カウンセリングを受ける時もそうですが、何にせよ何かを学び、それを本気で自分のものにしようとするときは、対価を支払うことが必要です。
対価は通常お金ですが、どんなお金でもいいというわけにはいきません。
自分が汗を流して稼ぎ、その苦労したお金を使って学ぶときに、一番そのお金が生きてくるように思います。なぜならそのお金を稼ぐのにどれほどの苦労があるかを自分が一番よく知っているからです。
私たちは対価を支払うからこそ、それに見合った、あるいはそれ以上の何かを得ようと真剣になります。人のお金で学んでいたら、そこまで真剣になりません。
例外的に、親からお金を出してもらっても真剣になれる人は、親がどれほどの苦労をしてお金を稼いでいるか、骨身に染みて知っている場合です。この場合は、親の苦労を無にせぬために、むしろ真剣になるでしょう。
昔、生活保護を受けながらカウンセリングを受けた方がいました。子どもを育てながら、病の身をおして、学ばれました。
私はこの方からキチンと料金をいただくことにしました。そのほうが学びの覚悟が違うからです。
お金を払っているから、一回一回が本当に真剣勝負でした。メールカウンセリングでも、本当に深く自分を見つめ、自分と向き合い心と格闘されました。
私はその方の真剣な姿勢に敬意を感じました。私自身も一回一回が真剣です。
1年近く自分を見つめ学ばれた結果、すっかり心も身体も回復され、生活保護を返上して仕事を始められました。カウンセリングも終了しました。
生活保護のお金ですが、この方は生活を削って学びに当てられたのです。決して安易な気持ちではありえません。私はその方のお金に込めた必死さと真剣さをひしひしと感じました。
難病認定をうけて生活保護を継続することもできたでしょうに、その方は自分の力で生活し子供を育て上げようときっぱりと決意されました。私はこの方の生きる姿勢と誇り高い自立心に敬意を払います。きっと幸せをつかまれると信じています。
私は覚悟をもってカウンセリングを受け学ばれる時は、必ずその覚悟に見合ったよき結果、対価以上の果実が生まれると信じています。
これは私自身も同様です。自分が成長し続けるためにも、さまざまな学びは欠かせません。自分が成長し続けるからこそ、人の成長を支援もできるようになります。カウンセリングとは別に、自分が額に汗して得たお金で学んでこそ、そうした成長を可能にすると感じています。
結局、お金と学びの関係は、学びの覚悟が本物となるために、とても大切な意味を持っていると思います。
カウンセリングにはお金がかかります。でもそれがクライエントにもカウンセラーにも真剣さと覚悟を要求します。それがお金の効果だと思います。
(ここに紹介した方からは、掲載の許可をいただきました。その折にいまとても幸せに暮らしていることをお聞きして、とてもうれしかったです。)
心理カウンセラー・種村修(種村トランスパーソナル研究所)
※メールや電話でのカウンセリングを行っています。ご希望の方はご連絡ください。
<連絡先>
電話 090-8051-8198
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