私は反省を説くある宗教家の仏教解説を学んだために、反省というと、ついつい過去の自分を振り返るという癖がついていました。
そのため心を見つめる際に、どうしても過去の自分の心の動きを見つめることが多くなりました。
しかし、過去の出来事を詳細に思い出しても、その時の自分の想念の渦が再現されるだけで、かえってマイナスになることが少なくありませんでした。
さらには、思いが現在と未来に向かず、常に過去に向かう癖が生まれていました。
これでは人生が進みません。
こうした反省の結果、過去の駄目だった自分を見つめては自分自身を裁く癖がつくようにもなりました。
自分を裁くという傾向は、心の成長をゆがめます。
非常にネガティブになり、自分を裁くと人も裁くようになります。
自分を裁くという傾向は、心の成長をゆがめます。
非常にネガティブになり、自分を裁くと人も裁くようになります。
反省の際にまず過去に目を向けるという傾向は、弊害があり間違いだと気が付きました。
過去にばかり意識が向かう反省法が、実は私の学んだ宗教家の歪んだフィルターであったことに気がついてからは、それを脱するように努力しました。
反省のポイントは、「今の感情を見つめて、それを覚えておく」ことです。
今経験している感情を見つめます。
感情に気がつけば、それを記憶します。
どういう時にどういう感情が働くのか、またそれは何処から来るのかを見つめて、記憶しておくのです。
その一つに夢の利用があります。
その日の夢で経験した感情が、今の感情として継続していることが少なくありません。夢の中で味わう感情に意識を向けると、今、心の奥で経験している感情と同じだと気づくことがあります。それは夢のシーンが象徴する過去の経験につながっていることもあります。
その日の夢で経験した感情が、今の感情として継続していることが少なくありません。夢の中で味わう感情に意識を向けると、今、心の奥で経験している感情と同じだと気づくことがあります。それは夢のシーンが象徴する過去の経験につながっていることもあります。
「こういう感情を今経験しているのだ。だから、今日はこういうことが起きたのだ。」
それに気がつくと、ふっと、心が軽くなります。自分の行動が理解でき、問題点も明確になるからだと思います。夢が伝えようとしていたものが理解できると、納得できます。
感情をしっかり見つめるだけで、感情に振り回されなくなるようです。また、将来同じことが起きそうになったときに、気がつけます。そして必要なら、同じことを繰り返さぬように修正してゆけます。
その感情が、過去の経験にルーツがあることに気がつくこともあります。その時初めて、過去の問題に向き合えばいいのです。これは過去と向き合っているようで、現在ただいまの自分と向き合っているのです。
もっと深いところから湧いてくる得体のしれない強い感情を経験することもあります。恐怖や怒りといったものには、そういうことがしばしばあります。
今までの人生で、そういう感情が起きる理由がないにもかかわらず、突如、なにか異常に強い感情が湧くとき、深層潜在意識に蓄えられている過去世の記憶を考慮するべきかもしれません。その感情を見つめて味わっていると、その元となった過去世の経験とおぼしきものがイメージで湧いてくることもあります。
この場合は、過去世の問題(いわゆるカルマといわれるもの)を、現在ただいま向き合うべきこととして経験している可能性があります。
特にカルマに関係するような感情は、往々にして恐怖を伴います。それと向き合うのが非常に怖いのです。
しかし、その恐怖を乗り越えて、自分自身に向き合った時、心に変化が生じます。
結局、今の感情や強烈な思いから目をそらさずに向き合うことによってのみ、私たちは変化してゆけるのです。
常に「今」に意識をむけ、自分の心に向き合っていく。
きっと成長につながる道が見えてくるはずです。
きっと成長につながる道が見えてくるはずです。
心理カウンセラー・種村修 (種村トランスパーソナル研究所所長)
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