第1章
宗教的感性の原点─家庭の祈りと知恩院の合宿
◆ 家庭に息づいていた祈りの空気
私の宗教的感性の原点は、幼い頃に育った家庭の祈りの空気にあります。 仏壇の前で手を合わせる姿、祖父母が静かに唱える念仏── それらは特別な儀式ではなく、日常の一部として自然に存在していました。
宗教は「教え」ではなく、 生活の中の静けさとして、空気感として、私の心に染み込んでいきました。 子どもの私は、世界の奥にもう一つの目に見えない層があることを、言葉にならないまま感じていたように思います。
発達心理学でいう「宗教的感性の萌芽」は、この家庭の空気の中で静かに育まれていったのだと、今振り返ると感じます。
◆ 小学生の夏、知恩院の合宿へ参加しました
その感性がはっきりと形を持ったのは、小学生の頃に参加した浄土宗総本山の知恩院での合宿でした。 京都の大伽藍に足を踏み入れたとき、私は初めて「宗教が生きている場所」に触れました。
僧侶の作法、読経の響き、畳の匂い── すべてが新鮮で、幼い心に深く刻まれました。
しかし、最も大きな感動は別にありました。
◆ 家で読んでいたお経に「深い意味があった」ことを知った驚き
家では、ただ漢文で書かれたお経を音読し、礼拝するだけでした。 意味は分からず、習慣として唱えていただけでした。
しかし知恩院では、僧侶の方々が一つひとつの言葉の意味を丁寧に教えてくださいました。 その奥には、
人間の心の働き
苦しみの構造
救いの道筋
仏教が見つめてきた深い心理
が込められていることを知りました。
幼い私は、その事実に胸を打たれました。 ただの音読だと思っていた言葉が、 人間の心を深く理解しようとする長い伝統の結晶だった ということを知った驚きと感動── これが、私の宗教的精神史の最初の柱となりました。
◆ 比叡山へ──法然上人の修行の場で感じた尊敬
合宿の後半、私たちは比叡山へ登りました。 そこで、法然上人が若い頃に修行されたお堂に案内されました。
板の間の質素な空間。 夏だったのでまだ過ごしやすかったのですが、 「冬はどれほど寒かったのだろう」と幼い私は想像しました。
その場所で寝泊まりし、修行に励み、 やがて万人を救う教えを確立していった法然上人── その姿を思うと、自然に尊敬の念が湧き上がりました。
宗教は「偉人の物語」ではなく、 実際に生きた人が苦行と祈りの中で掴み取った真理なのだ ということを、私は初めて理解しました。
この理解は、後の私の宗教的アイデンティティの形成に深い影響を与えることになります。
◆ 家に帰ってから、毎日お経を読む小学生になりました
合宿から帰った私は、しばらくの間、毎日お経を読む小学生になりました。 それは義務ではなく、自然に湧き上がる気持ちでした。
お経には深い意味がある
法然上人の修行の姿が心に残っている
自分もその流れの中に少し触れた気がする
そんな思いが、幼い心を静かに満たしていました。
発達心理学でいう「内的世界の形成」が、この頃すでに始まっていたのだと思います。
◆ この体験が、後の宗教的精神史のすべての出発点になりました
知恩院の合宿と比叡山での体験は、 私の宗教的精神史の「原点」であり、 後の人生のすべての宗教的体験の基調音となりました。
20代で宗教的実践に深く関わったときも、 30代で宗教的アイデンティティが肥大したときも、 40代で崩壊し、深い自己否定に沈んだときも、 50代で再生の兆しを見つけたときも、 そして今、老いの発達心理学へ向かう70代の現在も──
あの時の感動は、ずっと私の心の底で静かに響き続けています。
◆ 次回案内
次回は、私の思春期から大学にかけての精神発達の出来事を書いていきます。
(冒頭の写真は知恩院の境内にある鐘)

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