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心の傷を癒すために②・・・心の浄化



光は裁かない

 臨死体験者の体験を調べ、初めて「臨死体験」という概念を世界に発表したレイモンド・ムーディーという医学博士がいます。ムーディー博士はその著書の中で、多くの臨死体験者は、「光の存在」とともに人生を回想するが、その時に光の存在は決してその人を裁かないといいます。「光の存在」は、どんなに非道なことをしている自分であっても、そのシーンを見てもその人を裁かないで、「ここからきっとこの人は教訓を掴んでくれるだろう」という期待を込めて見てくれているというのです。その体験から学んでほしいという期待をもって、受け入れてくれると感じるのだそうです。

 先ほどのダニオン・ブリンクリーも、人生の回想を通して純粋な気持ちから行う愛がどれほど尊いかを知ったといいます。そして暴力的な世界から身を洗い、ホスピスの仕事に従事して、多くの死にゆく人々に安らぎを与えているのです。ダニオンは、とっさにする心から出た親切ほど尊いといいます。それは純粋な心から出る愛だからです。行為の大きさではなく、ささやかな行為に込められた愛が価値があるのだと感じたそうです。

 私は、臨死体験者の報告に従い、自分の人生を回想することをAさんに勧めたいと思います。そしてAさんは愛についての経験が深い方ですから、特に愛を巡る自分の人生経験を回想することをしてほしいと思います。その時に、決して裁かない光の存在が一緒に人生を見てくれているとイメージしてほしいのです。そして自分を裁かないで回想してほしいのです。

回想することは2つです。自分がどのような愛を受けてきたか、誰からどんな愛を送られていたかです。これは感謝と幸福感をもたらすと思います。もう一つは、自分が相手に与えた苦しみや、愛について振り返るということです。いずれの場合にも、それを受け取った側がどんな気持ちだったかを思いやろうとしてみて下さい。感じ取ろうと意識を向けるのです。もし感じ取れなくても、感じ取ろうとした行為そのものに価値があると思います。そして何かを感じると思います。申し訳なかったという思いが湧いたら、それを相手の心に送り届けるイメージを描きましょう。許してくださいと、許しを請いましょう。心の汚れはそれによって洗い流され、浄められていくことでしょう。

その時に、自分を裁かないことです。光の存在の視点で自分を観るのです。すると「ここから何を学びましたか」という言葉を思い起こしてください。そして何を学んだのか、心に問いかけてみてください。それが教訓となり、智慧となって、これからの人生行路を照らしてくれるはずです。

 

自己信頼を回復する

自分を許すためには、自分が超越潜在意識の分化した存在であるということを受け入れることが重要です。ここで超潜在意識と言っているのは、すべての存在を創った意識であり、それによって私たちはすべてつながっています。この意識を超えているので、超越潜在意識と呼んでいます。これは聖なる意識であり、神性とか仏性という言葉で宗教が捉え、ユングは「自己(self)」といいました。太陽から放たれた光線のように、私たちの魂は超越潜在意識が分化し個性化した存在なのです。すべてのものはそこにおいて一つにつながっています。

私たちは本来汚れない存在です。魂の汚れは、魂の歴史の中でネガティブな想念を呼び込み飲み込んでしまった結果であるので、それを見出し吐き出すことによって、浄化されるのです。

人の心には誰しも「影」があります。影とは自我が否定し、潜在意識に押し込めてきたネガティブなエネルギーです。人には言えない悲しみや、苦しみ、みっともないと思う気持ちや罪悪感を持った気持ち、恐怖心、そうしたものを包み隠さず話すことで、吐き出せます。なぜそういう思いが出たのか、その根源を探求し、吐きだすと、ネガティブなエネルギーの根が抜き取れます。あとは、これまでその影響をうけて身につけた心の傾向性を、気が付くたびに修正していくことです。同じ間違いをしないために、そうした努力は必要です。

Aさんの場合、潜在意識下にある悲しい体験が、同じような経験を呼び込んでいると思われますので、それを発見して吐き出す必要があります。本気で浄化を願えば、それは可能です。それは自分自身が感じ取るものとして見出せます。霊能者にこうだと言われて思い込むのではないのです。自分自身の心で感じ取れるからこそ、本当に浄化ができるのです。

そうした心の修復作業をしていけば、必ず自分自身を許せるようになり、自己信頼を回復できます。

 

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