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心の成長へ②・・・逆境の経験を通して




(前回から続く)

4.自分と向き合い克服する

 私の体験を書きます。私は40歳すぎにリストラに遭いました。そして不況のさなか社会に放り出されました。ちょうどそれは厄年に当たる頃であり、中年の危機に遭遇したのです。

それまでの自分の経験も、仕事の武器も使えなくなり、苦しみながら生活の糧を求める努力をしました。うつ状態になり、人生を振り返り、そして後悔しました。その時に私は一つのことに気づきました。「責任に向き合えない弱い自分」に気づいたのです。

「自分は子どもがいないからか、責任感という面で、非常に弱い面がある。どこかで自分に向き合うことを恐れ、現実の難局から逃げたり、あるいは腰砕けになるもろさがある。それは責任感の弱さから来ている。この点をどうしても解決しなければ人間としてお粗末だ。」

そう気がついて反省し、自分の弱さを乗り越えたいと心の深いところで思うと、まさにその機会が与えられました。これは不思議な感覚でした。

私は経営不振で倒産の風評にさらされている会社に採用され、そこで資金繰りや銀行交渉の実務責任者に採用されました。そのポストは従来は取引銀行の退職者が経理部長として就くのですが、誰もが敬遠し、なり手がなかったのです。

全くの未知の分野で銀行交渉などしたことがない私が、担当責任者になり、幸運にも3年間で経営危機は脱して、その後その会社は大きく発展でしたのですが、在任の3年間は文字通りの茨道でした。船底の板が破損すれば沈没し海でおぼれるしかない緊張の中で仕事をする漁師の言葉に、「板子一枚、下は地獄」という言葉があるそうですが、毎月手形が落ちる日が近づくたびに、その言葉の意味が嫌というほど感じられました。

いつでも銀行からの呼び出しに対応するために、病欠は絶対にできません。それまで皆勤賞とは無縁だった私が、体調不良を理由とする欠勤を一度もしませんでした。会社がもうだめかと思う窮地でも、ここであきらめれば倒産しかないので、耐え抜くしかありません。できることは何でもしました。時には取引銀行との交渉の席で土下座もしました。

耐えるためにいつもイメージしたのは、倒産した時に、会社の社長始め社員が路頭に迷い、その家族が塗炭の苦しみを味わう姿です。それだけは避けねばという思いを刻んで自分を奮い立たせました。苦節3年で会社再建のめどが立ち、幾つかの信じられない幸運が重なって、発展への舵を切ることができました。

この経験を通して、私は「決して責任から逃げない」という精神が鍛えられました。逃げたくても、逃げるわけにはいかない状況に放り込まれたから、可能になった心の成長でした。

これは私の成長にとっては、とても大きな経験だったので、実際以上に大げさに感じていたのかもしれません。しかし、もしそうだとしても、「決して責任から逃げない」という心は、確かな感覚でした。

5.成長への面舵を切る

 一つの逆境を乗り越えるには、自分の弱い面、醜い面と向き合って、それも自分だと受け入れる必要があります。その上でそれを乗り越える方向へ、人生の選択をし、努力を集中するべきだと思います。

心が成長する方向への努力は、それこそが短期間で難所を抜け出る努力であると思います。もしその時に回避をしたり、成長せずにうまく立ち回ることだけを考えると、人生は開けるどころか、もっと大きな、そして前と同じような挫折が向かってくるのではないでしょうか。これはカウンセリングをする中で、さまざまなクライエントの人生に寄り添って感じることです。

 決して逃げないで向き合っていく。そして心が最も成長する方向へと人生の舵、心の舵を切る。その時に、新しい人生のステージは必ず用意されてくると思います。

<ご案内>
種村トランスパーソナル研究所ではカウンセリングを行っています。
対面のカウンセリング以外にも、電話カウンセリングやメールでのカウンセリングも受け付けています。遠慮なくご利用ください。ご連絡をお待ちしています。
電話09080518198
メールアドレスtanemura1956@gmail.com
カウンセリングルームは千葉県のJR常磐線・我孫子駅南口から徒歩10分の場所にございます。

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