罪悪感を抱え込む
私たちは人生の中で、自分のあの言葉あの行動で人の人生を狂わせてしまった、不幸を選択させてしまったと思い、長く苦しむことがあります。私があの人を紹介したばっかりに、その人が不幸になってしまったと思い、罪悪感で苦しみ続けることもあります。また、私が気付いてあげなかったから、あの人が自殺してしまったと思って、長年にわたり自分を責め続けることもあります。
こうした罪悪感の問題について、どう考えたらいいのでしょうか。それを考えてみたいと思います。
罪悪感とは、罪を犯した時に感じる後悔と反省の想いです。罪悪感がない人間は、いくらでも罪を犯し続けます。ゆえに罪に対するブレーキの役割をしているのが罪悪感です。
それが罪だと知らない時は、行なっても罪悪感は感じません。罪悪感を感じるのは、それが罪であったことに、誰かを不幸にしたということに気が付いた時です。自分のせいで誰かが苦しんだり、不幸になった場合に、申し訳なかったという思いとともに、自分に対する深い罪の意識が生じます。これは健全な心の働きであり、悪に染まることから人の心を護るものです。
ところが罪悪感が、その人を必要以上に苦しめる場合があります。それは自分が自分のしたことを許せない場合に起きます。そして自分を罰し続けるのです。自分が「もういい」と自分を許せるまで、自己処罰をします。これは、単にその人の思い込みによっても、生じることです。自分が許せないと、どこまでも自分自身を傷つけ続けようとします。
自殺者の陰に
日本では自殺件数が、このところずっと毎年3万件を超えてきました。実は自殺者の家族や関係者には、罪悪感に苦しむ人が大変多いのです。また子供を事故や病気で死なせた親も、罪悪感に苦しんでいます。これはぬぐいきれないものがあるようです。
しかし、亡くなったお子さんが、実はあの世で元気に生活している姿を知れば、そんなに苦しまなくてもよいのです。また自殺者の家族も、罪悪感から自分で自分を不幸にすることにより、かえって自殺者の罪を重くしてゆくことに気づかねばならないと思います。残された人が苦しみ続けると、それも自殺者の責任になり、自殺者はその分まで罪を背負わねばならなくなるのです。自責の想いが、あの世で増えてゆくからです。ゆえに、罪悪感を持つことが、かえって悪になることも少なくありません。
罪を犯すことへのブレーキとしては、罪悪感は大切なものである。しかしブレーキをかけ、それが間違っていたと気が付いて反省を始めたならば、軌道修正をしてより良い道に入る努力をしなければなりません。それこそが大事であり、罪悪感で自分を苦しめ続けるのは、正しいことではないと思います。(種)
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