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4月, 2014の投稿を表示しています

(投稿)霧の中を進む2

(コメント)准カウンセラーの「大」さんの投稿です。心を探究していく過程で味わった「心理的な体験」を、イメージで書き綴ってくださいました。誰しも自分のことのように感じる部分があるのではないかと思い、紹介させていただきます。(種村)



(投稿)
道に迷って
この一本の道は、緩やかな蛇行を繰り返しながら、登り坂が続いている。霧の濃さは変わらず、逆にさらに濃さを増しているように感じる。
目の前にうっすらと見えていた視界も、明らかに見えにくくなってきた。

見えなくなる視界を前に、焦りと苛立ちの気持ちがでてきた。
この先どうなってしまうのかという不安な気持ちも、再び湧き上がってきた。
焦りと不安に支配され、かすかに聞こえていたベルの音さえも聞こえなくなっていた。
とにかくここを抜け出したい。目の前を遮る霧の存在に対する怒りの気持ちがこみ上げてきた。
とにかく、ここを抜け出したい一心で、足運びが早くなった。
心の中は、目の前の霧に対する怒りの気持ちで一杯だった。
「ちきしょう! こんな霧さえ無ければ!」
そう叫んで、手に持っていた荷物を振り回し、霧を散らそうとした。
そんなことしても無駄だとわかっているのに、やらないわけにはいられなかった。
目には大粒の涙が溢れていた。悔しくて悔しくて仕方なかった。
やや自暴自棄になりながら、目の前が見えないまま走り出した。
何とか進めたので、そらみたことかと思った矢先であった。
踏み出した足の感覚が明らかに違ったのを感じた。
我に返り、必死に足を止めようとしたが、勢い余って転んでしまい、2,3回転したあと、何とか止まることができた。
転んだ勢いで、体の数カ所から血が出ていたが、大怪我にはならずに済んだ。
周りを見てみると、少し折れかかった低木があった。幸いにも、この低木がクッションとなって、止まったらしい。

危険で厳しい道のり
よく見ると、この先は、深い崖になっていた。どのくらい深いかは、霧が邪魔して見えなかった。顔から急に血の気が引いていくのを感じた。
この低木に感謝をし、折れた部分を、持っていたヒモでしっかりと結び、元の状態にしてあげた。
しかし、道のすぐ脇が崖だったとは。霧で見えなかったとはいえ、とても危ないところを登ってきたことに、ようやく気づくことができた。

さらに気づいたことは、荷物を振り回した後に走り出した方向は、全く逆の方向だったということであった。霧で視界が悪い中、さらに気が…

(投稿)霧の中を進む

(コメント)
準カウンセラーの「大」さんが、心と人生を探究していく過程で感じた迷いと、その時に自分を導いてくれる心の奥底の声を、詩としてつづってくださいました。もし、今迷いがあり、霧の中を歩んでいるような気持ちであれば、この詩は霧の中のカンテラの役目をしてくれるのではないかと思います。(種村)
(投稿)霧の中を歩む

深い霧に囲まれた中 ただ一本の道を歩む
道の先は霧で見えず 振り返るとも 今まで来た路も見えない
道の横は草原なのか それとも崖なのかも わからない
今は明け方なのか それとも夕暮れなのか
これから日が昇るのか それとも暮れるのだろうか
身にまとったヨレヨレの服と わずかばかりの食料を手に
一歩一歩と足を運んでいく

この道が どこまで続くのか
そして どこにつながっていくのか

今までに いくつかの分かれ道があった
内なる あるいは 外からの導きで 
信じる道を選んで進んできた
そして 今は ただ一本の道が目の前に延びている

この霧は いつかは晴れるだろう
そして その時に 自分が進んできた道を 振り返って見ることになるだろう
目の前の道が どこにつながっているのか 見えるだろう
しかし それはいつかはわからない
ただ この道を進むしかないということだけは わかっている

歩むのに疲れて 少しだけ道ばたに腰を下ろす
耳を澄ませば 静寂と喧騒が入り交じっている
聞きようによっては 静寂にもなり 喧騒にもなる
そうしたことが ますます不安に拍車をかける
自分の歩んでいる道は いったい正しいのであろうか
もしかしたら 間違った道を 気付かずに 進んでいるのではないか
そうした気持ちを嘲笑うかのように 霧はいっそう深くなっていく

焦るな 結果を求めるな このような霧に惑わされるな
静かに目を閉じよ そして耳を澄ませ 静寂の中に意識を集中せよ

そうした声が聞こえる
静かに耳を澄ましてみれば 遙か先からベルの音が聞こえる
耳を澄ませば澄ますほど その音がはっきりと聞こえてくる
昔聞いたことのある このなつかしい音色は
不安に包まれた心を やさしく和ませてくれる

迷ったら 目を閉じよ
静かに耳を澄ますのだ
このベルの音は 常にあなた方に向かって鳴らされている
この深い霧の中で 目の前に広がった光景に惑わされたら
静かに目を閉じて ベルの音に耳を傾けるのだ

霧はさらに深く どこまでも続く
いつになったら はれるのか 永遠にはれないかもしれない
目の前には…

(投稿)怒りの対処法 5

仕事でのトラブル
仕事での取引で、取引先と電話で連絡を取ったときのこと。
 取引先の指示に従って、こちら側が用意した内容を準備をし終えて、確認の電話をしたとき、その内容では、こちらでは対応できないという話をしてきました。
 自分では、取引先の話を信用して、この準備をするために、ある程度のお金をかけて準備したのですが、それが全く無駄になるかもしれないということが判明しました。
 私もさすがにキレそうになり、声を荒げて「話が違いますよ・・」と言い返したら、さすがに先方もこちらの様子を察したのか、相当にアセった様子だったので、「いかん、いかん・・」と少し冷静になりました。
 ここで、少し頭の中を整理して、「今、自分にとって何が大切か?」ということを考えました。
「この不条理な状況に対して、相手の責を責めても仕方がないことだけはわかりました。目的は、自分の仕事のゴールにたどり着くこと。ゴールまでの道のりは、いくらでもパターンはある。目の前に障害物が現れたら、それをいかにくぐり抜けていくか。とりあえず、ゴールだけに集中しよう。」
そう考えて、1つ1つ対応をしていきました。その結果、何とか大きな問題にならずに、仕事の目的は達成されました。

目の前の障害物
 その翌日、車で急いで道を走っていたときのこと。思いの外、赤信号とゆっくり走る車に前を阻まれ、かなりイライラしているのを感じました。そのときに、前の日の、仕事での出来事を思い出しました。
「焦るな。ゴールにたどり着くのはどうしたら良いかを考えろ。」
そうして、気持ちを切り替えながら、無事時間通りに目的地にたどり着くことができました。

 ある目的を果たそうとするとき、目の前に障害物が現れると、その障害物に対しての怒りがわいてきます。自分の目的を達成することを阻害する要因であるからです。自己防衛本能として、そのような怒りがわいてくるのでしょう。
 自分はしばしばそのような怒りに心を悩まされてきました。頭ではわかっているのですが、どうしても「怒り」という感情がわいてきます。
 怒りを発してしまった後は、自分の心が未熟であることを責め、自己嫌悪に陥ることもしばしばでした。

内なる声の導き
 そんな中、今回の経験をきっかけに、怒りについて、どのように対処すべきか、自分の心に問いかけてみたところ、このような答えが返ってきました。
自分の目的を達しようとする心は決して悪い…

キレる心を治す・・・・栄養カウンセリングのアプローチ

  現在新しい流れとして分子整合精神医学と呼ばれるアプローチがあります。脳が必要とする栄養素を調整することで、精神疾患を治したり症状を和らげようというアプローチです。これには切れやすく攻撃的な精神状態の改善、うつの改善、統合失調症の改善などに、大きな効果をあげています。

特に、「切れる」子供や大人が近年急増する理由には、食生活の問題が潜んでいる場合が少なくありません。この場合には、心理のカウンセリングだけでは不十分であり、栄養面からのカウンセリングが必要になります。
低血糖の恐怖
 現代はカロリーのとり過ぎにより血糖値(血液中の糖分の濃度)が高くなる糖尿病が問題になっています。ところが、精神面では甘いもののとりすぎからくる低血糖が大きな問題となるのですが、これは意外に知られていません。
 砂糖が多く含まれているコーラなどの清涼飲料や、ケーキやチョコレートなどの過剰摂取によって砂糖(特に白砂糖)をとりすぎると、低血糖が発生することがあります。低血糖というのは血液中の糖分の濃度が異常に下がり、脳を始め体に必要な養分が不足して深刻な機能低下を起こす怖いものです。それが砂糖のとりすぎで起こることがあるのです。
砂糖をとりすぎると低血糖になるというのは意外ですが、真実です。そうなる体の仕組みをご紹介します。
まず、砂糖が大量にふくまれた清涼飲料や菓子類を大量に食べると、血中の糖の濃度が急速に上昇します。するとそれを抑えるために、膵臓からインシュリンが大量に分泌されます。その結果、血中の糖の濃度が大幅に下がって、低糖症になるのです。
低血糖になると、身体はもちろん特に脳の働きが低下するので、生命に危険が起きます。低血糖の症状としては、空腹感、あくび、脱力感、冷や汗やふるえ、動悸、けいれん、性格の狂暴化、意識障害などが次々に現れます。
それを回避するために体に自動調節機能が働き、今度は血液中の糖の濃度をあげようとします。
何故キレるのか
血中の糖の濃度をあげるために、ホルモンであるアドレナリンと神経伝達物質でもあるノルアドレナリンというホルモンが副腎から放出されます。両者は肝臓を刺激して糖分(グリコーゲン)出させる働きをします。
特にアドレナリンですが、このホルモンは「攻撃ホルモン」と呼ばれるもので、危機的な場面に遭遇した時に、戦うために心臓を活発にさせ、攻撃性を高める働きをします。このために低血糖…

(投稿)勉強への感謝

父と息子の勉強
最近になって、少しあきらめかけていた国家試験の勉強を始めました。
初めのうちは調子よく勉強できていましたが、徐々に収穫逓減の法則が働き、勉強がうまく進まなくなってしまいました。
ここで踏ん張らないと、また去年の二の舞になってしまうと思い、奮起するのですが、頭が疲れてきているのか、最初の意気込みはどこにいってしまったのか、勉強するのがイヤになってしまいました。

そういえば、長男も同じようなことを言っていました。
「なんで勉強をしなくちゃいけないのか。」
「僕は勉強があるために、なんでこんなに苦しまなければいけないのか。」
「勉強がない国に行きたい・・・。」

長男の気持ちがよくわかりました。
勉強するのは大切かもしれない。でも、継続していくのは、それなりの犠牲と苦しみを伴うものである・・・。
「勉強をしろ。」というのは簡単なことです。しかし、親である自分が勉強している姿を見て、「自分もがんばらなくては」と思って、自主的に勉強をしてほしい。自分は何もせずに、子どもにだけ勉強を強いることは、確かに理に合わない。試験勉強をもう一度やり始めようと思い立ったのも、そうしたことがきっかけとしてありました。親の背中を見て育って欲しい、そうした思いがありました。

でも、やはり苦しいものは苦しい。できれば、やめたい。

しかし、私の心の奥底から伝わってくる思いはそうではありません。

心の奥底からの思い
<この試験勉強は何のためにおこなうのか。勉強はあなたを苦しめるためのものであるのか。そうであるならば、勉強というのはあなたの「敵」ということになるでしょう。では、この資格を取得してどうするのか。多くの人達の助けになるために、この資格を取ろうとしているのではないのか。そうであるならば、今勉強している知識は、あなたの役に立つはずのものではないのか。そうした知識を身につけることは、あなたにとって、武器を身につけることと同じではないのか。あなたの役に立つために働いてくれるものではないのか。そうであるならば、なぜ感謝の思いが湧いてこないのか。
今日より、いま使っている参考書や身につけようとする知識に対して、深く頭を下げなさい。「ありがとう」という気持ちを大切にしなさい。受け入れる気持ちを持つことが大切なのです。これから身につけ、自分のために役立ってくれる資格や知識に対して「敬虔」の気持ちを持つことです。そうすれば…

(投稿)感謝ということ

マズローの欲求段階説と感謝

心のモチベーションを高めるために、まず大切になるのが「感謝」ということです。
人間の心というものは、感謝に始まり、感謝に終わるといって良いでしょう。
「感謝」をするということは、とても大切なことであるということは、皆知っています。感謝することの大切さを述べた書籍などは、山のように存在しています。
では、「感謝」の本質とはいったい何であるのか。
「感謝」というものはとても素晴らしいものであるということは、わかっている。では、いったい「感謝」はなぜ、良いことであるのか。もともと「感謝」ということは何であろうか。
人は感謝をすると、心が安らぎます。心から憎しみが消え、ストレスが吹き飛び、心の底から喜びが湧いてきます。そして、報恩をしようとする感情が生まれてきます。善念の集合体、それが「感謝」であるように感じます。

マズローの欲求段階説を見ると、生理的欲求から始まって、自己実現欲求までの段階に至るまで、何が変わっているかといえば、「感謝」の度合いが変わっているといえると思います。
人間が生まれて、自分を1つの「個」と認識し、自然と隔離した存在であると感じる段階を得た時、その自然(自分以外の環境)は自分という「個」に対してどう接しているかということが、欲求段階に多分に影響を与えることは明らかです。
つまり、自分という「個」に対して、「自然」は害する存在であるのか、それとも守ってくれる存在であるのか。言いかえれば、否定的存在か肯定的存在であるかということになります。
欲求段階で見ると、最下層では、否定的である要素が強く、上層に移るにつれ、肯定的要素が強くなってくると思われます。上層は社会的貢献の欲求ですから、世の中を肯定的に見ることができないと、基本的には難しいのではないかと思われます。自然に「感謝」の念というものも強く持つようになってくると思われます。
そうした理由で、マズローの欲求段階は「感謝」の度合いに比例するということを定義してみたいと思います。
付け加えて言えば、欲求段階のさらに上の段階である「自己超越」の段階では、心が「感謝」に満たされるということを述べておきたいと思います。
ゆえに、欲求段階を心の成熟度の段階ととらえるならば、「感謝」を高めていくとこが、心の成熟につながっていくといえると思います。

感謝の本質<

過去の回想と心の浄化(2)

回想の方法
(前回からの続き)
相手の気持ちに触れる
 書くときに、過去の回想として書くという方法がまず思い浮かびますが、ロールレタリングという往復書簡法を使うと、非常に効果的に回想が進みます。往復書簡法を使うのは、たとえば父親との関係を振り返りたいときは、自分と父親との手紙のやり取りを、自分が双方の立場に交互になって行うのです。その時に、父親の視点に立って書くと、今まで自分が思ってもみなかった父親の気持ちに触れたり、忘れていた記憶がよみがえってきたりします。
過去の回想で最も重要なのは、自分が周囲の人にどういう影響を与え、どういう思いをさせていたかを理解することです。これが分かると、真の意味での反省ができます。自分の発した言葉で相手がどれほど傷つき苦しんだのかを知ると、おのずと反省せざるを得なくなります。申し訳なかったという気持ちが生まれ、償いたいという思いを持つのです。そして二度と同じことをしまいという決意がうまれます。
この時に、自分を裁かないことが大切です。自分を裁いて自己卑下したり、罪悪感に捉えられると、あらたな傷が生まれます。これでは癒されません。そういう自分であっても生かされて生きているという事実に気がついて、感謝の気持ちを持つことが必要です。そして、そういうプロセスを経てきた自分を、これも自分であると受け入れることが必要です。

臨死体験者の経験をヒントに
 私はこの時にどういう気持ちで自分を見つめるかという点では、臨死体験者の方の経験が非常に参考になると思います。臨死体験者は、過去の自分をまるでスクリーンの映像のように見るといいますが、その時に「光の存在」が立ち会ってくれます。その「光の存在」は決して非難したり裁いたりすることなく、「おじいさんが孫に与えるような、無条件の思いやり」(ダニオン・ブリンクスリー著『未来からの生還』)をもって寄り添ってくれます。そして、「その経験からあなたは学ぶことができる。何か大切なことをあなたは学ぶ」という無言の信頼に満ちたメッセージを送ってくれるのです。
 この「光の存在」の温かい視線で、過去の人生の経験やその時の心の動きを見つめるのです。そして決して裁かず、その経験を通して得ることが期待されている洞察を得ようとします。「この経験通して、私は何を学ぶことが期待されているのだろうか」「何を学ぶためにこういう経験をしたのだろうか」と自…