スキップしてメイン コンテンツに移動

呼吸法について



   丹田呼吸法

呼吸法というのは、超越心理学(トランスパーソナル心理学)においては、基幹となるものです。心と体を整えるうえでの基礎だからです。

 呼吸で最も基本とするべきは丹田呼吸です。下腹部に腹圧を加えて丹田を動かしながら深い呼吸をするのが丹田呼吸です。釈尊が生涯実践された呼吸法であるアナパーナサチはこの丹田呼吸のことで、吐く息を長くし、吸う時には力を緩めて自然に息が入るに任せます。白隠禅師が禅病にかかり進退窮まった時に、師に教わって健康を回復し、その後の悟りを進めたのも、この呼吸法の実践をしたからです。

 丹田呼吸法というのは、体と心の健康の基礎になるものです。呼吸法には西洋と東洋で違いがありますが、呼吸法が心身の健康にとって重要であるというのは、西洋でも同じです。たとえば米国の代替医療の権威であるアンドルー・ワイル博士が自著の中で様々な健康法を紹介した後、「もしたった一つ健康法を選ぶなら、私は呼吸法をすすめる」と述べていることでもわかります。不思議なことに西欧の呼吸法では丹田呼吸法があまり説かれなかったのですが、近年は禅や上座部仏教などが米国にも広がり、マインドフルネス瞑想法という名前で禅的もしくは仏教的な瞑想法が普及し、そこでは丹田呼吸が指導されているようです。

 

   丹田呼吸の身体への効用

 丹田呼吸の効用について、体と心の両面から説明したいと思います。

 丹田呼吸法をすると、まず下腹部から大量の血液が心臓へと送り込まれ、全身の血流が増大します。必然的に脳の血流も増加するため、頭の働きがさえてきます。また全身の血行が良くなるので、全身の細胞に新鮮な血液が多く運ばれ、新陳代謝が高まります。座って生活する現代人は、血流が滞りがちで、全身の細胞が弱まり高血圧にもなりやすいのですが、それが解消できるので血圧は安定します。また体温も上昇しますので、冷え性の対策にもなります。

 第二に丹田呼吸を繰り返すと、横隔膜が肺の空気を大量に押し出し、その分新鮮な空気が肺に取り込まれるため、新鮮な酸素が大量に肺に補給されるのです。その結果、血液に膨大な酸素が取り込まれて、全身に送られます。すると全身の細胞は二酸化炭素を排出し酸素を取り込みます。癌は血流が滞ったり、血中に酸素が欠乏すると起きやすいことが知られていますので、丹田呼吸を実践すると癌予防にもなるわけです。

 新鮮な酸素をふくんだ血流が全身を巡ることで、全身の細胞が生き生きとし、また脳が活発に働き出す。これが丹田呼吸で健康が増進する理由です。

 

   丹田呼吸の心への効用

 次に丹田呼吸が心の面に及ぼす影響を述べます。丹田呼吸は呼気を長く時間をかけて行い、吸気を短く行います。吐く息(呼気)が吸う息(吸気)よりも長くなると、副交感神経が優位の状態に自動的に切り替わります。副交感神経が優位の状態とは、リラックスした状態になるということです。この状態が続くと、表面意識の働きが抑制され潜在意識との交流ができやすくなります。ベーター波からアルファー波、さらにはシーター波へと切り替わるのです。瞑想で呼吸法が重視されるのは、この作用があるからです。

 また丹田呼吸法を続けると、脳内物質としてセレトニンが分泌されることが知られています。セレトニンとは心を安定させ、平安な気持ちにさせる働きを持つ物質です。ストレスを軽減するには不可欠の脳内物質です。つまり丹田呼吸法には、心を平静に安定させ、ストレスを軽減する効果があるのです。

 さらに集中力が増大します。これは脳内の血流が増大していることとも関係すると思われますが、精神集中力が増すので、智慧を得たり、仕事の能率を上げるには、非常に大きな効果があるのです。

 丹田呼吸法は、それがすすんでアナパーナサチと呼ばれる呼吸法になると、心の雑念が止まり、物事を深く観察できるようになり、智慧の目を開きます。潜在意識との交流が伴うので、深い智慧が湧いてくるようになるのです。

 近代日本にこの呼吸法を本格的に実践し普及させたのは、社団法人調和道協会会長の藤田霊斎氏ですが、それを引き継いだ村木弘昌医学博士が『釈尊の呼吸法』『白隠の丹田呼吸法』などの良書を著して啓蒙されています。医療や教育界でも、当代一流の人により丹田呼吸法が紹介され効果を上げています。私は心理療法には丹田呼吸は欠かせないと思いますが、そうしたものと無縁の人でも、心身の健康増進に丹田呼吸法を実践されることをお勧めします。(種村)

関連記事・心身を健康にする呼吸法の勧め

<連絡先>

種村トランスパーソナル研究所

電話:090-8051-8198

コメント

このブログの人気の投稿

自己特別視と依存の心理

自分を特別視して肥大した自我を持つ人には、しばしば依存心が見られます。
プライドが高く自分は特別にすごい人間だと、内心思っているのに、世間で通用するような実績や成果が出ないで屈折する人がいます。 素質を持ちながらも、この人の心理の奥に依存心が潜んでいて、それがその人の努力と成長を妨げているのです。
よくあるケースとして、生育過程でその人が親や祖父母から特別扱いをされ、それゆえに自己特別視と依存の心理が育ってしまう場合です。
ある男性の家系では、3~4代前のご先祖の当主が自殺したそうです。それまで栄えていた家は、そこから暗転し、それ以降は、家系には男子が恵まれず、産まれても育たずに早死にし、女性によって細々と血筋が守られてきました。 その男性は、この家系にようやく生まれ育った待望の男児でありました。 ですから、祖父母やご両親の愛情と期待を一身に受けながら、特別な存在として大切に育てらたのです。 この男性にとっては、自分は特別な存在であるということは周囲から植えつけられた、空気のように当たり前の固定観念でした。そして非常に大事にされて育ったので、自分は特別な存在だから愛される、愛されて当然の存在だという気持ちも無意識に育っていたのです。それは依存心につながるものでした。
こうした特殊事情がなくても、普通に長男としてその家に生まれ、祖父母が特別長男をかわいがる場合、よく似た現象が見られることがあります。
長男として生まれた男児を、祖父母が特別愛情を注ぎ、何でも先回りして世話を焼き、母親も同じように手をかけて息子を育てた場合に、それが生じます。
本人は、自分は特別であるという自己特別視を持っており、自分の価値基準に反する学友を蔑視しがちです。無条件に大切にされてきたので、愛されるのが当たり前だという気持ちがあり、人の感情に対して無神経になります。その結果、積極的に自分から人に関わるコミュニケーション能力が育たず、孤独で孤立しています。
彼には親や祖父母への依存心が根っ子にあるので、無意識に誰かが何とかしてくれるという気持ちがあり、自立してゆくための気力や努力が乏しくなります。「自分は特別だから愛され大切にされて当然だ」という思い込みがあるので、感謝の薄い、傲慢な人間になりやすいのです。また努力が乏しく、人の世話になることに平気です。
こうして「自分は特別の人間だ」という思い込みが、「肥大した自我…

価値観の偏りの修正

私が自分を振り返ったとき、一つの価値観の偏りがあると思いました。 私には「頭で考えすぎる」癖がありました。 それと並行して心を軽視して、さらに行動を軽視していたのです。
頭で考えることと、心がとらえていることに気づくのは大きく違います。 自分の丹田がどうとらえているかを把握することが、本当の意味で心でとらえるということです。それは思考ではなく直感の働きです。
心の働きを強めるには、相手の立場や、さらに上位の方の立場で思いを巡らせるということが必要になります。 後者でいうと日本の場合には、神道の神の立場でどう考えるかという見方があります。
その立場からみれば、この世の成功に目が向きすぎて心の成長に真剣ではないなら、どれほど熱心に仕事をしていても、怠けだと見えると思います。
心の成長に真剣であるとは、一つにはこういうことです。
神様に、あるいは自分の心に問いかける質問として、「成功するにはどうしたらいいか」と問うのでは、心不在です。 「もう一段バージョンアップしたいができないのでどうしたらいいでしょうか」と問い掛けるとしたら、これは心の成長を含めた問いかけになります。
神社で導きをお願いするときには、さらに注意することがあるように感じます。 神道の神様は私たちの覚悟を問われるということです。
ここでは「神様は」、という言い方をしましたが、本当に成長しようとして導きを求めるのなら、どなたであれ覚悟を見られると思います。その覚悟に応じて指導をいただけると思います。その相手が神様なら、より真剣なものが求められると思います。
覚悟は何処で見るのでしょうか。それは行動です。導きを受けた時、それを本気で実行しているか、いい加減にしているかで、覚悟がわかります。行動しない自分に、それ以上の導きは来ないと覚悟するべきだと思います。
この機微を分かりやすく伝えてくれるのが、わらしべ長者の昔話です。わらしべ長者は観音様に祈ったところ、観音様は「最初に手にしたものを大切にせよ」と、声なき声で心に伝えてこられました。それを素直に信じて最初に手にした一本のわらしべでした。これを大切にすることで運命が開けたというのがこのお話です。
さて、私はこう気付いてから、頭で考えて知恵を得ることが尊いという価値観には距離を置き、行動して自分を変えていく努力こそ尊いという価値観に変えようとしてきました。そして、加えて丹田の意思をしっかり感じ…