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個性の発揮という目標




私たちにとって、個性の発揮は、生涯を通じた目標であると思います。

個性とは、大宇宙が分化し、私たちがうまれたときに、私たちがやどしている大宇宙の輝きの一片であると思います。
自分に分け与えられた大宇宙の輝きのかけらである個性を輝かせることが、自分という存在の意味であると思います。
そして、個性を発揮するとことこそ、もっとも全体の役に立ち、調和と発展をもたらすと思います。私たちの個性は、大宇宙が分化したものである以上、個性の発揮は宇宙の成長と調和に寄与するはずです。
私はそういう信念をもっています。

ある方は、「人のために生きないといけない」という衝動があり、心の癖をもっていました。その結果、「誰かのために」といつも忙しく立ち働いてきました。
これは一種の強迫観念でした。
本来は、自分の個性を発揮するのみでいいのです。
それが宇宙における自分の役割であり、本来の在り方であるはずだからです。
個性が発揮されて、自分の本来の姿で生きているとき、一番活き活きと生きることができます。
誰かのためにと力まなくても、結果的に誰かの成長を促していると思います。
これが本来の個性というものではないでしょうか。

私たちにとって、自分を見つめ、自分を知ることが大切なのは、自分の個性を知りそれを発揮することが尊いからであると思います。

本当の意味で個性を発揮している時、私たちは次のような状態にあると思います。
①生き生きとしている。自分がとり組むことにワクワクして、生き生きと生きている状態です。本当の自分を生きているという心地よい感覚です。
②自分の問題を外部要因で説明しない。問題があっても責任転嫁をせず、自分がその問題をまねいている側面があることを認めて認識できています。だから自分で対処できるのです。
③否定発信しない。自分を否定したり、他者や環境を否定する思いや言葉を発しません。すべて肯定します。肯定するとは、一見不都合な嫌なことでも、それには意味があるとみて受け止めることです。そこから成長が始まります。
④意識が成長し、高まっています。人格のたかまり、視野の広がり、包容力のひろがりなど、さまざまな側面で心が成長しています。

心が成長する秘訣を一つだけ挙げるとすると、恐怖や痛みの体験をしたとき、それを否定し封印するのではなく、それと向き合って受け入れることです。そうすると、そこが次の伸びしろになります。
どんなに過酷でも、経験は経験として受け入れ受け止めて、それを経験している自分をも受け入れて、その奥にある意味を見出す努力をするのです。そこには次の成長につながる要素が必ずあります。

個性の発揮は、私たちの日々の課題であるとともに、生涯の目標であると思います。

種村修 (種村トランスパーソナル研究所・心理カウンセラー)
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