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感情の重要性と隠ぺい⑥…行動と慎重さ




「私の丹田は、私が本にはまり込み、心が成長できない方向に使う時間の長さに恐怖を感じていた」

私は前のブログ(感情の重要性と隠ぺい⑤)でこう書きました。

丹田の意思を感じ取る一つの方法に、腹式呼吸をして息を吐きだすところまで吐き出したうえで肚の意思を見つめるという方法があります。

ある時それに取り組んでいた時に、すさまじい恐怖を感じて、椅子から飛び上がったことがあります。この時に感じた恐怖は、私が三次元的な価値観や知識で固めていく生き方に対して、丹田が感じていた感情でした。私の丹田が私の生き方に恐怖心を持っていたと気づいた時は、さすがにショックでした。

陳述書を巡って感じた私の丹田の恐怖心も、その延長線上にあるものでした。

これを総合すると、私には丹田を見つめることを避けてしまう傾向がある。そして、丹田の思いを、見えたことと考えたことによって曲げたり隠したりする傾向性を持っている。大きすぎる丹田の意思から目を背けようとする。そういう姿が見えてきました。

これは過去世の何らかの傷によるものと思われます。私は過去世でどんな経験をしたのでしょうか。おそらくは、私が丹田の意思を感じ取って行動したことで、すごく怖い体験をした過去があると思います。
丹田の意思に気づいて行動することを怖がっている自分がいる。それは事実だと思います。

でもこういう丹田を無視する傾向性をそのまま推し進めると、私の個性が死んでいきます。
過去世で、丹田の意思をはっきり感じ取り個性を活かす行動にでた。その勢いがよすぎて痛い目に遭った。その時すごく怖い経験をした。そういうことだろうと思います。
でもこれを克服しないと、自分の個性を今世、本当に輝かすことができないで終わってしまいます。

私はもともと好奇心が非常に強く、安全志向の逆で、ここぞと思うと思い切った行動をする性質があります。
京都大学2回生の時に、昭和天皇のご在位五十年の祝賀の主張を学内の圧倒的多数の左翼の暴力にさらされてもやりぬいたのは、その性質の発露であったと思います。また新しい動きに対し、世の中の評価が全く定まらない時期に、自分が正しいと確信するとまっすぐ飛び込むというのも、私の行動にはあります。
またその逆に、すでに大きな存在になった組織にいても、そこがおかしいと確信すると言論で抗議することに躊躇しないという性質もあります。

そういう時に、周囲からのすごい反対や抵抗があります。それは何度も経験しました。
こういう私の人生を振り返ってみると、過去世もなんらか類似するようなことがあったと思います。そこですごく嫌な思いをしただけでなく、おじけづいたと思います。

そこで、過度に臆病になり、知識をいっぱい詰めないと怖くて動けなくなった。これが私のもう一つの姿であると思います。

この傾向を推し進めると、本ばかり読んで行動できない人間になっていきます。私が40代にリストラにあい、未経験の実業に飛び込まなくてはならなくなったときに、怖くて引きこもり状態が2年ほど続き、知識ばかり詰め込もうとしました。これは臆病で知識にしがみつく姿だと思います。
このとき結局は、まず飛び込んで、そこで必要な知識やスキルを身につけながら頑張りぬくことで、自分の居場所ができることを経験しました。

こうして振り返ってみると、私の個性は本来行動的なのではないかと思います。丹田の意思を感じ取り行動することに躊躇しない人間だと思います。
ただし、その時にやり方を誤ると災いを招くので、行動の仕方は慎重に計算することが必要なのだと思います。そういう慎重さも身につけないと、不用意な言動や行動で、自分の針路を阻むエネルギーを自ら呼び込んでしまいます

私の個性を発揮する道は、そうした方向の上にあると思います。

種村修 (種村トランスパーソナル研究所・心理カウンセラー)
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