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3月, 2017の投稿を表示しています

想念を吸い込む

私たちは人と一緒に仕事や生活をしていると、知らず知らずのうちに、接した人の想念を吸い込んでいることがあります。そのことに気づかないままでいると、自分らしくない行動や言動をします。気がつけば修正できるのです。だから気づくことがまず大切です。
ある人は、同じ職場で働いているチーフの女性が、時間を気にしながら仕事している雰囲気が、なんとなくせかせかして焦っている、追い立てられている気がして違和感を感じていました。二人きりになった時に、仕事していて頭がいたくなったので、これはチーフの影響受けたかな、と思いました。ようやくチーフが帰ってから、1時間ほどその人は仕事をして定刻に帰りましたが、結構疲れていました。帰ってからも、なぜかせかせかと仕事をしてしまって、いつもより疲れたことが気になっていました。
翌朝、その方は静かに振り返ってみて、ふと気が付きました。自分がせかせか仕事をしてしまい、帰ってからもせかせかした気持ちが続いていたのは、チーフの想念を吸い込んでいたからだと。朝、静座していても、いつもと違ってせかせかした気持ちがあったので、おかしいと思って見つめたときに気づけました。
人の想念を吸い込むときは、自分のなかにその人と同類の気持ちがあります。同じものを持っているので、吸い込んでしまうのです。
チーフの女性は、若い人でした。責任感が人一倍強く、若くして現場を任されているので気負いもあり、定刻が終わっても残って次の日の職場の準備や清掃をしていたのです。自分への要求水準が高く完璧主義的なところがあるし、人にもしっかりした仕事を要求するタイプです。
チーフの想念を吸い込んだ人も、自分への要求水準が高く、人がしないことでも気がつくとやってしまわないと気が済まないタイプでした。その時々の自分の限界を超えてやりすぎる傾向があり、心の中でせかせかした思いがあったので、引きつけたに違いないと気づきました。本来ならチーフの想念の影響で頭痛がした段階で、深呼吸して意識を切り替えるべきだったと反省したそうです。
私たちは、自分の心や行動を見て、いつもの自分と違う、何か自分らしくないという感覚を大事にするべきだと思います。他人の想念を吸い込んでそうなっていることがよくあるからです。気がついて、原因を振りかえり、引き付けていた自分の思いを切り替えると、それは消えます。
自分らしく生きるということは、そうした…

富の考え方を変える

私たちは富というと、すぐにお金のことを考える習慣がついています。私もその考え方に染まっていました。
しかし、「冨」をお金に限らないで「豊かさ」ととらえると、私たちはさまざまな豊かさに囲まれていることに気づくことができます。
毎日1時間半も通勤していた仕事が変わり、自宅で数分のところで働いたことがあります。この場合、往復3時間の時間が自由になりました。移動時間での疲労もなくなりました。時間と体力という形の豊かさ、つまり富が増えました。
新興宗教や政治団体にはいる人は、信仰や思想信条を共有するグループのなかでは強い関係を作りますが、それ以外の人とは疎遠になっていきがちです。閉じた人間関係の中にいるのです。しかし、その団体をやめて自由になると、いままでの人間関係は失いますが、新しい出会いが生まれ、人間関係は開かれたものとなって広がり始めます。人間関係の豊かさが増えたのです。これも富の増大です。
うつ状態で自宅にひき籠っている時は、自分の悩み以外のものが目に入りません。しかし、戸外を散歩して、樹木や草花に目を注ぐと、さまざまなつぼみが膨らんでいたり、季節の花が咲いています。落ち葉も秋だけかと思っていたら、春にも冬にも落ち葉があることに気がつきます。自然の恵みに気がつけるということは、豊かさが増したと同じことです。
家族や職場の人が示してくれるささやかな思いやりの行動に気がつくと、感謝の思いが行動や言葉となって出てきます。すると家庭や職場には暖かい空気が流れ出します。さりげない善意をごく普通に続けていると、時に人が気づいて感謝の言葉をくださいます。気持ちがつながった喜びを味わいます。これも豊かさの増大だと思います。
週に一度は、家中のガラスを拭きます。毎日、自分が決めた最低限の掃除を行います。その都度、リセットした気持ちになり、清明な空間で生活が始まります。清潔な空間は、豊かさの一つだと思います。
お金にだけ富の基準を求めていた時は、少ない収入と減っていく蓄えにばかり気持ちが向かい、常に貧しい気持ちでいました。これは収入の大小に関係なくそうだったと思います。しかし、富の考え方を変えると、さまざまな豊かさに目がいくようになり、豊かさに恵まれていることに感謝できるようになりました。さまざまな豊かさが増えいく喜びも味わいました。自分が豊かだなとしみじみと感謝する心は、豊かさを引き寄せる心です。

依存心は自己変革を妨げる

自分が何度も同じ間違いをし、何度も同じ苦い体験を繰り返す。そういう時、本当に自分を変えることは難しいと、絶望し、溜息がでます。
そうした状態が何年間も続いて、ある種極限を迎えたときでした。静かに座り、心を見つめていると、胸の奥に深い悲しみの感情の池があることに気が付き、ハッとしました。非常に深い悲しみです。
いつまでたっても自分が変わらないことを、魂が悲しんでいる。それは深い悲しみでした。
その悲しみの池の奥に目をやりました。悲しみの池の底には何があるのかと意識を凝らしていると、突然「依存心」という言葉が湧いて出てきました。大文字で「依存心」と意識に浮かび上がってきたのです。
依存心って、なんだろう。わかりやすく言うとどういう言葉だろう。
「私を変えてください。これが依存心」
言葉が浮かんできました。
ハッとしました。私は自分が変わりたいと何年も苦闘してきたけれど、変わりたいという気持ちの奥には、実は「変えてください」「私を変えて頂戴」という依存心が潜んでいたのです。私を変えてください、私を何とかしてください!・・・と。
これは自分が自分の主人公でなく、誰かに、あるいは何かに、お願いしている言葉でした。神様にお願いしたとしても、神様は一人一人の主体性を重んじられるはずです。カウンセラーでもそうです。カウンセラーはクライエントの心に手を突っ込んで、思いの持ち方を強制して変えることはありませんし、そんなことはできません。なにも、私は「私を変えてください」と誰かに、なにかに依存し続けていたのです。
これはダメだ、と思いました。この依存がある限り、絶対変われない。そうわかりました。
自分が変わると決めないかぎり、自分は絶対に変われない。本当に自分は変わりたいのか、それが問われています。自分が本当に変わると決意するかどうか、心に問いかけました。しばらく時間がかかりました。でも変わりたい気持ちは、本物でした。ならば、変わるしかない。そう思いました。私は変わる、という決意が湧きました。その時から私は変わりだしました。
この体験は、自己変革は依存がある限りできないということを悟らされたものでした。自分は変わりたい。だから誰か変えてください。これではだめなのです。
自分は変わりたい。だから、自分は変わる。そこがスタートだとわかりました。

種村トランスパーソナル研究所(所長・種村修)