人を序列や立場で見ると、人の心が見えなくなります。
だから、人を立場で見始めたら要注意です。
私はというと、高校生の時、テストの順位が壁に張り出される環境に置かれ、人をテストの成績順でみる見方を身につけてしまいました。
大学に入ると、人を大学や学部で序列化してみるようになりました。
社会に出ると、地位・ポストや業績の優劣で見るようになりました。
このように常に人を序列や立場で見て、自分が相手とくらべて上か下かを意識するような意識でした。ですから人の心は見えなかった・・・。
これが中年を過ぎると勝組か負け組かというような見方も加わってきました。
もっとも自分は後者だ思い、落ち込んで自己卑下をしていたわけですが。
こうした見方をようやく離れて、個性を平等に見て尊べるようになったのは、還暦を過ぎて、パン屋で働かせてもらうようになってからのことです。
パン屋の仕事は私に意識変革をもたらしました。
私はパン屋がスタートしたばかりの時に入ったので、誰もが素人の状態で出発して、序列がありませんでした。チームワークで仕事をするので、誰かの仕事のサポートという意識も強く芽生えました。年齢も男女も関係なく、一人一人がなくてはならない存在であり、お互いに助け合っています。
ここでは誰かを支える意識と、各個人の個性を平等に見て尊ぶという意識が芽生え育ちました。
私は常に自戒しています。
もし人をすこしでも立場や序列で見始めると、たちまち人の心も自分に心も見えなくなるからです。
だからパン屋でつかんだ人の見方を大事にして、常に忘れまいとしています。
立場で見ないということは、店長や社長もパートの人も平等に見ることを意味します。それは立場の違いでも身分の違いでもなく、役割の違いであるとみるのです。そしてその人の個性や心に意識を向け、その人自身を理解していこうとすると、それが楽しいのです。
種村修 (種村トランスパーソナル研究所・心理カウンセラー)
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