自分で一鉢だけのバラを育て出してから3年目になるのですが、今までは、何とか枯れないで毎年白く小さな花を咲かせてくれるのを見て、ほっとして喜んでいました。
それが今年、変化したのです。
家の引っ越しがきっかけですが、ベランダが少し広くなったので、何か欲しくなり、もう一鉢別の種類のバラをこの春に買いました。バラをもっと育ててみたいと思い始めたのです。
それとともに、街を歩いた時に、やたらとバラの花に目がいくようになりました。
さまざまな種類のバラが、5月には咲き乱れます。私は5月生まれなのですが、いままでバラに関心がなかったので、5月がバラの花の季節だったことに、今年まで気が付きませんでした。
しかし、関心が出てくると、いろんな家に植えられているバラの花に目がいって、こんなにもバラを植えている家が多かったのかと、びっくりしました。そして目と鼻で、さまざまなバラを楽しませていただき、とても感謝して街を歩くようになったのです。
他にも今年は発見がありました。その一つは、木に咲く花に惹かれている自分がいることに、初めて気づいたことです。
最初は桜でした。今住んでいる場所には、あまり桜の樹がないのです。
以前住んでいた我孫子の手賀沼べりには、桜並木が住まいの目の前にあり、部屋の窓から毎年桜が見えました。
しかし、引っ越してから周囲に桜がほとんどないため、桜を見れないことがこんなに心に飢餓感を感じるものかと、驚きを感じたのです。桜を恋しく思い、いろいろ街を歩き回っていて、ようやく川沿いの桜並木を発見したときは、並木道を歩きながら、すごく満たされるのを感じました。
私は日本人だなと、しみじみと感じたのはこの時です。
日本人の文化的な遺伝子が自分にも入っていて、桜を見ないとストレスになるのだろうと思いました。
「しき嶋のやまと心を人問わば 朝日に匂う山桜花」
本居宣長の和歌が、脳裏によみがえりました。また西行法師が春になるたびに吉野桜を見に行った故事も思い出しました。
桜が散る頃、別の白い花が目につきました。ハナミヅキです。近くにはハナミズキの並木道があり、堪能しました。何かすごく満たされるのです。
昔でしたら、パンジーなど草花に関心がいっていたのですが、今年はそちらの草になる花にはあまり気持ちが向かわず、ひたすら木に咲くに目がいき、それを美しいと感じ、見ているとうれしくなって満たされるのです。
そういう感情を見つめて、自分は昔と違い木に咲く花が好きになっていると、自分の心の変化をはっきり自覚しました。
その時に、バラも木に咲く花の一種であることに、やっと気が付きました。もちろん木というよりツルと言った方がよいものも少しはあるのですが、やはり細くても、小さくても、バラは木に咲いています。
要するに、私はこう思っているのです。
私は木に咲く花が好きなのだ。木に咲く花に惹かれている。
そのなかでも特に、桜とバラに惹きつけられている。
バラに惹かれるのは、高貴さ気品、そうしたものを感じているかららしい。
また桜は、幸福感と潔さに惹かれているようだ。
ほかにもあります。
バラの花が随所に植えられていることに気づくことで、興味関心がでると、今まで見えていなかったものが見えだすことを知りました。何に興味関心を持つかで、見える世界、感じる世界が変わるのですね。
またバラをきれいに咲かせている家を見ると、見せてもらったことへの感謝の気持ちが湧くのを覚え、幸せな気持ちになりました。
これは桜にも感じました。川べりの桜を見ると、終戦後に日本の復興を願って植えた人がいたのだろうと思うと、今の日本を築き上げてくださった方への感謝も感じました。
それにしても、自分が何に惹かれるのかを自覚することは意外と大事なことなんだと知りました。
自分が木に咲く花に惹かれるのは、61歳になって、ごつごつした木にもたとえられる自分の人生に、毎年美しい花を咲かせてみたいという気持ちが起きているのではないかと思いました。
また、桜の幸福感や潔さ、バラの気品と高貴さ、そうしたものに心が親和性を感じるのは、そこに価値を感じる自分がいるからだと思います。きっとそういう心の花を咲かせたいのだと思います。
これを読んでくださった方は、どんな花に心惹かれていらっしゃるのでしょうか。そこにも自分を知るきっかけが潜んでいると思います。
種村トランスパーソナル研究所(心理カウンセラー種村修)
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