宗教による洗脳は、深い影響をその人に与えるために、脱会してからも後遺症の除去には時間がかかります。
往々にして夢は、後遺症の存在とその内容を示すサインとなります。従来所属していた宗教にまつわる夢の分析は、非常に重要です。
十数年前まである宗教の職員、いわゆる出家をしていた経験を持つOさんは、ある明け方、夢をみました。
「私は夢の中でその教団の職員をしていました。そこでは職員に対して次から次へと勉強を要請されており、職員たちは数学の勉強をしていました。公文のテキストにとり組んでいる人も何人かはいました。私は同じようにその勉強をしなければと思いながら、少し引いた立場にいたようです。職員時代に味わった、追い立てられるような気持ちがのこっている状態で目が覚めました。」
Oさんによると、この宗教は職員を競わせ、次々と勉強や新しい仕事にまつわる知識の習得を要求していました。それによって、職員を息をつかせない状態におき、常に周りと競わせ、その結果によって優劣をつけます。一つの分野で優れたものをもっても、別の分野、例えば数学(注:これは象徴的な表現です)という宗教とは一見関係が薄いものを学ばせて、競わせるので、職員は常にせかされて追い立てられているのです。
こういう競争状態に常に置かせることで、教祖は弟子が団結することを防止し、教祖の意のままに分断してコントロールしやすい状態においていた気がすると、Oさんは回想しています。
さて、知識の集積は、自分の心の内側を探究するのではなく、外へ外へと意識を向けさせます。本来の自己は何かという、最も本質的な内側への目を閉じさせて、外へ外へと意識を向けてゆきます。常にあたらしく有用な知識が蓄積されていかないと、不安に陥るようになっていきます。
長くこの状態に染まっていると、次第に超越的な存在の一部である価値ある自己を忘れていき、外から何かをつけ足さないと価値が減少してゆく、という自己感覚を、身につけるようになっていきます。
自分の存在自体に価値を見いだせないものは、自分を見失い、自己を喪失します。そして、上や外から与えられる評価つまり有能さや有用性の尺度で自分の価値を図るようになるため、非常にコントロールされやすくなります。
Oさんは、勉強が好きで知識を習得することが好きなタイプでしたが、そこには常に不安と焦りの気持ちが伴っていたといいます。その原因が、かつて身を置いた教団で受けてきた教育にあったことを自覚しました。
Oさんが経験した心の状態は、宗教を関係なく、競争社会に身を置く人が共通して経験することです。有用な知識を身につけること自体は仕事をする上で大切な働きをしますが、その過程で自己の存在の価値を見失い、自分が持っている知識の量や得た資格や残した業績など、自分の外にばかり眼を奪われていくことは危険な面を含んでいます。
なぜなら、有能性や優秀さが証明できなくなったり、有用な役割ができなくなった時に、一気に価値喪失、そして絶望へと陥るからです。この状態は、組織や人にコントロールされやすい状態だと言えます。
Oさんが夢で気づかされたことは、知識を得なければならないという焦りの奥にある強迫観念が、かつての所属宗教で植え付けられたものであること。そしてその結果、自分の存在そのものの価値を見失う、つまり自己信頼を失う傾向性と危険性が生じていたということです。
このように、夢はその人の持っている心の問題の所在を、独特の言葉(イメージ)で表現して、教えてくれることが少なくありません。
Oさんのように、かつての宗教の夢の場合は、その宗教の乗り移り(宗教的には憑依霊とも言われます)が来ていることもあります。
しかし、それはその人の課題がどこにあるかを示してくれているのです。その点を見極めることができると、悪夢であっても、心の成長を促し、洗脳の後遺症を癒すヒントを与えてくれる有意義なものと変わるのです。
種村トランスパーソナル研究所(心理カウンセラー・種村修)
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