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変化する

変化をやめたとき成長は止まります。 成長は、たえざる変化を伴うものだからです。 でも、年を取ると、同じことの繰り返しが増え、同じ思いに固定化しがちです。 年齢を重ねるほど、意識して「変化」に取り組なまいと、知らず知らずのうちに固まります。 死後の世界。 あの世の世界は、非常に変化に乏しい世界ではないかと思います。 ある思いに固まると、それがなかなか変化せず、長い時間継続すると思われます。 地獄での長い苦しみを仏教は説きますが、それだけあの世で変化することは難しいということでしょう。 変化しにくいということは、成長もまたすごくしずらいということです。 成長する場として、この世の世界があると思っています。 あの世とこの世の転生輪廻は、大きな変化を起こし、成長を促進するための仕組みです。 魂の急激な成長の場がこの世で、そこに繰り返し生まれ変わることで、永遠の成長を続ける仕組みがある。 そう思うと、今この世を生きている時間が、限りなく尊いものに思えます。 だから、変化を大事にしたいです。 固まらないで変化を楽しんで、自分を常に成長させていきたいです。 年を重ねるほど、変化は意識して努力しないとできないと思います。 変化したい。成長し続けたい。 その強い思いが、変化の原動力だと思います。
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年の暮れに明治神宮参拝をしました

令和3年(2021年)12月24日、朝、明治神宮に参拝しました。 来年の目標を立てるために、本当の自分の決意を確認するためです。 明治神宮の結界は素晴らしく、鳥居を入った瞬間から心が鎮まります。 代々木の杜(もり)の長い参道を歩くうちにどんどん清明な気持ちに切り替わってきます。 南神門を入り、社殿に拝礼すると、肚の奥から言葉がでてきました。 「私は〇〇を必ず実現する覚悟です。」 それは、そのまま祈りの言葉となりました。 自分は本当に〇〇を成し遂げたいんだ。それが私の覚悟なんだ。 そう、はっきりと自己確認できました。 ならば具体的にやることを決め、持続し、やり遂げるのみです。 おみくじを引きました。 ご祭神でもある昭憲皇太后の御歌で、「謙遜」のお題がありました。 「高山のかげをうつしてゆく水の ひききにつくを心ともがな」 清らかな澄み切った川の水が、高い山の姿を映しとりながら、低く流れていく謙虚な姿を、己の模範として生きなさいという趣旨です。 これは高い理想を貫きなさいということでしょうし、それには心の清らかさと謙虚さが不可欠です、と言われていると感じました。 神社は、本当の自分と出会う最適の場所です。 特に明治神宮のような結界が強い神社では、本当の自分の思いを自覚しやすい。 ここで祈った覚悟は、明治神宮の神々にお伝えしたので、緊張し、身が引き締まります。 成就を願い「心願成就」のお守りをいただきました。 そして「御歌」で心構えをお示しいただきました。 こうした形で神との交流が許されていることは、幸せです。 これからも、節目節目で明治神宮にお参りしていきたいと思っています。

丹田を動かす生活

 丹田を動かすということは、自分の全エネルギーが最もイキイキと発動できる状態にすることです。 肉体のエネルギーと潜在意識のエネルギーの両方を、自分なりにベストの状態で使えるようにすることです。 それは通常、下腹部にある渦巻き状の丹田のエネルギーが、私の場合は右回りに回っている状態でもあります。 丹田が動いている時は、自分が躍動している状態であり、直観が正しく働く状態でもあります。 この状態を創るために、私なりに工夫した朝の習慣があります。 1、近隣の神社に参拝する(帰ってからは自宅の神棚に参拝します) 2、私の誓いの言葉・祈りを唱える 3、君が代を腹の底から歌う(歌手の君が代と一緒に歌うと声が出ます) 4、筋トレをする(椅子をつかったスクワット、腹筋、腕立て伏せ) 5、真向法とストレッチで下半身の筋を伸ばす 6、丹田を意識しての呼吸法をし、自分を白紙にする 朝の時間にこうしたことがたっぷりできるのは、午前中は比較的時間が自由にできるからだと思います。 65歳という年齢にある私は、時間が比較的自由に使えます。 特定の仕事に拘束される時間が少ないからです。 しかしその反面、自分が日々の方向を決めないと、人生が進みません。 進路を決める際に、丹田が動いているかどうかは、決定的に重要です。 自分が自分であり、直感が正しく働かないと、自分が本当に願う人生をイキイキと生きることができないからです。 丹田を動かすための一つ一つの習慣は、いろいろ試行錯誤する中で固まってきたものです。 それらはいままでも触れてきたことですが、順を追って取り組みの内容をひとつずつ書いていきたいと思います。 (次回に続く)

勇気を与えられた本『ブログ飯』

 最近、すごく共感して読んだ本がある。 染谷昌利著の『ブログ飯』だ。 ブログで飯生計を立てる術(すべ)を書いた本らしい、というので読みだした。 著者の染谷さんは1975年生れ。私より10歳若い。 文章がうまく、とても魅力的な人だ。 彼は30歳の時、ブログだけで生計を立てることを決意し、会社を辞めた。 奮闘するも、1年後に貯金が底をつきかけ、万策尽きて撤退を覚悟。 その時だ。 一つのブログがヒットして壁を超えた。 この本には、奥さんと子供一人と猫一匹を、ブログで一つで支えてきた9年間の経験の蓄積が、たっぷりぶち込まれている。 だからノウハウの本かと思うと、実は人生論なのだ。 ちなみに本の副題は「個性を収入に変える生き方」だ。 自分の個性をとことん磨き、しかもそれを収入に変える術と生き方が書かれている。 ブログの技術にとどまらず、「生き方」にまで踏み込んだところがすごい。 いぶし銀色の光を感じた。 ぐいとひかれて2回読んだ。本は線で真っ赤になった。 この本には明確なメッセージがある。それが私に勇気を与えてくれた。  インターネットの世界では、人と違うあなたの個性こそが価値を持つ。  だから個性を磨き続け、個性を成長させ続けることだ。  それが人の役に立つ表現を得た時、人に必要とされ、自分の足で世に立てるようになる。 染谷さんの主張は、説得力があり、心に沁み込んできた。 覚悟も迫られた。 あなたはどこまでやるつもりなのか、本当にやるのか、と。 とりわけ最後の著者の言葉に、胸が熱くなった。勇気が湧いた。   あなたの経験、知識は誰かが必要としています。  あなたの情報を求めている人は必ず居ます。  あなたの声がその人に届くまで、諦めずに続けてください。 この励ましに応える意味でも、私はこのブログを書き続けていきたいと思う。 ( ブログ飯 個性を収入に変える生き方 | 染谷 昌利, 大場ミミコ |本 | 通販 | Amazon )

比較して傷つく心

 何かモヤモヤして、気分が重くなる時、心の中で何かの感情が動いています。 それは何だろうと見つめていくと、ある時、ハッと気づきが生まれることがあります。 それがはっきり見えると、自分の中のモヤモヤが退いていきます。 内からのサインを受け取ったからです。 最近のことです。 エジソンの英語で書かれた伝記を読んだあと、そのモヤモヤを感じました。 その直前に『ブログ飯』という本も読んでいて、そのあたりから兆しがありました。 本の内容には感動しているのに、モヤモヤして暗くなっていく感覚が胸に渦巻きます。 何だろうこれは、何を伝えようとしているもやもやなんだろうか? そう意識して生活していると、ある時、ふっと気づきました。 人と比較して傷つく心だ、と。 エジソンの、どんな挫折や苦難や悲しみがあっても、より一層仕事に打ち込むことで乗り越えていった生涯。 それと比べると、私はいかに立ち止まり、停滞する時間が長かったのか・・・。 また『ブログ飯』の著者が、会社を辞めてブログで家族の生活を支えるまでの努力と比べて、自分の覚悟がどれほど甘かったのか・・・。 そして、人と比較して傷ついていたのです。 では、どうしたらいいか?  傷ついている状態を脱するには、人を比較の対象にせず、学びの対象にすればよい お互いに成長し合うために、異なった個性があるのだから、比較して自分を否定視して傷つくのではなく、学べばいいじゃないか。 でも、それだけでは足りない気がする・・・。 もし、何か自分に足りないものに気づけと言われているとしたら、それは何か。 著者がブログで飯を食えるようになるために、新しいことに取り組み、とことん追求した時の覚悟、エジソンが新しい発明に取り組んだ覚悟、これが足りないと言われている。 覚悟の甘さ、それに尽きる。 覚悟をもってブログを書き続け、自分が発信するもので多くの人のお役に立てるように。

君が代の効果

朝の散歩のときに、君が代を歌うと、歩く姿勢が変わります 君が代は、下腹に力を入れないと歌えません。 だから自然に腰が入り、背筋がピンと伸びてきます。 人間は年を取ると、歩き方が変化します。 とかく腰に力が入らない、ややかがんだ歩き方になりがちです。 しかし君が代を歌うと、自然に姿勢が伸びて腰に力が入った、若々しい歩きに変わります。 若いころに踊りやバレーをやった人は、姿勢がきれいです。 背筋がピンと伸び、下腹の丹田に力が入った姿勢で動かれます。 歩く姿勢も、美しいなと思います。 でもバレーも踊りもできない私でも、君が代を歌うと歩く姿勢が見事に変わります。 自分が若々しく、凛とした気持ちに切り替わります。 これは君が代の効果だと思います。

君が代を歌うと祓える

 君が代は不思議な歌だと思う。 しっかりと君が代を歌いきると、雑念を祓えてしまうのだ。 君が代は、丹田に力をこめないと歌えない。 そうでないと、のどを痛めてしまう。 肚から歌わないと、安定した声が出ない。 丹田に力をこめしっかり君が代を歌うと、体中が熱くなった。 気が付くと全身、汗をかいている。 自分のエネルギーが活性化しているのだ。 自分の丹田が動き出し、個性のバイブレーションが振動したから、雑念を祓えたと思う。 自分が自分であるために、君が代を朝、歌う。 これを習慣化していきたいと思っている。