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投稿

怒りと気づき

私が以前、あるアルバイト先で経験した経験をお話します。 その職場では、20歳前後の男性が働いていました。 仮に、ここではK君と呼びたいと思います。 K君は、仕事中に自分のことを色々と、ほぼ誰かれなく話しかけてくる人でした。 K君には不思議な力があって、周りの人はついついK君の話に釣り込まれて、彼の人生相談にのっかったり、彼を励ましたりしてしまい、仕事の手が滞りがちになるのです。 これには結構エネルギーを奪われます。 また仕事の手が止まりがちになるので、職場の人は嫌がるようになりました。 「口を閉じて、もっと仕事に集中しなさい」 そういう注意を、何人もの先輩から受けていましたが、とまりません。
私はK君は、幼少期から母親に愛されていないと感じて育ってきたのではないかと思っていました。 だから、ある程度同情的ではあったのです。 それでも毎回自分のことを話すのを聴いているうちに腹が立ってきて、強い怒りを感じ、K君への拒絶感・拒否感まで覚えるようになりました。 これは他人の否定です。 カウンセリングでは、すべてを肯定し、気づきのサインととらえていこうと考えている私であるはずなのに、この状態はおかしいと思いました。 そして自分を振り返ったのです。
強い拒絶感・拒否感、つまり強い否定の感情が出てくるときは、自分の個性が発揮されていないときだと思います。 そして肉体の疲れがたまっている時は、個性が発揮されにくいのです。 肉体が疲れすぎていると、いろいろと感情の引っ掛かりが出てきます。
私がK君に怒りを感じたのは、これは投影ではないか思いました。
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反作用

人間の心は、潜在意識を含めた全体を次のように考えるとわかりやすいと思います。 通常の私たちの意識は顕在意識とよびます。単に「意識」とも言われます。 この奥には潜在意識がありますが、意識できないのでこの領域は「無意識」とも言われています。
潜在意識は大きく二つに分かれます。 一つは、今世に形成された潜在意識です。これは誕生してからいままで感じたこと、考えたこと、記憶や感情など抑圧されたり、忘れて無意識に沈んだ部分です。 もう一つは過去世の意識です。ここには過去世の記憶や抑圧、心の傷も含まれます。また過去世の意識が現在ただいま働きかけてくることもあります。それもすべて過去世の潜在意識の働きです。 私は、後者の過去世の部分を深層潜在意識と呼ぶことにしています。
この深層潜在意識はもっと奥にはいると、星の意識や宇宙的な意識に通じていると思います。これはそもそもの人間のなりたちに関連していると思います。つまり、私たちは星の一部が分化し、枝分かれして生まれたとおもいますが、そうすると記憶の中には星の一部だった時の記憶まで含まれるはずだからです。
この深層潜在意識の一番の中核は、個体を越えた超越的な宇宙意識に通じていると思います。宇宙の誕生の時からの記憶からすべてを含んでいる意識であり、宇宙意識そのものです。私はそれを超越潜在意識とよびたいと思います。個我を超越している意識であるとともに、宇宙の根源の意識です。 私は宗教的にはこの部分を、仏性とか神性と呼ぶのではないかと思います。 そして神道に見られるような人間が等しく神の分霊だという宗教思想は、すべての人が超越潜在意識につながっていることを指していると解釈しています。 こう考えると心理学と宗教は接点を持つことになります。
宇宙意識の全体である超越潜在意識の側から見ると、私たちは宇宙意識そのものが分かれて個性化し、枝分かれした存在です。 ということは、宇宙意識の中の何らかの役割、機能を分有していると思います。 ですから個性を発揮するということは、宇宙が最もすこやかに成長する方向に機能するということではないかと思うのです。 また宇宙全体は日々膨脹し分化し成長しています。ですから私たちも個性が成長することが宇宙にとっての喜びであり、個人の成長は宇宙全体の成長を支えるエネルギー、もしくは喜びになると思うのです。
逆に個性が固まって機能しなかったり停滞していたりすると…

心を見つめるうえで肉体は無視できない

肉体は心の分かりやすい表現です。 心の状態を分かりやすく表現してくれているのが肉体。 なので、肉体を軽視したら心がわかりません。 これはシンプルですが、とても奥の深いことです。
私は、ある時、朗読したり歌ったりするときに、口をすぼめる癖があることに気づかされました。 特に人前で声を出す時に、無意識に口をすぼめていたのです。 その奥にあるのは、恥ずかしいという気持ちです。 自分を出すことが恥ずかしいという意識がある。 だから無意識に口をすぼめていたのです。
その気持ちをさらに深く見つめると、 一種の罪悪感を持っていることに気づかされました。 良い悪いを自分勝手に判断して、これは悪いと決めて自分を否定している。 こんな自分を出したくないと思っている。 だから無意識に口をすぼめていたのです。 悪い自分を隠して、人前でかっこつけようとしていると、妙に構えた発生の仕方になります。 歌う時にはそれが出ました。
発声で大きく口を開いて声を出すのは、結構抵抗がありました。 自分をさらけ出すのが嫌だったのです。

国歌「君が代」を歌ってみました。 これは普通の声の出し方では、高音部分がかすれてうまく歌えません。 とても発声が難しいです。 声が出ないので、椅子にお腹を載せてウルトラマンが空を飛んでいるポーズをして、お中で体重を支えました。

丹田を動かす生活

個性的で、自分らしい自分を、日々生きるようになるには、丹田を動かす生活をすることが必要です。これは意識して心がけているとできることです。
丹田が動いているか、まったく動いていないかは、立ち方、歩き方にも違いが出ます。 歳を取ると、知らず知らずのうちに、お腹を前に突きだすような立ち方をしている時があります。 この姿勢は大変悪く、だらっとして、下腹部に力が入っていません。 この姿勢の問題点は、壁に背中をつけてみるとすぐわかります。壁からおしりと腰が離れてしまっているのです。 丹田を意識して下腹部に力を入れると、まっすぐに立てます。壁に腰もくっつきます。 姿勢を直す時、腰が少し痛く感じます。腰の筋力が落ちている証拠です。 姿勢を正しくすることで、腰や背中の筋力も鍛えられるのだと思います。
これは歩くときにも言えることで、顔や腹を突きだすのではなく、胸を張ってあるかないと膝(ひざ)を痛めます。 丹田がある下腹部に力が入っていない歩きかただと、顔が前に出て、同時にお腹も前に出ています。これは非常に悪い姿勢で、ひざに負担がかかるのです。 歩くときは下腹部に力を入れて、胸を張って歩きます。 歩くことだけに専念して30分も歩くと、冬でも汗ばんできます。 新陳代謝がよくなり、足腰の筋力も増し、健康が増進します。
歌を歌ったり、声を出してお祈りをしたりするときも、丹田を動かすことが大事です。 喉だけで声を出しているのと、下腹部に力が入って肚から声を出すのとでは、声の響きが異なります。 肚から声を出すには腹筋を鍛えることが不可欠で、下腹部を使うことが必要です。
肚をつくることの大事さを、日本人は文化として継承してきました。 相撲での四股を踏む気迫のこもった姿や、弓道で弓を射る美しい姿は、丹田が動いている姿です。 ほどよい緊張感の中に全身のエネルギーが動いている状態です。
自分らしく生きるためには、全身のエネルギーがほどよく発揮されている状態が必要で、それには丹田を動かす生活が必要となるのです。

価値観の偏りの修正

私が自分を振り返ったとき、一つの価値観の偏りがあると思いました。 私には「頭で考えすぎる」癖がありました。 それと並行して心を軽視して、さらに行動を軽視していたのです。
頭で考えることと、心がとらえていることに気づくのは大きく違います。 自分の丹田がどうとらえているかを把握することが、本当の意味で心でとらえるということです。それは思考ではなく直感の働きです。
心の働きを強めるには、相手の立場や、さらに上位の方の立場で思いを巡らせるということが必要になります。 後者でいうと日本の場合には、神道の神の立場でどう考えるかという見方があります。
その立場からみれば、この世の成功に目が向きすぎて心の成長に真剣ではないなら、どれほど熱心に仕事をしていても、怠けだと見えると思います。
心の成長に真剣であるとは、一つにはこういうことです。
神様に、あるいは自分の心に問いかける質問として、「成功するにはどうしたらいいか」と問うのでは、心不在です。 「もう一段バージョンアップしたいができないのでどうしたらいいでしょうか」と問い掛けるとしたら、これは心の成長を含めた問いかけになります。
神社で導きをお願いするときには、さらに注意することがあるように感じます。 神道の神様は私たちの覚悟を問われるということです。
ここでは「神様は」、という言い方をしましたが、本当に成長しようとして導きを求めるのなら、どなたであれ覚悟を見られると思います。その覚悟に応じて指導をいただけると思います。その相手が神様なら、より真剣なものが求められると思います。
覚悟は何処で見るのでしょうか。それは行動です。導きを受けた時、それを本気で実行しているか、いい加減にしているかで、覚悟がわかります。行動しない自分に、それ以上の導きは来ないと覚悟するべきだと思います。
この機微を分かりやすく伝えてくれるのが、わらしべ長者の昔話です。わらしべ長者は観音様に祈ったところ、観音様は「最初に手にしたものを大切にせよ」と、声なき声で心に伝えてこられました。それを素直に信じて最初に手にした一本のわらしべでした。これを大切にすることで運命が開けたというのがこのお話です。
さて、私はこう気付いてから、頭で考えて知恵を得ることが尊いという価値観には距離を置き、行動して自分を変えていく努力こそ尊いという価値観に変えようとしてきました。そして、加えて丹田の意思をしっかり感じ…

固まるエネルギーと固まらないエネルギー

私たちが生き生きとしている状態は、エネルギーが固まらないで流動している状態にあります。いのちが躍動する生き生きした状態であり、自分らしさが発揮されています。エネルギーがさらさらと健やかに流動しています。
これに対して、思いが一点に固定して固まっている状態は、エネルギーが固まっています。固まることが一番わかりやすいのは、うつの時です。怒りが収まらなくて、身体がぶるぶる震えている時も、エネルギーは固まっています。
固まらないエネルギーには「否定」がありません。 固まらないエネルギーは「否定」はゼロです。
そこに恐怖や恨みなどが入ると、否定が生じます。 固まる時は、ひとつのことに捉われているので、他を否定していきます。 恐怖する対象や恨む対象を否定しています。
何かに強く捉われると、通常は人は固まります。 否定が入っているので固まります。
そしてとても人間臭い考え方になります。 本来私たちの個性のエネルギーは、大きな自然や星のエネルギーの一部であり、人間の枠を超えているのではないかと思います。
すべてを肯定した捉われならば、それは自分の個性が発揮されている状態です。 否定がないからです。 何かを実現したいという強い情熱からうまれた捉われであれば、そういうことがあると思います。
固まっている時、自分がなにを否定しているか点検するとよいと思います。 そしてそれを肯定に変える努力をします。 肯定する努力は、また項を改めて書いてみたいと思います。
種村修(種村トランスパーソナル研究所・心理カウンセラー) 電話 090-8051-8198(午前8時30分~11時) メール tanemura1956@gmail.com

のりうつりを取る方法

のりうつりが憑いているのは、人間の成長という観点から見ると、一つのサインと見ることが可能です。 自分が変わるべきところがあると教えてくれています。 それを気づかせてくれるサインです。
憑いている相手の心を理解した時に、相手は変りはじめ、やがて離れていきます。 もし不浄仏霊が憑いているとすると、不浄仏霊がなぜそうなっているのかを理解すると、相手は離れていきます。
不浄仏霊というのは固まったエネルギーです。 執着のある状態で思いが固まっていて自由に変化できない状態です。
固まるには固まる事情があります。 彼らは通常は肉体に入らないとなかなか変われない事情があるようです。 だから憑依とかのりうつりという現象が起きているようです。
これは裏返すと、肉体を持っている私たちは、一番変化しやすい状態にあるということです。 色心不二なので、栄養や生活習慣を変えていくことでも、心の変化を引き起こせます。 これは大変ありがたい機会であると思います。
この非常仏霊の成仏という問題を文学で解明した作品に、宮部みゆきの『あかんべえ』が非常に優れていると思います。 この小説は大変深い洞察が書かれていると思います。 この小説で印象的なのは、霊が見えるという人には、その霊と同じ心の状態や体験があるという洞察でした。同じ心の状態があるので、見えるだけでなく、憑依されてもいます。
不浄仏霊に憑かれている側は、ある意味でその不浄仏霊の生きていた時と同じような心の状態にあります。 その状態を自覚して、自分を変えることができると、自分が未来に不浄仏霊にならないのはもちろんですが、憑いている不浄仏霊が変化して成長していきます。 もちろん憑依状態は解消されます。
憑いている不浄仏霊を力づくで切り離しても、それだけでは何も解決しません。 憑かれている人も、憑いている霊も、どちらも変化しないからです。