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自己否定と成長



カウンセリングでさまざまな人の話を聴いたり、自分の人生を振り返ってみて感じるのですが、人間というのは魂が大きくなるために実に様々な経験をしていると思います。
「魂が大きくなる」というのは、言葉を換えると「心が成長する」ことです。

不幸と見える極端な経験であっても、それを通してしか学べないことがあると思います。その時にできた心の傷を癒しつつ、「何を学ぶための経験だったのか」と問いかけ、その経験の意味に気づけると心は成長します。

その結果、あれほど苦しみ嫌なことだと思ってきたことが、感謝に変わります。「この成長のためにはこういう経験が必要だった。障害物と見えたのは、ジャンプ台だった。」
そう気づけると感謝に変わるのです。感謝が湧き出たら、その経験は卒業したと考えてよいと思います。

そうした体験を数多くすると、経験することのすべてを肯定できるようになっていきます。この肯定は善悪の善という意味ではなく、魂の成長にとって意味のある有り難いこととして肯定できるのです。

とりわけ肯定するようになるのは自分自身です。

とりわけ心に傷を負うような経験では、ほとんどの場合「自己否定」をしています。この自己否定によって、自分を委縮させたり、個性をゆがめたり、個性の生き生きとした発揮ができない状態に陥ります。

現代はうつで苦しむ人が多いのですが、うつの人は必ず深刻な自己否定を抱えています。うつは自己否定の病気だと私が思うのは、現在・過去・未来にたいして自己否定し、自分の能力や人間性や人生を否定し、深い自己不信を抱えているからです。

誰にでもある自己否定ですが、「自己否定をとるプロセスこそが心の成長」だと思います。

自己否定を取って現在の自分を抱きしめたとき、また過去や未来の自分をも抱きしめたときにこそ、心は成長するのです

ですからうつの時は、自己否定の思いと向き合っている最中ですので、最も成長のチャンスに遭遇しているといえるのです。

関連記事:自己否定の氷を溶かす①


心理カウンセラー 種村修 (種村トランスパーソナル研究所)
※メールや電話でのカウンセリングを行っています。
<連絡先>
電話 090-8051-8198

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自己特別視と依存の心理

自分を特別視して肥大した自我を持つ人には、しばしば依存心が見られます。
プライドが高く自分は特別にすごい人間だと、内心思っているのに、世間で通用するような実績や成果が出ないで屈折する人がいます。 素質を持ちながらも、この人の心理の奥に依存心が潜んでいて、それがその人の努力と成長を妨げているのです。
よくあるケースとして、生育過程でその人が親や祖父母から特別扱いをされ、それゆえに自己特別視と依存の心理が育ってしまう場合です。
ある男性の家系では、3~4代前のご先祖の当主が自殺したそうです。それまで栄えていた家は、そこから暗転し、それ以降は、家系には男子が恵まれず、産まれても育たずに早死にし、女性によって細々と血筋が守られてきました。 その男性は、この家系にようやく生まれ育った待望の男児でありました。 ですから、祖父母やご両親の愛情と期待を一身に受けながら、特別な存在として大切に育てらたのです。 この男性にとっては、自分は特別な存在であるということは周囲から植えつけられた、空気のように当たり前の固定観念でした。そして非常に大事にされて育ったので、自分は特別な存在だから愛される、愛されて当然の存在だという気持ちも無意識に育っていたのです。それは依存心につながるものでした。
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長男として生まれた男児を、祖父母が特別愛情を注ぎ、何でも先回りして世話を焼き、母親も同じように手をかけて息子を育てた場合に、それが生じます。
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彼には親や祖父母への依存心が根っ子にあるので、無意識に誰かが何とかしてくれるという気持ちがあり、自立してゆくための気力や努力が乏しくなります。「自分は特別だから愛され大切にされて当然だ」という思い込みがあるので、感謝の薄い、傲慢な人間になりやすいのです。また努力が乏しく、人の世話になることに平気です。
こうして「自分は特別の人間だ」という思い込みが、「肥大した自我…