1.無気力の奥に不安が潜んでいることがある
私たちが無気力に陥っている時、それが不安から来ていることが少なくないように思います。この場合、無気力に対処するには、まず不安と向き合う必要があります。
私たちがよく経験する不安には、二種類あると思います。
一つは、自分は何か大切なものを失うのではないかという喪失への不安です。
これは、自分の信用やお金や社会的な立場や世間体、大切な人や家族、自分の健康や財産など、大切なものを失うのではないかという不安です。
喪失への不安が強まるときは、「失いたくない」という執着、つまり我欲が非常に強くなっています。我欲が強くなればなるほど、失うことへの不安も強くなります。
こうした場合、失うことを回避しようと必死になることもありますが、事態が自分の手に余ると思うと無気力に陥り、無為に沈みます。
もう一つは、漠然とした未来への不安で、対人関係や仕事や学業がうまくいかないのではないかという不安や、自分の老後の生活や子供の将来、あるいは親の介護などへの不安です。貧困になる不安もあります。
未来をとても暗く感じ、将来への不安がつのります。
未来への不安を感じると、将来への危機感から備えを努力することがありますが、危惧する事態に対応する自分に自信がないと、不安自体が膨らんで無気力になってゆきます。
いずれの場合でも、そうした危惧するような事態が来た時に、対処する自信がない、それを乗り越えてゆく自信がない、要するに自己信頼がない時に、人は無気力に堕してゆくのではないでしょうか。戦う前から気力が萎え、戦闘意欲を失ってしまうのです。
2.不安が実寸よりはるかに大きく見えていないか
要するに、自分の対処能力と不安を比較した時に、不安のほうがはるかに巨大に見えている時は、人は戦闘能力を失い無気力に陥ります。
こういう時は不安が実寸大に見えておらず、はるかに巨大に見えているのです。不安が巨大化して見えており、大きさを勘違いしている状態であるとも言えます。
ですから、その不安は本当はどの程度の大きさであり、自分には本当に対処能力がないのか、それとも普通の人でもある程度努力すればできるのか、それを冷静に見極めようとすることが大切だと思います。
冷静になって、人の経験も参考にしながら、具体的に不安の中味を検討してゆくと、不安が実寸大に捉えられるようになり、すると対処可能性が見えてくるし、今なすべきことが見えてきます。
その不安も、努力で解決できる範囲内であると見えてくると、挑戦する意欲が出てくるものです。
また具体的に検討するすべが分からない場合でも、「神様は私たちが背負えない課題はお与えにならない」と信じ、自分にそう言い聞かせることで、不安に位負けして気力が萎える事態は避けられます。
3.今、ここに集中する
こうした不安は、未来への不安、将来の自分への不安です。
将来が不安になると、意識が「今」「ここ」の瞬間に集中できなくなり、本来の力を発揮できなくなります。悲観的な未来ばかりが心に押し寄せて、今という時間を食いつぶしていくのです。これは取り越し苦労であり、今抱えていない荷物を背負いこんだ状態です。
そういう時は、必ずと言ってよいほど焦りを伴っているように思います。
「今」、「ここ」に集中していれば、今、ここでなす努力の積み重ねが明るい未来を作ってゆくと、そう信じることができます。
しかし、今、ここに集中できず、努力できないでいると、よき種をまかないので未来でも収穫ができず、まさに不安が現実となってきます。自分が不安を実現化し呼び込んでしまうのです。
特に不安がつのってパニックになる癖があると、そこで気持ちが止まってしまい無気力になり足が縮んでしまいます。
しかしこれは自分にのしかかる不安の影に怯えて、歩けなくなっているにすぎません。不安を実寸大で見てみよう、そして今できる努力を積み重ねようと、まずそう思うことです。
不安の時であっても、私たちは自分の歩幅で一歩を歩くことは可能です。
千里の道も一歩からです。一歩一歩の積み重ねが、未来を切り開きます。
未来への不安をひとまずは頭の中から追い出して、「今」、「ここ」に集中して、自分の歩幅で歩きだすことが必要です。
すると幸福な気持ち、いのちが充実する感覚、やる気のエネルギーが湧いてくるのを感じると思います。
4.依存を警戒する
不安が高じて無気力になると、人は不安から気持ちをそらすために、依存する対象を求めるようになりがちです。
依存とは、不安を抑圧するためにゲームやネットにはまったり、飲酒や薬物にたよったり、過食や逸脱した性行為にふけるなどの行為です。不安を忘れたくて気持ちを紛らわせてくれるものにのめり込んでゆきがちです。これは逃避です。
私たちは往々にしてこみあげる不安から目をそらすために、やるべきことにとり組まず、気晴らしに走って気持ちを紛らわそうとすることがあります。
でも依存は実際には不安を抑圧して、現実から逃避しているだけなので、潜在意識下にはさらに不安が膨らんでゆくのを感じています。
こうなると、膨らむ不安からますます無気力になり、さらに依存にのめりこんでいくという悪循環には陥ります。
依存には、物や行為への依存とは別に、人への依存もあります。人への依存は、不安が巨大化し無気力に陥った場合には、ある程度必要です。
ですが、これもやがては自分の足で立とうとしないと、自分の自己信頼を損なう恐れがあります。自己信頼を失い、誰かに頼らないと物事に対処できない自分という、非常に弱い自己像に囚われてしまいます。
何か不安があるたびに誰かに頼る癖をつけると、その成長が止まってしまうので、自分の足で歩こうとする勇気と決意、そして自己への信頼が必要です。
5.大言壮語の裏側にあるもの
努力しないのにプライドだけが高く、大きなことをいう癖があるというケースがあります。実は自分の不安を隠すために、大きなことを言って自分や周りを洗脳していることがあるのです。
自分が本当に実現したい目標であれば、どんなに大きな目標や夢でも、それは努力を促すエネルギーの源となります。ですが、不安を隠すための大言壮語は、自信がない自分を、自分が見たくなく人にも見せたくもなくて、カモフラージュしているにすぎません。
言葉だけカッコいいが、現実の努力が少しも伴わなかったり、あるいはある程度努力をしても、本音の部分で自信がないので突然うつ状態になったりして、感情の起伏が激しくなります。
やはり、「乗り越えられない課題を神様は与えることはない」「今、ここで努力し成長することで、必ず乗り越えてゆける」と信じて、自分の歩幅で毎日一歩ずつ休まずに歩み続けることが大切ではないでしょうか。
(なおここで、「神様」という言葉を使ったのは、「運命」と言いかえても問題はありません。特定の宗教やその教義をさすものではありません。)
不安から目をそらさず、不安に飲み込まれずに、現実の自分と向き合いながら、一歩一歩毎日努力を続けること。これが自己成長への王道であると思います。
心理カウンセラー・種村修 (種村トランスパーソナル研究所)
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