自分は実は実力がなく、力がなかったと認めることは、すごく怖いことです。
プライド高く、努力して実績を積んできたという思いがあればあるほど、自分の力のなさを認識するのは、とても怖いことです。
ありのままを受け入れて、そういう自分から再び出発すればいいのですが、それは容易なことではありません。
こんなに修業し努力してきたのに、力がなかった、実力がなかったと気づけば、無気力に陥ります。
それは、今までやってきたことが無意味だった、自分がやってきた努力に意味がなかったという絶望感から生じます。
そして本当の自分の力を受け止めることが怖いので、今までの自分を全否定します。
今までのことを全否定すれば、今の立ち位置を正しく見なくてすむからです。
全否定することは、自分を正しく見ないようにしているのです。
これが自分の過去の全否定の奥にある心理です。
これに立ち向かうには、勇気が必要です。
繰り返します。
自分が自分の力を認めるのが怖くて、ありのままの自分を認め受け入れるのが怖いという恐怖心はすさまじいものです。
それに向き合うのが怖いから、目をそらすために、いままでの自分を全否定するのです。
自分の全否定よって自分の立ち位置が分からなくなれば、自分を正確に見なくてすむので、要するに自分を見つめることから逃げているのです。
自分を見つめることから逃げている姿が、自分の全否定なのです。
くよくよする姿は内向的で自分を見つめているような気がしますが、自己否定があるということは、自分を正しく見つめようとしていないということなのです。
自分を見ることから逃げるのは、怖いからです。
この恐怖心を超えるには勇気しかありません。
まず、正しく自分を見ることから逃げていたことを認めて、逃げ癖をやめようと覚悟することです。
そして勇気を振り絞って、恐怖に向き合うのです。
自分を見ることへの恐怖から目をそらさず、本当の自分を見るのです。
怖さを隠すと、いろんな理由付けをしてごまかします。
人もごまかしますが、何よりも自分自身をごまかします。
本当はものすごく怖い体験をしたのに、それが名誉な経験だったと言ってみたりします。
これは恐怖から目をそらすための詭弁です。
ごまかすことにより恐怖心を潜在意識の奥底に沈めます。
意識しなくてすむようにするのです。
意識されなくなった恐怖心は、無意識のうちに人を操りはじめます。
そして操られていることに自分は気づけません。
恐怖心を抑圧した結果、恐怖心の奴隷になっていくのです。
だから、恐怖心を思いだそうと勇気を奮うことです。
恐怖を名誉とか別の言い訳でごまかすと、恐怖の奥にあるものが見えてきません。
強い恐怖心の奥には自分の根源的な超越潜在意識へと通じる回路があるのです。
自分を見つめ向き合う勇気を奮うと、大きな気づき、大きな回心が生まれます。
この回心は自分を本来の姿へと浄化してくれるのです。
恐怖心を乗り越えて真実の自分と向き合った果てには、本当の自分が顕現します。
それは限りなく尊くいとおしい存在です。
仏性・神性(つまり超越潜在意識)の発露としての自己が顕現し輝きます。
恐怖心の奥に超越潜在意識に近づく気づきがあります。
そこを突き詰めると超越潜在意識に行きつくのです。
恐怖と絶望の地獄の底であると思った場が、光明の場へと変貌するのです。
そういう不思議が、人生にはあると思います。
それはどんな闇黒の経験をしようと、そこから希望へとつながる心の回路があるということだと思います。
別の言い方をすると、あらゆる経験には意味があるということです。
その意味をくみ上げた時、人は成長、そして希望へと向かいます。
種村修 (心理カウンセラー)
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