宗教的感性の萌芽から、挫折と再生、
そして老年期の統合へ
序章
◆ 老いの発達心理学に取り組んでいきます
私はこれから、老いの発達心理学に取り組もうと思います。 老いるということは、単に身体が衰えることでも、人生が終わりへ向かうことでもありません。
むしろ老いとは、 人生の意味をもう一度問い直し、心の成長を深めるための、最後の大きな発達段階 だと私は考えています。
発達心理学では、人生は幼年期から老年期まで連続した成長のプロセスと捉えます。 その最終章にあたる老年期こそ、人生全体を統合し、意味づける重要な時期なのです。
◆ 老いを「苦」から「希望」へと捉え直したいと思います
釈迦は「生老病死」を苦と見ました。 しかし現代に生きる私たちは、老いを苦としてだけ捉える必要はありません。
老いの中には、 人生の意味を再発見し、すべてを肯定へと変えていく可能性 が確かに存在します。
釈迦は解脱への道を示すことで希望を掲げましたが、 私はもっと万人向けの、日常の中で老いを希望へと転換する別のアプローチがあるはずだと信じています。
◆ 老いは「その年齢にならなければ体験できない」ものですね
若い頃には老いを想像することはできませんでした。 壮年期にはまだ遠い未来の話でした。
しかし60歳を過ぎると、老いの輪郭が少しずつ見え始めました。 そして70歳の今、私は老いの真っただ中にいます。 ありがたいことに、まだ健康で、知的な考察を深める余裕もあります。
もし80歳、90歳に近づけば、老いを十分に経験したと言えるでしょう。 しかしその時点では、 自分のために老いの見取り図を描くには遅すぎる。
だからこそ、今この時期に、 老いの意味を探り、未来への地図を描いてみたいと思うのです。
◆ 老いを理解するためには「人生全体の構造」への理解が必要です
老いは突然始まるのではありません。 私自身の人生を振り返ると、老いは次のような長い精神史の延長線上に立ち上がってきました。
10代の宗教的感性
20〜30代の宗教的実践
40代の挫折と崩壊
50代の再生
こうした流れの先に、自然に老いが姿を現したのです。
そのため私はまず、宗教的精神史を軸にして、 宗教的アイデンティティの形成と崩壊、そして再生と成熟の物語 を語りたいと思います。
宗教的な観点から見た私の人生こそ、私の本質に最も近いからです。 その精神史を丁寧にたどることで、老いの発達心理学の基礎が自然に浮かび上がるはずです。
◆ 発達心理学の先人たちへの敬意をもって、未開拓の領域へ挑戦します
私には、ずっと心に残っている書物があります。 講談社学術文庫の『ライフサイクルの心理学』──ダニエル・レビンソンの著作です。
レビンソンの実証的研究は、ユング心理学を基盤にしながら、 人生の発達段階を深く、そして人間的に描き出した名著です。
ユングの「人生の午後」というテーマは、 中年以降の私に人生の見取り図を示してくれました。
また、エリクソンは老年期の課題を「統合」と呼びました。 人生全体を肯定し、意味づける段階です。 私はこの考え方にも強い親近感を覚えます。
私はこれらの研究を参考にしつつ、 自分自身の生涯発達の軌跡を概観し、 老いの発達心理学という未開拓の領域に、 自分の人生を素材として切り込んでみたい と思っています。
◆ 外的事実は抽象化し、内面の軌跡は正直に書きます
同時代に生きた関係者への配慮から、外的事実は抽象化して書くことがあります。 しかし、内面の心の軌跡だけは、私の実感に忠実に、ありのままに記すつもりです。
精神史とは、外的事実ではなく、 心の深層で起きた変化の記録 だからです。
◆ 次回の案内
この序章に続いて、私はまず、宗教的な家庭環境と、小学生の頃に参加した知恩院の合宿── 私の宗教的感性の原点から物語を始めたいと思います。
タイトルは、 「物語の始まり──宗教的感性の原点へ」 です。
このシリーズは、できれば週一ぐらいのペースで発表したいと思います。
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