここには何もなせない惨めな自分があるだけだ、という惨めな現実です。
「今までの一切の努力は無駄だった。本棚を埋める膨大な蔵書が、かえって惨めで無力な自分を際立たせる。自分の人生にはどんな意味があったのか。無だ。」
虚無感と無気力に縛り付けられて、心も体も固まっていました。

これが過去世の自分が陥った心境を再現し、追体験していたとすると、そこから乗り越えるための努力も経験も、私にはとても価値あるものであったと思います。非常に長くかかりましたが、思考に捉われないで、自分に自信をとりもどしていく過程であり、新しく生まれ変わるプロセスだったと思います。

自分を肯定するということ

それは自分を許し、自分への否定をやめる過程でもありました。
「こんなに頑張ったのにこれかよ。いっぱしの有名人だったのに、こんな惨めに固まっているとは、なんてざまだ。」
そう思って、自分を袋叩きにしていた自分がいたのです。それは自己否定の固まりであり、その奥には強いコンプレックスがあるのです。
「失敗を悔いて、二度と失敗するものかと頑張ってきたのに、やっぱりこれかよ。もう二度と失敗したくない。」
だから理想の自分を描いて、それに反する自分を受け入れられなくなっていたのです。これはコンプレックスでした。

自分の脳の機能の一部が使えなくなっても、自分は自分であり、個性の尊さも価値も変わらないはずです。一部を失ったからといって、自分を弱きもの、ダメな者として自己否定することはなかったのです。
またそういう状態を経験したことを不名誉だと恥じる必要もなかったのです。
そういう経験をするにはするだけの意味があり、その意味を探る中に成長への道が必ずあるのですから

自分の脳の機能の一部を失ったことが固まった原因ではありません。一部の機能を喪失したことで、自分の全部を否定したことのほうが問題です。そして自分を全否定したことが、固まってしまった本当の原因です。
そして固まったことを、不名誉に思い、人生の失敗と思い、そこにも強いコンプレックスをもったのです。

こういう自分をしっかりと見つめて、向き合うことによってのみ、自分自身を回復することができます。
また思考や知識に価値を置きすぎて偏重し、そこに固執することはやめなくてはなりません。感情や意志や直感というもの、また肉体の健康そのものに価値を見出すことで、心のバランスが回復し、それにともなって自信を回復できるのです。実際に私は、そのようにして自分を肯定できるようになり、自己否定しなくなりました。自分を愛せるようになりました。

自分を愛することができると、自分の個性の価値を信じられるようになりました。そして個性を発揮することこそ、自分の責任であり役割であると思うようになりました。これは他人の固有の個性の価値を信じることにつながります。自分を尊ぶと同時に他人を尊びます。これはとても楽です。そして毎日が楽しいです。

この過程で気づけたことが他にもいくつかあるので、徐々に書いてみたいと思います。

種村修 (心理カウンセラー・種村トランスパーソナル研究所所長)
ご案内:メールでのカウンセリングを行っています。
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com

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