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のりうつりの捉え方



のりうつりを受けている時は、体調が悪くなったり、自分の感覚がいつもとは違うはずです。

体調でいえば、喉がイガイガしてきたとき、のりうつりが浮き出していることがあります。頭が急に痛み出す時も、のりうつりの場合があります。もっとも取れる直前にも痛みが一時的に増すことがあります。それ以外に、身体が重くなかなか起きられないような場合にも、乗り移りを自覚しやすいと思います。

のりうつりのとき、自分という感覚がいつもと違います。透明な膜越しに自分という感覚を感じます。この時は自分がリアルに感じられなくて、何かが挟まっているようで心の反応がダイレクトに感じとれないのです。
もっとも、いつものりうつりと一緒にいるような場合、自分という感覚がよくわからないかもしれません。リアルですっきりした感覚、ダイレクトに感じとる感覚、そういう感覚で自分というものを感じとれているかどうか。それを点検するとわかるかもしれません。

のりうつりの影響を自覚したり、その懸念を感じたとき、考えるべきことは二つあります。
①くっついているものは何かを教えようとしている
②くっついているものは自分が引き寄せている

のりうつりがくっついているということは、何かを教えようとしています。何かに気づきなさいというサインです。自分が本来の自分らしさを見失っていることが、何かあるのです。自分が今そういう状態になっていると気づく必要があります。

のりうつりは、先方が意図的に攻撃してくることもありますが、その場合でも自分の思いや行動の中にのりうつりを引き寄せている要素があります。のりうつりと同じものを自分が持っているし、それを発しているから、そののりうつりがくっついているのです。のりうつりを引き寄せているのは自分だと知って、自分のどのような思いがそれを引き寄せているかを見出す必要があります。「あ、これか」と気付けたら、反省して同じ思いを持たぬように改善することができます。

この気づきは、のりうつりの思いを見抜くということでもあります。見抜けば思いは変化します。すると外れます。これは一つ成長できたことを意味します。

そういう方法とは別に、一時的に離すという方法があります。
何か別のことに集中すると外れやすいのは事実です。のりうつりと意識がずれたらはがれるのですから、筋トレに集中したり、趣味に集中するとはがれやすくなります。ただし相当集中して取り組まないと、半端なことでははがれてくれません。

イメージでのりうつりをはがすことも、一定の効果はあるようです。のりうつりの程度が軽い場合などは、シャワーを使う時に、のりうつりも一緒に洗い流すイメージを持つと、本当にはがれていくことがあるようです。

神社でお参りの際に水で手を洗ったり、口をすすぐのも、そういう意味合いがあると思います。伊勢神宮で正式な参拝をさせていただいたときは、榊と粗塩を使っておられたようでした。祓うというのは、のりうつりの除去を意図していると思われます。

ただし、自分が引き寄せている以上が、自分のどのような思いや行動がそれを引き寄せているかに気が付かないと、一時的には離れても、根本的には取れないと思います。ですので、いくつかの方法で一時的には離すことができるので、離れたときに自分を見つめて原因を探ることがよいと思います。

のりうつりを引き寄せている原因ですが、否定的な価値感や考え方、感情、そうしたものが引き寄せる原因となることはよくあるので、まずそこから調べると効果的だと思います。

種村修(種村トランスパーソナル研究所・心理カウンセラー)
電話 090-8051-8198(午前830分~11時)

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