スキップしてメイン コンテンツに移動

現実感覚の喪失と回復



1.心の保護膜

 私は自分の心を点検した時に、現実と自分の間に透明なシールが3枚ほどあり、それが自分を覆っている気がしていました。その目に見えないシールのせいで、自分がもう一つ現実感が持てず、なにか今・ここに生きていながら、それが架空のものでもあるように感じてしまう感覚があったのです。それはガラスの向こうに現実世界を見ているような、現実と自分が透明な膜で隔てられているような、もどかしさです。その結果、自分が守られているようでありながら、現実に対して本気になりきれない自分がおり、妙に現実感が希薄化するのです。

そこで、私は自分の心の中核部分である丹田意識に問いかけてみました。「この3枚の透明なシールは何なのでしょうか?」と。

すると心の奥から答えが返ってきました。

「依存心、自己卑下、思いこみである。それが合わさって現実と自分の心を隔てるバリア(保護膜)のようになっている。その為に現実に心が直接触れ合えず、いま一つ本気さが出てこないというジレンマが生じている。」

「依存心は、ある宗教に身を置いた時からの名残が残っている。自己卑下は、そこで自分を罪悪視し、劣等視した心の傷を引きずっている。思いこみがそれ等の接着剤になり、心から離れなくしている。」

「これは、大きな挫折経験の衝撃があった時に、自己防衛のために作った保護膜である。この時には一時的な解離が伴い、丹田意識が抜けたので、そのときにできたものでもある。その後遺症が残っており、それに今気づくことで、取り去ろうとしているのだ。もはやそうした保護膜は不要であり、あなたの成長を妨げる障害でしかない。」

 私はその答えに納得できました。そしてその事実を受け入れました。すると、その保護膜が消えて、現実と自分がじかに接触できる感覚がよみがえってきました。すると、現実に向き合う本気さが心の中から生まれてきたのです。

 
2.心の保護膜の機能
 

 この心の保護膜とは何なのでしょうか。どうやらそれは、「自分が受け容れがたい失敗やショック体験」に遭遇した時に、「自己防衛」のために心がつくり出すもののようです。虐待や挫折などの厳しい現実に向き合うと、その衝撃で心が破壊されてしまう恐れを感じるので、現実から自分の心を少し解離させるのです。現実の酷さや自分自身のみじめさを受け入れると「こころ」が崩壊する危険性を無意識的に感じているので、自分を守るために、外界との接触面に目に見えないシールド(保護膜)を作って、衝撃を和らげようとするようです。

 それができると、確かに衝撃は和らぐのですが、鮮明に現実を認識したり知覚したりできなくなり、なんとなくボーっとした感覚があり、どこか現実感が希薄化してしまいます。「こころ」が現実世界とじかに触れることができないので、的確な判断ができません。はた目には一生懸命に頑張っているように見えても、本人は何となく心のギアが現実世界とうまくかみ合わない気がして、空回りする感覚に付きまとわれます。

 さらに困ったことに、心の内側から込み上げる本気さが、その保護膜に妨げられて出てきにくくなるのです。本気さが感じられないという状態です。本気に見えても、どこかに空虚さがあり、本気かどうか、はた目にも疑問視されるようになります。内なる心のギアが、顕在意識の「こころ」のギアとかみ合わないで、空回りしているような、そんな感覚を本人は感じます。

 宇宙服をもし着たとすると、外界からは守られるが、皮膚感覚で直接には外界を感じ取れず、またコミュニケーションもぎこちないものになるでしょう。ひょっとすると、それに近いのではないかと思われます。

 
3.心の保護膜に気づく

 
 突然の左遷、失業、トラウマ体験、いじめやDV(ドメスティック・バイオレンス、家庭内の虐待)の経験があると、こうした心の保護膜を無意識的につくることが多いのではないかと思われます。「現実」に直接「こころ」が向き合い触れることが怖いので、自分を保護しているのですが、それが続くと本人の現実感覚が欠如して現実への適応を阻害したり、本気さが出てきにくくなってしまうという弊害が生じます。

 その保護膜を何となく感じとり、なんとなく違和感があり邪魔だと感じられてきたならば、それはもはやその保護膜が不要となり、脱皮する時期が来ていることを示唆しているのではないかと思います。自分自身の潜在意識には、自分を導きガイドしてくれる意識があります。その意識に問いかけると、気づきを与えてくれます。

「その膜は何枚ありますか?」、「それは何でできているのですか?」と、問いかけてみるといいと思います。心の奥底から返ってくる「声」を感じ取る力を、本来人は持っています。
 

4.具体的に考えてみると

 一例をあげて、分析したいと思います。

家庭内で身内から虐待を受けている人を想定しましょう。この方は、虐待を受ける時に、「お前が駄目だから、お前が悪いから、こういう目に遭うのだ」と繰り返し言われて、暴力を受けているはずです。虐待をする人は、自分の行為を正当化するために、被害者に罪悪感を持たせる理由を口にします。罪悪感を持たせると、相手の心を縛って、支配できます。

罪悪感を持たされるときには、同時に「自分は悪い劣った人間だ」という劣等感、自己卑下の気持ちを抱くようになります。「だから暴力を受け、理不尽な仕打ちを受けても仕方がないのだ」と、自分に言い聞かせます。そして被害者は、「悪いのは自分であり、相手は悪くない」と考えます。

特に生活面・精神面で相手に依存していると、相手に保護してもらわないと生きていけないので、相手をできるだけ美化して正当化し、それとは反対に、自分を悪く劣等な存在として見ようとします。これは思い込みです。一種の洗脳でもあります。

こうなると、依存心・自己卑下・思いこみの3枚の保護膜ができますし、そこに罪悪感が伴うと4枚の膜になります。この膜が厚ければあついほど、その方は現実感を持ちにくくなり、どこか現実を生きていない感覚を持つようになります。

 
5.現実感覚を取り戻す

 
 こうした状態から脱却するには、まず自分がそういう心の保護膜があることに気づくことが必要です。気がついたならば、それが「どのような思い」で出来上がっているかを見抜くことです。それによって、いつごろどのようにしてそれができたかが理解できます。

今度はその思いを点検して、「本当にそれが必要かどうか」を検討することです。あるいは「その思いは正当か? 不当におつけられたものではないか」、「勝手に思いこんでいるのではないか」、などを検討します。その結果、もはや不要なものであるとわかれば、取り外して捨てよう、と決意します。

 それには勇気も必要です。現実に向き合う勇気、自分の本当の心に向き合うという勇気です。そして自分を変えてゆこうとする意志が必要です。

今まで自分を守ってきたものを脱ぎ去るので不安がよぎると思いますが、脱ぎ捨てると決意をすれば、消えていきます。すると現実の手触りが感じられ、また心のギアがかみ合ってくる感覚を取り戻すことができます。さらに、自分はこうしたい、こう生きていきたいという本気の決意も、心のうちから湧いてきて、それを確かなものとして実感できるようになるのです。

 こうして現実感覚を取り戻した時に、本来の個性、本当の自己を取り戻してゆけるのです。

<種村トランスパーソナル研究所の連絡先>
℡:090-8051-8198(心理カウンセラー・種村修)
メール:tanemura1956@gmail.com
 

コメント

このブログの人気の投稿

自己特別視と依存の心理

自分を特別視 して 肥大した自我 を持つ人には、しばしば 依存心 が見られます。 プライドが高く自分は特別にすごい人間だと、内心思っているのに、世間で通用するような実績や成果が出ないで屈折する人がいます。 素質を持ちながらも、この人の心理の奥に依存心が潜んでいて、それがその人の努力と成長を妨げているのです。 よくあるケースとして、生育過程でその人が親や祖父母から特別扱いをされ、それゆえに自己特別視と依存の心理が育ってしまう場合です。 ある男性の家系では、 3 ~4代前のご先祖の当主が自殺したそうです。それまで栄えていた家は、そこから暗転し、 それ以降は、家系には男子が恵まれず、産まれても育たずに早死にし、女性によって細々と血筋が守られてきました。 その男性は、この家系にようやく生まれ育った待望の男児でありました。 ですから、祖父母やご両親の愛情と期待を一身に受けながら、特別な存在として大切に育てらたのです。 この男性にとっては、自分は特別な存在であるということは周囲から植えつけられた、空気のように当たり前の固定観念でした。そして非常に大事にされて育ったので、自分は特別な存在だから愛される、愛されて当然の存在だという気持ちも無意識に育っていたのです。それは依存心につながるものでした。 こうした特殊事情がなくても、普通に長男としてその家に生まれ、祖父母が特別長男をかわいがる場合、よく似た現象が見られることがあります。 長男として生まれた男児を、祖父母が特別愛情を注ぎ、何でも先回りして世話を焼き、母親も同じように手をかけて息子を育てた場合に、それが生じます。 本人は、自分は特別であるという自己特別視を持っており、自分の価値基準に反する学友を蔑視しがちです。無条件に大切にされてきたので、愛されるのが当たり前だという気持ちがあり、人の感情に対して無神経になります。その結果、積極的に自分から人に関わるコミュニケーション能力が育たず、孤独で孤立しています。 彼には親や祖父母への依存心が根っ子にあるので、無意識に誰かが何とかしてくれるという気持ちがあり、自立してゆくための気力や努力が乏しくなります。「自分は特別だから愛され大切にされて当然だ」という思い込みがあるので、感謝の薄い、傲慢な人間になりや

無気力と魂が腐る感覚

学生の頃、学内での深刻なトラブルで無為の底に沈んでいた時期がありました。 勉強も運動もできず、授業に出席することもできませんでした。 その頃の下宿の部屋はチリと洗濯していない衣類で埋まり、悪臭が漂っていたと思います。 無気力の淵に沈み込んだまま、身体も重く、毎日が憂鬱で生きている実感がない状態が続いていました。 その頃、本棚にあった古代インドの聖典を開くと、無気力で何もなさない人は魂が腐っていくと書かれていました。 ギクッとして、「今の自分だ」と思った、その衝撃を鮮明に覚えています。 「この状態を続けると自分は腐っていく」という恐怖に襲われ、反省が生じ、自分を変えようとし始めました。 そこでまずしたことは、部屋の掃除からでした。 思い返すと、無気力やうつ状態から脱する時は、たいていの場合掃除から始めていたように思います。 経営危機に直面していた会社に勤めたときも、朝一番に出社して、まず掃除から始めました。 この会社の再建は、中年の危機からうつ状態に陥った私の心の再建にリンクしました。 掃除には不思議な力があります。 掃除は、部屋や住まいの掃除を、少しずつ毎日行うのが基本です。 勉強でも仕事でも、何かを始める前にどこか一カ所をきれいにします。 するとそこを通るたびに、心がすっきりして、やる気が出るから不思議です。 毎日どこかを掃除していくと、だんだん住まいがきれいになり、同時に心もしゃきっとしてきます。 無気力で苦しんでいる時には、まず掃除からの出発が効果的かもしれません。 関連記事 無気力と向き合う  http://tanemura2013.blogspot.jp/2016/07/blog-post.html 無気力と逃避  http://tanemura2013.blogspot.jp/2016/07/blog-post_2.html <ご案内> 種村トランスパーソナル研究所では、直接お会いする対面カウンセリングとともに、電話カウンセリングやメールによるカウンセリングも行っています。 相談してみたいと思われるかたは、遠慮なくご連絡ください。 ℡ 090-8051-8198  (メール) tanemura1956@gmail.com カウンセリン

洗脳の後遺症を治癒するための夢分析

宗教による洗脳は、深い影響をその人に与えるために、脱会してからも後遺症の除去には時間がかかります。 往々にして夢は、後遺症の存在とその内容を示すサインとなります。従来所属していた宗教にまつわる夢の分析は、非常に重要です。 十数年前まである宗教の職員、いわゆる出家をしていた経験を持つOさんは、ある明け方、夢をみました。 「私は夢の中でその教団の職員をしていました。そこでは職員に対して次から次へと勉強を要請されており、職員たちは数学の勉強をしていました。公文のテキストにとり組んでいる人も何人かはいました。私は同じようにその勉強をしなければと思いながら、少し引いた立場にいたようです。職員時代に味わった、追い立てられるような気持ちがのこっている状態で目が覚めました。」 Oさんによると、この宗教は職員を競わせ、次々と勉強や新しい仕事にまつわる知識の習得を要求していました。それによって、職員を息をつかせない状態におき、常に周りと競わせ、その結果によって優劣をつけます。一つの分野で優れたものをもっても、別の分野、例えば数学(注:これは象徴的な表現です)という宗教とは一見関係が薄いものを学ばせて、競わせるので、職員は常にせかされて追い立てられているのです。 こういう競争状態に常に置かせることで、教祖は弟子が団結することを防止し、教祖の意のままに分断してコントロールしやすい状態においていた気がすると、Oさんは回想しています。 さて、知識の集積は、自分の心の内側を探究するのではなく、外へ外へと意識を向けさせます。本来の自己は何かという、最も本質的な内側への目を閉じさせて、外へ外へと意識を向けてゆきます。 常に あたらしく有用な知識が蓄積されていかないと、不安に陥るようになっていきます。 長くこの状態に染まっていると、次第に超越的な存在の一部である価値ある自己を忘れていき、外から何かをつけ足さないと価値が減少してゆく、という自己感覚を、身につけるようになっていきます。 自分の存在自体に価値を見いだせないものは、自分を見失い、自己を喪失します。そして、上や外から与えられる評価つまり有能さや有用性の尺度で自分の価値を図るようになるため、非常にコントロールされやすくなります。 Oさんは、勉強が好きで知識を習得すること