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焦りにあおられる

 小さな失敗が、いくつか起きた。

それを点検すると、焦りの心があるときに起きている。

昔も、焦りでつまづいているが、それがまた出てきたのか?


小さな失敗の一つは、実家に荷物を送った後、すぐに実家の家族にラインを送ったこと。

家内は一緒に文面を考えて送りたいと言っていたのに、勝手に、先走って、怒られた。

私は荷物を預けた後、「すぐ連絡しなくちゃ」と焦って、歩道に立ってラインしていた。

その時ちらっと家内の言葉はよぎったのに、せかされ煽られるようにラインした。

考えると、焦りの中にあるときの思考は、それ自体が微妙に狂っている。

その思考のどこが悪いかと考える前に、そもそも焦っている自分は何かを見るべきだ。


一刻も速く、家族に伝えたかったのか?

でも、どうして? 

荷物は明日つくから、今晩ラインしても十分間に合う。

家内が買ってくれたものも送るから、一緒に思いを伝えた方が良い。

なのに一人で先走ってしまうのはなぜ?

なぜ待てないの?

子供がすぐに誰かに知らせたくなるように、はしゃいだの?

確かに、私にはそういう傾向はある。

だが、焦った段階で、焦りに煽られていたと思う。

ほら急げ、もっと急げ、急がないと間に合わないぞ!

なにかそういうささやきのエネルギーが来ていたと思う。

そしてそれに操られて行動していた気がする。


株を買う時も経験した。

家内は、いま急に上がったから、また下落するから待てと言った。

私は、もっと上がるんじゃないかと焦って買った。

次の日から下がりだした。

数日後に株価が持ち直したからよかったが、ここでも家内ともめた。


焦りにあおられて招いているのは、家庭の不調和かもしれない。

焦りに煽られると、自分が自分でなくなる。

家庭の調和が崩れる。

その結果、エネルギーをロスしてしまう。


焦ったときは、「それは本当に私の思いなの?」と踏みとどまるべきだと思った。

焦りを取り除いた後に、もう一度同じ結論が出たら、そのときは実行すればよい。

煽られて何かするのはやめよう。

自分が自分でなくなっているから。


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