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丹田を動かす生活

個性的で、自分らしい自分を、日々生きるようになるには、丹田を動かす生活をすることが必要です。これは意識して心がけているとできることです。 丹田が動いているか、まったく動いていないかは、立ち方、歩き方にも違いが出ます。 歳を取ると、知らず知らずのうちに、お腹を前に突きだすような立ち方をしている時があります。 この姿勢は大変悪く、だらっとして、下腹部に力が入っていません。 この姿勢の問題点は、壁に背中をつけてみるとすぐわかります。壁からおしりと腰が離れてしまっているのです。 丹田を意識して下腹部に力を入れると、まっすぐに立てます。壁に腰もくっつきます。 姿勢を直す時、腰が少し痛く感じます。腰の筋力が落ちている証拠です。 姿勢を正しくすることで、腰や背中の筋力も鍛えられるのだと思います。 これは歩くときにも言えることで、顔や腹を突きだすのではなく、胸を張ってあるかないと膝(ひざ)を痛めます。 丹田がある下腹部に力が入っていない歩きかただと、顔が前に出て、同時にお腹も前に出ています。これは非常に悪い姿勢で、ひざに負担がかかるのです。 歩くときは下腹部に力を入れて、胸を張って歩きます。 歩くことだけに専念して 30 分も歩くと、冬でも汗ばんできます。 新陳代謝がよくなり、足腰の筋力も増し、健康が増進します。 歌を歌ったり、声を出してお祈りをしたりするときも、丹田を動かすことが大事です。 喉だけで声を出しているのと、下腹部に力が入って肚から声を出すのとでは、声の響きが異なります。 肚から声を出すには腹筋を鍛えることが不可欠で、下腹部を使うことが必要です。 肚をつくることの大事さを、日本人は文化として継承してきました。 相撲での四股を踏む気迫のこもった姿や、弓道で弓を射る美しい姿は、丹田が動いている姿です。 ほどよい緊張感の中に全身のエネルギーが動いている状態です。 自分らしく生きるためには、全身のエネルギーがほどよく発揮されている状態が必要で、それには丹田を動かす生活が必要となるのです。 心を変えるには、立つ姿勢や歩き方、声の出し方など、生活の立ち振る舞いで丹田を動かす生活にする努力が不可欠です。 それが伴ってこそ自分らしい自分へと、心を変えることができる

価値観の偏りの修正

私が自分を振り返ったとき、一つの価値観の偏りがあると思いました。 私には「頭で考えすぎる」癖がありました。 それと並行して心を軽視して、さらに行動を軽視していたのです。 頭で考えることと、心がとらえていることに気づくのは大きく違います。 自分の丹田がどうとらえているかを把握することが、本当の意味で心でとらえるということです。それは思考ではなく 直感の働き です。 心の働きを強めるには、相手の立場や、さらに上位の方の立場で思いを巡らせるということが必要になります。 後者でいうと日本の場合には、神道の神の立場でどう考えるかという見方があります。 その立場からみれば、この世の成功に目が向きすぎて心の成長に真剣ではないなら、どれほど熱心に仕事をしていても、怠けだと見えると思います。 心の成長に真剣であるとは、一つにはこういうことです。 神様に、あるいは自分の心に問いかける質問として、「成功するにはどうしたらいいか」と問うのでは、心不在です。 「 もう一段バージョンアップしたいができないのでどうしたらいいでしょうか 」と問い掛けるとしたら、これは心の成長を含めた問いかけになります。 神社で導きをお願いするときには、さらに注意することがあるように感じます。 神道の神様は私たちの覚悟を問われるということです。 ここでは「神様は」、という言い方をしましたが、本当に成長しようとして導きを求めるのなら、どなたであれ覚悟を見られると思います。その覚悟に応じて指導をいただけると思います。その相手が神様なら、より真剣なものが求められると思います。 覚悟は何処で見るのでしょうか。それは 行動 です。導きを受けた時、それを本気で実行しているか、いい加減にしているかで、覚悟がわかります。行動しない自分に、それ以上の導きは来ないと覚悟するべきだと思います。 この機微を分かりやすく伝えてくれるのが、わらしべ長者の昔話です。わらしべ長者は観音様に祈ったところ、観音様は「最初に手にしたものを大切にせよ」と、声なき声で心に伝えてこられました。それを素直に信じて最初に手にした一本のわらしべでした。これを大切にすることで運命が開けたというのがこのお話です。 さて、私はこう気付いてから、頭で考え