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怒りと気づき




私が以前、あるアルバイト先で経験した経験をお話します。
その職場では、20歳前後の男性が働いていました。
仮に、ここではK君と呼びたいと思います。
K君は、仕事中に自分のことを色々と、ほぼ誰かれなく話しかけてくる人でした。
K君には不思議な力があって、周りの人はついついK君の話に釣り込まれて、彼の人生相談にのっかったり、彼を励ましたりしてしまい、仕事の手が滞りがちになるのです。
これには結構エネルギーを奪われます。
また仕事の手が止まりがちになるので、職場の人は嫌がるようになりました。
「口を閉じて、もっと仕事に集中しなさい」
そういう注意を、何人もの先輩から受けていましたが、とまりません。

私はK君は、幼少期から母親に愛されていないと感じて育ってきたのではないかと思っていました。
だから、ある程度同情的ではあったのです。
それでも毎回自分のことを話すのを聴いているうちに腹が立ってきて、強い怒りを感じ、K君への拒絶感・拒否感まで覚えるようになりました。
これは他人の否定です。
カウンセリングでは、すべてを肯定し、気づきのサインととらえていこうと考えている私であるはずなのに、この状態はおかしいと思いました。
そして自分を振り返ったのです。

強い拒絶感・拒否感、つまり強い否定の感情が出てくるときは、自分の個性が発揮されていないときだと思います。
そして肉体の疲れがたまっている時は、個性が発揮されにくいのです。
肉体が疲れすぎていると、いろいろと感情の引っ掛かりが出てきます。

私がK君に怒りを感じたのは、これは投影ではないか思いました。
もし投影だとすると、自分の何をK君に投影しているのだろうか。
自分の丹田が自分自身に感じているイライラを、私がK君に投影し、強い怒り、強い否定感情を持っているのではないかと分析しました
自分の自分への攻撃を、K君に振り向けているのではないかと分析したのです。

私はK君と違って仕事中は無口ですが、心の中でいろいろなことをおしゃべりしていて、雑念がいっぱいになっていたのです。
当時は勤め出したばかりで、肉体疲労もあり、キャパオーバーしていた時期でもありました。
私の丹田からすると、そういう心の中でおしゃべりして雑念で一杯になっている自分に対して、相当強い怒りを持っていたと思われます。
その怒りの感じが、K君への強い拒絶感情に出ていると自己分析しました。
つまり、この仮は本当はK君への感情ではなく、自分(丹田)の自分に対する感情を、K君に投影していただけではないかと分析したのです。

もう一つの理由も考えられました。
職場のひとのK君への怒りやイライラの感情を、私自身が吸い込んでいて、それが私の中で増大していったということです。確かにその要素もあったと思います。
その点に無自覚であったことが、K君への拒否感情を不用意に増大させたと思います。

ただし、私の本音の思い、いわば丹田の思いとしては、K君が仕事を軽視していて、真剣さを欠いた姿には、違和感と反感を感じていました。
給料をいただいてしている仕事に対して、もっと真剣に取り組むべきだという価値観があるからです。だから仕事を軽くみているK君の姿に反発を感じたのです。

以上のような分析を終えて、いくつかの気づきを得ました。
本当の個性の私、つまり丹田の私は、自分が心の中でおしゃべりして、雑音を出していることは改めたいと思っている。無念無想というか、無心に仕事をすることを求めていると思いました。
K君への職場の多くの人の反感や批判の思いに同調したので、それを吸い込んで自分の中で増幅させた。つまりこれは私の個性を覆う他人のエネルギーを吸い込んで、それを自分であると錯覚していたわけです。これに気が付かないと、やがて私が私でなくなります。
その背景には、パンパンになっていて、また肉体もつかれていて、余裕を失っている自分がありました。それにも気づかされました。
最後に、私の丹田、私の個性は、今取り組んでいる仕事を重く考えていて、真剣に取り組むべきだと判断している。それは仕事を成長の場だと捉えているからに他なりません。

K君へのネガティブな私の感情を分析して、以上のようなことを気づきとして得ることができました。

最後に、もう一段高い視点から私の在り方を振り返ると、気を付けるべきことが2つあると思いました。

①相手の自立を促すような形で注意を与えるべきだった。自立を促す注意の仕方を工夫する必要がある。

②慈しみ・慈悲の観点から言うと、相手の存在や相手の個性を否定してしまうような気持ちは持つべきではありません。一人の個性として相手を尊敬する気持ちをもつことを忘れるべきではないと思いました。

 残念ながらK君は、3か月の使用期間を終えて採用にはならず、職場を去りました。
私ともそれ以上の縁はなかったわけですが、大事な気付きのきっかけを与えてくれたことには感謝しています。

種村修(種村トランスパーソナル研究所・心理カウンセラー)
 連絡先:メールアドレス   Tanemura1956@gmail.com



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