スキップしてメイン コンテンツに移動

共時性と御神籤(おみくじ)

 

共時性という言葉は、不思議な導きとか、不思議な偶然の一致とか、なにがしか目に見えない、通常の物理法則を超えた働きを感じ取った時に使う言葉のように思います。物理的な因果関係はないはずなのに意味のある因果関係をそこに感じ取るとき、その現象を説明する言葉として「共時性」という言葉を使います。

そこで大切なのは、「意味」を感じ取るということです。

 

先日、東京の愛宕神社へお参りさせていただきました。男坂(出世坂)と呼ばれる急こう配の石段を登ってお参りし、個人的な願望を祈らず、ただ感謝しました。そのあとでお導きをお願いして心を澄ませていると、おみくじ(御神籤)を引いたほうがいいという気がしたのです。

 

引いた御神籤の裏側を見ると、「神の教」という中に、こう書かれていました。

 

「天地一ぱいに広がる力、神とひとつになった時

肉体に制約する人間の力は、誠にか弱い小さいものであるが、神様に通じ、神様と一つになりきれば、果てもなく強く大きくなって行く。さればひたむきに神様をあおぎとうとび、神様を信じ敬い神様と御一体になるまで拝みつづけ念じつづけましょう。」

 

非常に深い内容で、心で噛みしめたいと思いました。そして表側をみると「小吉」で、こう書かれていました。

 

「闇(くら)くて見えない道も月がさし初め、明るくなる如く幸福次第に加わる運ですから、あせらずさわがず静かに身を守って進むべき時に進んで何事も成就すべし」

 

つまりは、今の自分の運勢は夜ではあるが、晴れ渡る月の光に、うれしくありがたいことに進むべき道がはっきりと照らされているので、感謝してしっかりと進めという内容でした。

 

中心となる社殿での祈りの後、いくつかの摂社に参拝しました。

摂社には、お稲荷様や恵比寿・大国さまが祭られていたので、この世的な家庭の繫栄ということをお願いしました。すると、もう一度おみくじを引くべきだという思いが湧いたので、実は期待して引きました。

 

今度の御神籤の「神の教」にはこうありました。

 

「ご飯食べたり、着物をきたり、勝手いうのが能じゃない

御互いは御飯食べるために生まれて来たのでも、着物をきるために生きて居るのではない。神様から世界作り固めの御役目をうけて、此地上に高天原の、住みよい、明るい、平和な世界を作り上げる為めに生まれて来たのである。この信仰をもって一生を働き続けましょう。」

 

ガーンと、一発喰らった気がしました。表側を見るとやはり「小吉」でしたが、運勢についてのアドバイスにはこうありました。

 

「運気容易に開けず口舌多し 急がず時の到るを待ちてことを行え。脇目をふらず正直に働いて信神怠りなければ自ずから幸福が訪れます。」

 

運勢はやはり先ほどと同じく月夜であるのですが、群雲が思わぬ方向から現れて、十五夜の月を隠し、道を見失いがちになるので慎重に歩めという意味合いが、道歌で示されており、「気をつけろ」と注意を受けたと思いました。

 

この二つのお神籤を共時性という点から考えると、一つ目は、自分のことを祈らず感謝し、ただ導きを求めたときのものであるのに対し、二つ目は、個人の物質的な繁栄を、ごくささやかでしたが求め願った結果の神籤でした。

どう見ても前者の方が明るい展望であり、後者はやや陰りが出て注意を促されているという内容です。

 

やはり個人のことをあれこれ願う御利益信仰は、心境や運勢を後退させるのだということを教えられたと受け取りました。

御利益信仰がそういう結果をもたらすのは、ご利益信仰には現状への不満があり、現状の「否定」を内側に含んでいるからです。

すべてはよき方向へ、成長する方向へと導いていただいているという今を「受容」し「肯定」する気持ちからそれて、この現状は嫌なので変えてくださいという「不満」と「否定」が御利益信仰の奥にはあるのです。だから心境が落ちて運勢が落ちるだと思いました。そのことを二つの神籤を比較して理解するように示されたと、そういう気がしたのです。

これは大切な気づきでしたので、はずかしながら自戒を込めて書かせていただいた次第です。

 
種村トランスパーソナル研究所(心理カウンセラー種村修)

当研究所では皆様のご相談をお受けしております。カウンセリングはおもにメールと電話によって行っております。

連絡先:℡ 09080518198

コメント

このブログの人気の投稿

自己特別視と依存の心理

自分を特別視して肥大した自我を持つ人には、しばしば依存心が見られます。
プライドが高く自分は特別にすごい人間だと、内心思っているのに、世間で通用するような実績や成果が出ないで屈折する人がいます。 素質を持ちながらも、この人の心理の奥に依存心が潜んでいて、それがその人の努力と成長を妨げているのです。
よくあるケースとして、生育過程でその人が親や祖父母から特別扱いをされ、それゆえに自己特別視と依存の心理が育ってしまう場合です。
ある男性の家系では、3~4代前のご先祖の当主が自殺したそうです。それまで栄えていた家は、そこから暗転し、それ以降は、家系には男子が恵まれず、産まれても育たずに早死にし、女性によって細々と血筋が守られてきました。 その男性は、この家系にようやく生まれ育った待望の男児でありました。 ですから、祖父母やご両親の愛情と期待を一身に受けながら、特別な存在として大切に育てらたのです。 この男性にとっては、自分は特別な存在であるということは周囲から植えつけられた、空気のように当たり前の固定観念でした。そして非常に大事にされて育ったので、自分は特別な存在だから愛される、愛されて当然の存在だという気持ちも無意識に育っていたのです。それは依存心につながるものでした。
こうした特殊事情がなくても、普通に長男としてその家に生まれ、祖父母が特別長男をかわいがる場合、よく似た現象が見られることがあります。
長男として生まれた男児を、祖父母が特別愛情を注ぎ、何でも先回りして世話を焼き、母親も同じように手をかけて息子を育てた場合に、それが生じます。
本人は、自分は特別であるという自己特別視を持っており、自分の価値基準に反する学友を蔑視しがちです。無条件に大切にされてきたので、愛されるのが当たり前だという気持ちがあり、人の感情に対して無神経になります。その結果、積極的に自分から人に関わるコミュニケーション能力が育たず、孤独で孤立しています。
彼には親や祖父母への依存心が根っ子にあるので、無意識に誰かが何とかしてくれるという気持ちがあり、自立してゆくための気力や努力が乏しくなります。「自分は特別だから愛され大切にされて当然だ」という思い込みがあるので、感謝の薄い、傲慢な人間になりやすいのです。また努力が乏しく、人の世話になることに平気です。
こうして「自分は特別の人間だ」という思い込みが、「肥大した自我…