スキップしてメイン コンテンツに移動

心の成長へ③・・・うつの時は生活改善をはかる


1.うつ状態

逆境に対処するときに、うつ対策は最も重要な要素になります。

うつ症状の中心は、とめどもなく湧き起こる自己否定の観念です。自分を否定し、否定し、生きるに値しない存在であり、罪深くのろわれた存在であり、敗北者であり、死ぬべき人間であるように感じます。

しかも、先が見えないぬかるみの中を歩くように、心の重荷を背負う苦悩の人生が永遠に続くような時間の感覚があります。

さらに、どうしようもなく貧困になり(貧困妄想)、自分が人を傷つけたり犯した罪にさいなまれるように感じたり(罪業妄想)、病気で死ぬしかないと思えたり(心気妄想)、愛のない孤独な寒々とした人生の終焉を妄想しては悲観し苦しみ、やがて絶望します。

身体症状も苦しみの理由です。体は重く、夜は眠れず、食べものの味は味気なく、頭痛も激しく、脳の働きが極端に低下します。そして死にたいという願望とのたたかいにエネルギーを使い果たすように感じます。身体感覚の苦しみと、心の苦しみは同時に進行します。

気力が起きず、横たわっているしかないように感じることもあります。動けないのか、動かないのか、それも分からない状態です。無為の時間が通り過ぎ、自分の価値がさらに損なわれていくように思えます。未来に希望はなく、無理に希望を描こうとしてもできません。今の不幸が終わる時が来るということを想像することができないで苦しんでいます。

 私が人生の底で経験したうつ状態を回想すると、以上のような記述になると思います。最も重い症状が出ていた時期は、「死」への誘惑と常に戦っていました。その状態を潜り抜けたとき、「生きていてよいことが本当にあるんだ」と何度も思いました。そして過去を回想して、「よく生き延びられたものだ」としみじみ思いました。それが率直な感慨だったのです。

2.生活面の問題

 うつ状態から何とか抜け出した経験を振り返って、いくつかのポイントがありました。その一つは生活面、身体面への配慮であり、もう一つは考え方の修正です。

考え方の修正は、のちに認知療法や論理療法に触れて時に本格的に修正に取り組んだことがあり、それがうつの再発予防に効果がありました。生活面、身体面の配慮は、私が手探りのなかで身につけたノウハウです。認知行動療法の一つの領域である行動活性化療法がそれに近いかもしれません。

 うつ状態から脱却するには、生活の「構造化」が大事だと思います。うつ状態になると、まともな生活の面に大きなひずみが出てくるからです。うつ状態に陥ると、不眠で悩むかと思うと昏々と眠り続けたり、昼夜逆転したりと、さまざまな睡眠障害が出てきます。

また今までできていた仕事ができなくなり、物忘れが激しくなります。能力(脳力)が激減している自分に唖然とします。呼吸が浅くなり、体が冷えます。今まで通りの生活ができなくなります。

間断なくおそってくる自己否定の観念と、環境や未来への否定的な思いに苦しむあまり、何とかそれを紛らわせようともがきます。飲酒の習慣がない人が街の飲み屋に通いだしたり、キッチンドラッカーになったりするのは、苦しい思いから逃げたいからでしょう。

逃げる(逃避)ということから言えば、ネット上での仮想空間に没頭したり、ゲームに没頭して中毒になるのも、矢張り「逃避のメカニズム」が作動していると思われます。

人によっては恋愛の情熱で心を麻痺させようとすることや、大量に食べることで苦悩の感覚を麻痺させることもあるかもしれません。うつ状態はエネルギーが大幅に低下するので、エネルギーをかきたてようとする衝動が出てきます。

そういうことすらできない場合は、ひたすら無為になり閉じこもり、低いエネルギー状態に耐えることになります。運動不足は免れません。

 いずれの場合にも、生活面で規律がなくなり、しっかりとした生活の枠組みを失ってゆくことになります。それが心の不安定さをもたらし、うつ状態を長引かせ、深刻化させる要因となります。

運動しないと筋力が衰え、免疫力も低下します。肉体の衰えや病気は、さらに悲観的な思考とうつ感情を強化してゆきます。

こうした悪循環に終止符を打つには、生活面を変えることが重要です。何か一つでも好ましい変化をつけていくことは、好転への引き金になります。



<ご案内>
種村トランスパーソナル研究所ではカウンセリングを行っています。
対面のカウンセリング以外にも、電話カウンセリングやメールでのカウンセリングも受け付けています。遠慮なくご利用ください。ご連絡をお待ちしています。
電話09080518198
メールアドレスtanemura1956@gmail.com
カウンセリングルームは千葉県のJR常磐線・我孫子駅南口から徒歩10分の場所にございます。

コメント

このブログの人気の投稿

自己特別視と依存の心理

自分を特別視 して 肥大した自我 を持つ人には、しばしば 依存心 が見られます。 プライドが高く自分は特別にすごい人間だと、内心思っているのに、世間で通用するような実績や成果が出ないで屈折する人がいます。 素質を持ちながらも、この人の心理の奥に依存心が潜んでいて、それがその人の努力と成長を妨げているのです。 よくあるケースとして、生育過程でその人が親や祖父母から特別扱いをされ、それゆえに自己特別視と依存の心理が育ってしまう場合です。 ある男性の家系では、 3 ~4代前のご先祖の当主が自殺したそうです。それまで栄えていた家は、そこから暗転し、 それ以降は、家系には男子が恵まれず、産まれても育たずに早死にし、女性によって細々と血筋が守られてきました。 その男性は、この家系にようやく生まれ育った待望の男児でありました。 ですから、祖父母やご両親の愛情と期待を一身に受けながら、特別な存在として大切に育てらたのです。 この男性にとっては、自分は特別な存在であるということは周囲から植えつけられた、空気のように当たり前の固定観念でした。そして非常に大事にされて育ったので、自分は特別な存在だから愛される、愛されて当然の存在だという気持ちも無意識に育っていたのです。それは依存心につながるものでした。 こうした特殊事情がなくても、普通に長男としてその家に生まれ、祖父母が特別長男をかわいがる場合、よく似た現象が見られることがあります。 長男として生まれた男児を、祖父母が特別愛情を注ぎ、何でも先回りして世話を焼き、母親も同じように手をかけて息子を育てた場合に、それが生じます。 本人は、自分は特別であるという自己特別視を持っており、自分の価値基準に反する学友を蔑視しがちです。無条件に大切にされてきたので、愛されるのが当たり前だという気持ちがあり、人の感情に対して無神経になります。その結果、積極的に自分から人に関わるコミュニケーション能力が育たず、孤独で孤立しています。 彼には親や祖父母への依存心が根っ子にあるので、無意識に誰かが何とかしてくれるという気持ちがあり、自立してゆくための気力や努力が乏しくなります。「自分は特別だから愛され大切にされて当然だ」という思い込みがあるので、感謝の薄い、傲慢な人間になりや

無気力と魂が腐る感覚

学生の頃、学内での深刻なトラブルで無為の底に沈んでいた時期がありました。 勉強も運動もできず、授業に出席することもできませんでした。 その頃の下宿の部屋はチリと洗濯していない衣類で埋まり、悪臭が漂っていたと思います。 無気力の淵に沈み込んだまま、身体も重く、毎日が憂鬱で生きている実感がない状態が続いていました。 その頃、本棚にあった古代インドの聖典を開くと、無気力で何もなさない人は魂が腐っていくと書かれていました。 ギクッとして、「今の自分だ」と思った、その衝撃を鮮明に覚えています。 「この状態を続けると自分は腐っていく」という恐怖に襲われ、反省が生じ、自分を変えようとし始めました。 そこでまずしたことは、部屋の掃除からでした。 思い返すと、無気力やうつ状態から脱する時は、たいていの場合掃除から始めていたように思います。 経営危機に直面していた会社に勤めたときも、朝一番に出社して、まず掃除から始めました。 この会社の再建は、中年の危機からうつ状態に陥った私の心の再建にリンクしました。 掃除には不思議な力があります。 掃除は、部屋や住まいの掃除を、少しずつ毎日行うのが基本です。 勉強でも仕事でも、何かを始める前にどこか一カ所をきれいにします。 するとそこを通るたびに、心がすっきりして、やる気が出るから不思議です。 毎日どこかを掃除していくと、だんだん住まいがきれいになり、同時に心もしゃきっとしてきます。 無気力で苦しんでいる時には、まず掃除からの出発が効果的かもしれません。 関連記事 無気力と向き合う  http://tanemura2013.blogspot.jp/2016/07/blog-post.html 無気力と逃避  http://tanemura2013.blogspot.jp/2016/07/blog-post_2.html <ご案内> 種村トランスパーソナル研究所では、直接お会いする対面カウンセリングとともに、電話カウンセリングやメールによるカウンセリングも行っています。 相談してみたいと思われるかたは、遠慮なくご連絡ください。 ℡ 090-8051-8198  (メール) tanemura1956@gmail.com カウンセリン

洗脳の後遺症を治癒するための夢分析

宗教による洗脳は、深い影響をその人に与えるために、脱会してからも後遺症の除去には時間がかかります。 往々にして夢は、後遺症の存在とその内容を示すサインとなります。従来所属していた宗教にまつわる夢の分析は、非常に重要です。 十数年前まである宗教の職員、いわゆる出家をしていた経験を持つOさんは、ある明け方、夢をみました。 「私は夢の中でその教団の職員をしていました。そこでは職員に対して次から次へと勉強を要請されており、職員たちは数学の勉強をしていました。公文のテキストにとり組んでいる人も何人かはいました。私は同じようにその勉強をしなければと思いながら、少し引いた立場にいたようです。職員時代に味わった、追い立てられるような気持ちがのこっている状態で目が覚めました。」 Oさんによると、この宗教は職員を競わせ、次々と勉強や新しい仕事にまつわる知識の習得を要求していました。それによって、職員を息をつかせない状態におき、常に周りと競わせ、その結果によって優劣をつけます。一つの分野で優れたものをもっても、別の分野、例えば数学(注:これは象徴的な表現です)という宗教とは一見関係が薄いものを学ばせて、競わせるので、職員は常にせかされて追い立てられているのです。 こういう競争状態に常に置かせることで、教祖は弟子が団結することを防止し、教祖の意のままに分断してコントロールしやすい状態においていた気がすると、Oさんは回想しています。 さて、知識の集積は、自分の心の内側を探究するのではなく、外へ外へと意識を向けさせます。本来の自己は何かという、最も本質的な内側への目を閉じさせて、外へ外へと意識を向けてゆきます。 常に あたらしく有用な知識が蓄積されていかないと、不安に陥るようになっていきます。 長くこの状態に染まっていると、次第に超越的な存在の一部である価値ある自己を忘れていき、外から何かをつけ足さないと価値が減少してゆく、という自己感覚を、身につけるようになっていきます。 自分の存在自体に価値を見いだせないものは、自分を見失い、自己を喪失します。そして、上や外から与えられる評価つまり有能さや有用性の尺度で自分の価値を図るようになるため、非常にコントロールされやすくなります。 Oさんは、勉強が好きで知識を習得すること