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栄養剤への依存を見つめる

 


私はお腹の皮膚に直径3センチぐらいの赤い●(まる)が現れました。

円形の周辺には、10個ほどの小さなぶつぶつができており、それが3か月たっても消えませんでした。一種の皮膚炎です。

視覚的には皮膚炎は明確にあるのですが、痛くもかゆくもないので、様子を見ておりました。たまにいろいろな皮膚のクスリ、特に副腎皮質ホルモンが入った塗り薬をつけても、まったく変化がありません。

3カ月過ぎても消えないので、さすがに気になってきました。

 

専門家にも相談し、原因を色々検討した結果、一番あり得るのは私が毎日飲んでいる錠剤の成分が体に過剰蓄積され、体外に排出するために皮膚に出てきたのではないかという仮説でした。

 

そこで、錠剤を飲むことを中止しましたところ、1か月ほどして徐々に赤い部分が薄くなり、2か月目からは周囲のぶつぶつも徐々に消えていきました。

これで錠剤の成分の過剰な蓄積が排出され皮膚に出たという仮説は実証されたも同然でした。

ということは、錠剤をのみ続けることで、本来なら不要な成分が過剰に蓄積されて、体に負担をかけていたということになります。それで身体が嫌がって、それを排泄するために皮膚に押し出し、それが皮膚炎となったと思われます。

 

この錠剤は、疲労回復のための錠剤で、コンビニでも売っている栄養剤のようなものでした。

私は小さいころから、体質が虚弱だったこともあり、色々な栄養剤や漢方薬を飲んできました。小さい時にそうしたものを飲む習慣がついたので、社会に出てからも、少し疲れてはその時々の健康に良いと言われる錠剤などを、頻繁に使っていました。

近年は、疲れたらドリンクの栄養剤を飲んだり、眠気覚ましのためにエナジードリンクを飲んだりしていました。エナジードリンクに含まれる糖分が気になり出したので、無糖の商品を選んだりしましたが、結構お金がかかるので、一番安くて効き目があったある錠剤だけ絞り込み、それを継続して飲んでいました。

 

しかし、皮膚炎が起きたので、私は今までの錠剤を多用する習慣を変えるざるを得なくなったのです。

その理由は、大きくは3つあります。

一つは、これは錠剤への依存症であり、中毒症状であると反省したからです。薬物依存というと、麻薬のようなものを連想しますが、医薬品でもある栄養剤等への依存も依存症の一種です。依存心の克服のために色々心を見つめてきましたが、錠剤(栄養剤)への依存は盲点でした。

 

依存症の心を見つめると、その奥には不安があります。疲れたらどうしようという不安です。不安は軽度の恐怖心です。

その恐怖心の背景には実は自己不信がありました。自分の肉体への不信です。つまり、自分の体が、疲労を回復するために必要で十分な働きができないのではないかという不信感です。

肉体の側に立ってみると、私の内臓たちはこう言っていると思いました。

 

「俺たちがいくら働いても、ちっとも認めてくれない。俺たちが頑張って元気に仕事できるのに、錠剤を呑んでいるので元気になれたと、錠剤に感謝している。俺たちの頑張りは認めていないし、信頼もしてくれていない。これではばかばかしくてやってられない。もう何もしたくない」

 

このことに気づいたので、本気で一切の栄養剤や錠剤をやめることを決意しました。自分の体への不信を反省し、身体を信頼し、その働きにもっと感謝しようと思ったのです。自己信頼の回復、これが錠剤をやめた理由の第2番目です。なお、体調は、錠剤をやめても、今までと変わりません。

 

3番目の理由は、思考停止に気づいたことです。疲労したら錠剤に頼る。これにより、もっと他に何ができるかということを考えようとしない習慣がついていたのです。その反省から、散歩、ストレッチ、テレビ体操、入浴、食事の際に良く嚙むこと等々、いろいろな方法を検討し、実践するようにしました。

 

以上のことをまとめると、栄養ドリンクや錠剤などを多用する結果、私は薬物への依存症になっており、それが皮膚炎を起こしだけでなく、自己不信と思考停止に陥っていたことに気がついたのです。

錠剤に頼れば頼るほど、自分の力(体力も知力も)は弱まります。そのこと気がつけたのは、皮膚の炎症が起きたからです。

 

自分に起きてくることは、すべて自分の役に立つことである。

大切なことは、それに気づくことである。

 

この人生観が真実であることを、今回も確認することができました。

自己信頼には自分の体の働きへの信頼も入っている。そのことに気づけたことは、今年61歳になった私には、とても大きかったと思います。


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自己特別視と依存の心理



種村トランスパーソナル研究所(心理カウンセラー種村修)

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