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投稿

「仕えたい」という気持ち

 69年間の人生を歩んできて、自分の意識が切り替わっているのを感じた時期があった。 人生の前半と後半とを分かつ変化だった。 40代前半、私が勤めていた教団で実質的なリストラに遭遇し、それまで世俗の世界と考えていた世界に投げ出されたときが分岐点だった。 前半では私の意識に強くあったのは、自分の優秀性を自己確認したい、周りから認められたいという自己顕示欲であったと思う。 それは自己を実現して、自己を輝かせたいという気持ちに付随するものであった。意識の焦点は自分にあった。 しかし、後半の人生に入って、自分は誰かに仕えたいという強い気持ちがあることに気が付いた。その方を支え、その方の使命をともに実現したいという気持ちだった。 私が還俗して、最初に仕えたリーダーは、先代が創業した会社を継いだ二代目社長だった。 信用不安のなか存立の危機にあった企業だったが、社長は心の広い人であった。 この人を支えたい、この人のためなら苦労をいとわないという気持ちを味わった。 その後、何人か仕える人は変わったが、仕えたいという気持ちは変わらない。 自分が心から仕えることができる人を探していたと思う。 もっともっと良く仕えるために自分を磨きたい。健康も増進したい。 残りの生涯を、その人に仕えるために費やし、その人を支えたい。 そういう思いが、現在も脈打っているのを感じている。
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阿修羅と恐怖心

  私がBという宗教団体で法戦の担当をしていた時に経験したことである。 折伏で名高い日蓮宗系統の某大教団に対し、新興勢力のBは理論的な戦いを挑んで、 自教団の勢力を拡大しようとした。 教団職員の誰もが緊張し、恐れ、これからの闘いに身震いした。 私は、法戦担当として、その教団の教えを真っ向から批判する論文を何本も書いた。 やがてそれは数冊の書籍として発刊され、書店に並んだ。 そのころの私は、鎧兜で身を固め、鋭利な長剣をもって完全武装している自分を常にイメージしていた。 そして自宅でも敵愾心を掻き立て、相手と切り結んでいる自分をイメージし続けた。 半年以上はこの精神状態が続いたと思う。 結果、私は自分自身が阿修羅化してしたことを自覚した。 怒りが強くなり、敵を倒すことに執念を持ち、心が戦闘状態を離れなくなった。 性欲も強くなった。そのコントロールがむつかしく感じて、苦しんだ。 過度のストレスが強い性欲を呼び起こすことを、私は経験した。 B教団の路線が変わり報戦の担当から外れても、1年以上は阿修羅化した状態が抜けなかった。 なぜ私は阿修羅化したのか。 それは折伏教団に対して折伏で対抗しようとし、巨大な阿修羅教団に対し自らも阿修羅化することで恐怖を克服し、敵愾心を掻き立てようとしたからだ。 そう。私には恐怖心があったのだ。 その恐怖心を抑え込むために、自分を完全武装の状態にあるとイメージし、常に敵愾心を掻き立てる必要があったのだ。 当時の私は自分の恐怖心に気が付いていなかった。抑圧したからだ。 心の奥に抑え込んでふたをすることで、任務を追行しようとした。 そのため心にある恐怖心から目を背けた。 自分の恐怖心と向き合えていなかった。 抑圧した恐怖心は阿修羅の仮面をまとう。 強さを演じる自分の奥に弱さがある。 その弱さを自覚しないと、阿修羅というペルソナ、つまり仮面だが、と自分が一体化し、そのペルソナが自分になる。 今なら思う。 B教団への法戦は、穏やかな心で、常に澄み切った波立たない湖面のような心の状態で行うべきだった。 折伏に対しては戦闘モードで戦おうとせず、どこまでも穏やかな心で、湧き出す智慧の刀を振るえたらよかった。 相手だけを切る刀ではなく、己の過ちをも切り取る智慧の刃で相対するべきだった。 そうすれば自分も阿修羅化しなかったはずだ。 自分の恐怖と向き合う勇気...

変化を楽しむ

 年齢を重ねても、意識的に 自分が変化しようと行動する ことで、固まって停滞していく危険性を打破できるのではないかと思います。 特に自分の中に 停滞感 を感じたときは、やはり小さな変化にトライすべきときだという、 サイン ではないかと思います。 私が、最近取り組み始めたのは、ある程度難関と言われている資格試験の準備です。合格して新しい仕事にも挑戦してみようと思って始めました。 新しい勉強は自分が全く知らなかった世界を教えてくれますし、それが実って新しい仕事の可能性が出てくることは、新しい希望です。 勉強自体は、もともと私なりに取り組みのスタイルがあるので、とにかくできるだけ毎日、すこしずつをモットーに、過去問中心の勉強法に取り組んでいます。 だいたい一年ぐらいの取り組みで、新しい資格を手にできれば、いいかなと思っています。 新しい行動 は、 新しい自分 を創ります。 行動 が変わると、人は変化します。 意識して変化し続けていくことで、固まらず、流動性を失わず、成長し続ける自分を維持できると思います。 そして、それは何より楽しいことです。 常に新鮮な風を、自らに送り込むということは、気分がいいものです。

変化する

変化をやめたとき成長は止まります。 成長は、たえざる変化を伴うものだからです。 でも、年を取ると、同じことの繰り返しが増え、同じ思いに固定化しがちです。 年齢を重ねるほど、意識して「変化」に取り組なまいと、知らず知らずのうちに固まります。 死後の世界。 あの世の世界は、非常に変化に乏しい世界ではないかと思います。 ある思いに固まると、それがなかなか変化せず、長い時間継続すると思われます。 地獄での長い苦しみを仏教は説きますが、それだけあの世で変化することは難しいということでしょう。 変化しにくいということは、成長もまたすごくしずらいということです。 成長する場として、この世の世界があると思っています。 あの世とこの世の転生輪廻は、大きな変化を起こし、成長を促進するための仕組みです。 魂の急激な成長の場がこの世で、そこに繰り返し生まれ変わることで、永遠の成長を続ける仕組みがある。 そう思うと、今この世を生きている時間が、限りなく尊いものに思えます。 だから、変化を大事にしたいです。 固まらないで変化を楽しんで、自分を常に成長させていきたいです。 年を重ねるほど、変化は意識して努力しないとできないと思います。 変化したい。成長し続けたい。 その強い思いが、変化の原動力だと思います。

年の暮れに明治神宮参拝をしました

令和3年(2021年)12月24日、朝、明治神宮に参拝しました。 来年の目標を立てるために、本当の自分の決意を確認するためです。 明治神宮の結界は素晴らしく、鳥居を入った瞬間から心が鎮まります。 代々木の杜(もり)の長い参道を歩くうちにどんどん清明な気持ちに切り替わってきます。 南神門を入り、社殿に拝礼すると、肚の奥から言葉がでてきました。 「私は〇〇を必ず実現する覚悟です。」 それは、そのまま祈りの言葉となりました。 自分は本当に〇〇を成し遂げたいんだ。それが私の覚悟なんだ。 そう、はっきりと自己確認できました。 ならば具体的にやることを決め、持続し、やり遂げるのみです。 おみくじを引きました。 ご祭神でもある昭憲皇太后の御歌で、「謙遜」のお題がありました。 「高山のかげをうつしてゆく水の ひききにつくを心ともがな」 清らかな澄み切った川の水が、高い山の姿を映しとりながら、低く流れていく謙虚な姿を、己の模範として生きなさいという趣旨です。 これは高い理想を貫きなさいということでしょうし、それには心の清らかさと謙虚さが不可欠です、と言われていると感じました。 神社は、本当の自分と出会う最適の場所です。 特に明治神宮のような結界が強い神社では、本当の自分の思いを自覚しやすい。 ここで祈った覚悟は、明治神宮の神々にお伝えしたので、緊張し、身が引き締まります。 成就を願い「心願成就」のお守りをいただきました。 そして「御歌」で心構えをお示しいただきました。 こうした形で神との交流が許されていることは、幸せです。 これからも、節目節目で明治神宮にお参りしていきたいと思っています。

丹田を動かす生活

 丹田を動かすということは、自分の全エネルギーが最もイキイキと発動できる状態にすることです。 肉体のエネルギーと潜在意識のエネルギーの両方を、自分なりにベストの状態で使えるようにすることです。 それは通常、下腹部にある渦巻き状の丹田のエネルギーが、私の場合は右回りに回っている状態でもあります。 丹田が動いている時は、自分が躍動している状態であり、直観が正しく働く状態でもあります。 この状態を創るために、私なりに工夫した朝の習慣があります。 1、近隣の神社に参拝する(帰ってからは自宅の神棚に参拝します) 2、私の誓いの言葉・祈りを唱える 3、君が代を腹の底から歌う(歌手の君が代と一緒に歌うと声が出ます) 4、筋トレをする(椅子をつかったスクワット、腹筋、腕立て伏せ) 5、真向法とストレッチで下半身の筋を伸ばす 6、丹田を意識しての呼吸法をし、自分を白紙にする 朝の時間にこうしたことがたっぷりできるのは、午前中は比較的時間が自由にできるからだと思います。 65歳という年齢にある私は、時間が比較的自由に使えます。 特定の仕事に拘束される時間が少ないからです。 しかしその反面、自分が日々の方向を決めないと、人生が進みません。 進路を決める際に、丹田が動いているかどうかは、決定的に重要です。 自分が自分であり、直感が正しく働かないと、自分が本当に願う人生をイキイキと生きることができないからです。 丹田を動かすための一つ一つの習慣は、いろいろ試行錯誤する中で固まってきたものです。 それらはいままでも触れてきたことですが、順を追って取り組みの内容をひとつずつ書いていきたいと思います。 (次回に続く)

勇気を与えられた本『ブログ飯』

 最近、すごく共感して読んだ本がある。 染谷昌利著の『ブログ飯』だ。 ブログで飯生計を立てる術(すべ)を書いた本らしい、というので読みだした。 著者の染谷さんは1975年生れ。私より10歳若い。 文章がうまく、とても魅力的な人だ。 彼は30歳の時、ブログだけで生計を立てることを決意し、会社を辞めた。 奮闘するも、1年後に貯金が底をつきかけ、万策尽きて撤退を覚悟。 その時だ。 一つのブログがヒットして壁を超えた。 この本には、奥さんと子供一人と猫一匹を、ブログで一つで支えてきた9年間の経験の蓄積が、たっぷりぶち込まれている。 だからノウハウの本かと思うと、実は人生論なのだ。 ちなみに本の副題は「個性を収入に変える生き方」だ。 自分の個性をとことん磨き、しかもそれを収入に変える術と生き方が書かれている。 ブログの技術にとどまらず、「生き方」にまで踏み込んだところがすごい。 いぶし銀色の光を感じた。 ぐいとひかれて2回読んだ。本は線で真っ赤になった。 この本には明確なメッセージがある。それが私に勇気を与えてくれた。  インターネットの世界では、人と違うあなたの個性こそが価値を持つ。  だから個性を磨き続け、個性を成長させ続けることだ。  それが人の役に立つ表現を得た時、人に必要とされ、自分の足で世に立てるようになる。 染谷さんの主張は、説得力があり、心に沁み込んできた。 覚悟も迫られた。 あなたはどこまでやるつもりなのか、本当にやるのか、と。 とりわけ最後の著者の言葉に、胸が熱くなった。勇気が湧いた。   あなたの経験、知識は誰かが必要としています。  あなたの情報を求めている人は必ず居ます。  あなたの声がその人に届くまで、諦めずに続けてください。 この励ましに応える意味でも、私はこのブログを書き続けていきたいと思う。 ( ブログ飯 個性を収入に変える生き方 | 染谷 昌利, 大場ミミコ |本 | 通販 | Amazon )