卑屈さとプライドは、つながることがあります。
大変プライドが高い学校を中退したあと、なかなか世の中で認められず惨めな思いをすることがあります。
おうおうにして現実のみじめさから卑屈になるのですが、内心のプライドは非常に高いのです。
プライドが高いからこそ一層惨めな気持ちがするのですが、そうすると往々にして現実を否定します。そしてプライドにしがみつきます。
本当ならプライドを見つめなおして修正すればいいのです。
そういうまたとない機会です。
しかし、ありのままの自分を受け入れられなくて、現実とプライドのギャップに傷つくので、プライドをもっと高くして現実を否定しようとします。
これは逃避です。
つまり人間は卑屈さの奥に、高いプライドをもっているのです。
卑屈の人と接する時は、その人が持っている高いプライドを軽く見てはなりません。
奥にある、その人の個性の価値を見出すような付き合い方をし、礼節をもって接するのがいいと思います。
それは恨みを買わない方法であり、かつその人が自分の個性の価値を見つめるきっかけになると思います。
また自分が卑屈になっていると思う時は、プライドに引っかかっている自分を見つめなくてはなりません。
プライドが自分の個性を妨げているからです。
私たちの個性は尊いものです。
個性は人によって千差万別です。でも尊さは等しいと思います。
自分を尊ぶということは、個性を見出し個性を発揮する努力をするということです。
そして個性に自信を持つことです。
それでこそ、のびのびとした心で生きることができます。
それはプライドにこだわることとは、全く違うのです。
若い人の場合、個性を見出すには、まず両親から受けたさまざまな抑圧を見つめ、それを跳ね返す必要があります。
またある種の若い人は、精神的なものや自分が価値を認めるものを上位に置き、そうでないものを否定する傾向があります。
こういう傾向があると、人とのコミュニケーションがうまくいきませんし、自分の個性も見出せません。
価値の線引きをして下のものを切り捨てるという考えを持つと、下とみなしたものに関心を向けなくなります。
こうした「否定」を抱えていると、人の個性も見えないし、さまざまな事柄にある価値も見えないし、自分の価値も見えません。
物事の見方が非常に狭く、付き合いにくく、プライドばかり高い浜の狭い人間になるので、勇気をもって自分を変えようとすることが必要です。
若い人の場合、個性を見出すには、まず両親から受けたさまざまな抑圧を見つめ、それを跳ね返す必要があります。
またある種の若い人は、精神的なものや自分が価値を認めるものを上位に置き、そうでないものを否定する傾向があります。
こういう傾向があると、人とのコミュニケーションがうまくいきませんし、自分の個性も見出せません。
価値の線引きをして下のものを切り捨てるという考えを持つと、下とみなしたものに関心を向けなくなります。
こうした「否定」を抱えていると、人の個性も見えないし、さまざまな事柄にある価値も見えないし、自分の価値も見えません。
物事の見方が非常に狭く、付き合いにくく、プライドばかり高い浜の狭い人間になるので、勇気をもって自分を変えようとすることが必要です。
心理カウンセラー・種村修(種村トランスパーソナル研究所所長)
連絡先:メール tanemura1956@gmail.com
℡ : 090-8051-8198
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