私自身にも感情を隠す癖があることを、自覚させられることがありました。
その時に発見したのは、
<「これが正義だ」と思った段階で、すでに元の感情を自分から隠している。
すり替えることで隠している。>
ということです。
「これが正義だ」と思うことで隠した感情とは、怒りです。
怒りの感情が、正義という思いにすり替わることで、自分がもっている強い怒りの感情に気付けなくなります。
きっかけは、昔の知り合いから、彼が関わっている裁判に陳述書を書いてほしいという依頼を受けたことに始まります。
詳細は省かせていただきますが、私が全くあずかり知らぬところで私の名前が勝手につかわれていたことを知り、それに私が怒りを持ったのです。
その裁判では、私が大昔にある資料の隠ぺいに関わった疑いがあるというような事実無根の噂話を、わたしへの裏付け取材も確認のための電話一本もないまま、唐突に裁判所に陳述書として出されていたのです。
「ジャーナリストを名乗る人間が、裏付けをとらないままずさんな内容を書き散らしているとは許せない。義の為には黙っているわけにはいかない。」
と思いました。
その時に大きく激しい怒りの炎が自分の心の中に燃え上がっていたことには、気が付きませんでした。
実は私は以前、自分の名前を許可なく勝手に使われて、心を傷つけられ、すごくいやな思いを経験したことがあるのです。その際に激しい憤りを感じました。
かつてのその記憶と感情が、この時につながってしまい、そのためによけいに激しい怒りとなったのです。
過去と現在がつながった結果、当時の私は過去の怒りを持った自分の心の状態に戻っていました。つまり、昔の心の状態が、そこに出てきたのです。そして阿修羅のエネルギーとなっているので、敵を求めて荒れていたのです。
このエネルギーの状態のままで、その時頼まれた陳述書を書くと、いたずらに敵を増やし、あらたに争いをまねいてしまう可能性がありました。
怒りのエネルギーが燃えているだけであっても、そういう時には何か自分が生き生きしているような錯覚も覚えるものです。私にはしばしば怒りのエネルギーを原動力にして動いたという経験があったので、その状態に戻ったのです。
怒りのエネルギーを原応力にして動くときは、やっている最中は燃えて活き活きしています。しかし後で疲れが出て、燃え尽きます。
自分が「怒っている」とはっきり認識できていれば、怒りのエネルギーをコントロールすることはできます。
しかし、「正義のために」という思いが「怒りの感情」を隠してしまうと、「怒りの感情」は潜在意識下に押し込められます。潜在意識の下に押し込めて自覚できなくすることを「抑圧」といいます。
私たちは抑圧した「怒りの感情」に、しらずしらずのうちに自分が操られるようになります。
まるで自分が生み出した怒りというエネルギーに憑依され、操られているようになっていくのです。
これが本当の自分の感情を隠してしまう抑圧の怖さです。
だから本当の感情を自覚することが、冷静に適切な行動をするには絶対に必要なのです。
種村修 (種村トランスパーソナル研究所・心理カウンセラー)
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