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4月, 2017の投稿を表示しています

うつと睡眠障害

うつの時は睡眠障害が起きやすく、それはとてもつらいものです。 私もうつで苦しんだ時期に睡眠障害で苦労し、いろいろ工夫を重ねて乗り越えたことがありました。 私がこれまでに試して効果があったのは、主に 3 つでした。 一つは昼間の運動です。運動と言っても数十分の散歩からジムでの筋トレまでいろいろやりました。 筋トレは、ジムに行くまではすごく気が重いし体も重いのですが、実際に筋トレを始めると気分がよくなっていくのが実感できました。急速に気分がよくなっていくのは、きっと脳内物質の変化を伴っているからでしょう。もちろん肉体が疲労するので、眠りやすくなりました。 散歩は、 5000 歩前後をひとつのめどにしました。うつの時は自宅に引きこもりやすくなり、動かなくなって固まっていくので、気分も停滞したまま動かなくなります。散歩は日光に当たりながら外気を吸い外の景色を見るので気分も変えてくれますし、歩いているうちに体が適度に疲労するので、夜は眠りやすくなりました。 家族が味わった極度のうつでも、回復期には歩いたり歌ったりといった、身体を使うことがうつからの回復を促進しました。 体と心は密接に関係しています。だから身体を動かすということは、心がうつ状態という一か所に停滞しているのを刺激し、心を動かす上でとても効果があると感じています。 その意味で睡眠障害は、もっと身体を動かしてほしいというサインではないかと思います。 睡眠障害を乗り越えるために、 2 番目に効果があったのは、音でした。α波の出やすい音を聞くことでした。私が特に効果を実感したのは、水の音、波の音でした。波の音を記録した CD を購入し、寝るときにそれをつけっぱなしにすると、不思議なほど眠れるようになったので、驚きました。 うつの時は、心の中は否定で一杯になっています。自己否定、過去への後悔、未来への不安と否定、自分の人生の否定、他人の否定なのです。この思いのリズムはきっとがちゃがちゃした暗い音でありβ波だと思います。 α波の音を聞くと、それが中和され心が穏やかになり、身体も穏やかなリズムに戻るので、深い睡眠に入りやすいのだと思います。 ちなみに、自律訓練法という一種の自己催眠がありますが、これも非常に効果があります。これをすると昼間でも、安息を

己を縛るもの

私たちは 自分の考えや習性が自分自身を縛っている ことに、なかなか気が付けません。 しかし、それに気がつけたとき、縛りを脱する可能性が生まれます。 気づきのきっかけは、自分の思いや行動に 違和感 を感じたときを大切にすることで広がると思います。 ある人は、仕事で自分が小さなミスをした時に、それを上司に言えずに黙ってしまっている自分に気づきました。この人は正直を大切にしたいのに、それに背く自分を見て、どうしてだろうと疑問を持ちました。そして自分の「隠ぺいの癖」に違和感を感じたのです。 振り返ってみると、過去にもいろいろ大きなミスを黙っていた自分がありました。大きな失敗程、それを認めたくない気持ちが働き、本当に、それを忘れたこともありました。ミスした事実を顕在意識で「 否認 」したいと強烈に思ったので、潜在意識に記憶をおしこめ、本当に忘却していたのです。あとで、大きな問題になってから、それに直面して愕然としました。 カウンセリングで心を見つめているうちに、 内心で自分が描いている「理想の自分」と相反する行動が出たときに、それを認めるのが嫌で隠したくなる ことが見えてきました。 その「理想の自分」とは次のようなものでした。 ・失敗しない(自分) ・周りに認められている(自分) ・努力を人一倍する(自分) ・すぐに理解しすぐにできる(自分) 話し合っている間に、この理想の弊害も見えてきました。 「失敗しない自分」を描いているので、失敗すると隠したくなり、失敗から学べなくなっている。失敗は成功の母なのに、失敗を否認すれば、失敗を生かせない。 周りに認められることが理想なので、失敗を隠すのだが、それが露見すると逆に信用を無くしていく。また、自分が納得するという仕事の仕方ではなくて、人の評価を意識する仕事になっている。人に見られる 自分が気になる ので、人のことを見ていない。 努力主義なので、リラックスとのバランを欠きやすく、疲れて効率が落ちることが多い。結果、怠け者になっている。 すぐに理解しできるのが理想なので、時間をかけてじっくり探究して、本当に理解することができない。すぐにできないとあきらめてしまうか、もうできたと思って探究をやめてしまう。 描いていた

成長にならないことは起きない

  成長にならないことは起きない。 すべては成長になる。 こういう観点で人生を見ていくと、成功失敗、敗者勝者という枠を超えて、常に自分を成長させる生き方を選べることに気がつきます。 私は 40 代の時、リストラとそれに伴う激しいうつ状態を経験しました。あまりに自殺衝動が激しいので、大きな病院の精神科医に相談したことも、一度だけありました。 当時は仕事や友人、価値観、それらすべての喪失がうつの引き金となり、自分は人生の敗北者であると思いこみ、自己の全否定をしていました。あの時にあれだけ激しかった自殺への衝動に、よく耐えれたものだと思いました。 そうした経験でも、あの時に生活基盤を失ったから新しい自分をつくることができたと、今は思います。同じ職場にいたら、私の成長は止まり、心は停滞・後退に入っていたとことは疑いないと、そう確信しています。 そして人生の底を打って、そこからはいあがった経験が、自分の強さ、しなやかさを確信させてくれました。だから、どこからでも這い上がり、人生をやり直すことはできるし、新しい成長を常にしてゆけると、私は思います。 この世的に立場や金銭や、いわゆるこの世的な成功というものを価値があると思い過ぎると、この世は持つものと持たざる者に色分けされます。そしてごく一部の成功者と、数多くの敗者に別れると思います。 しかし、 成長という基準で考えると、あらゆる人が成長できます。何かを得ても、何かを失っても、常にそれは新しい成長の機会となり得ます 。 成長するときに、私たちは魂の喜びを得ることができます。それは魂の幸福感として感じ取れるものです。 逆に、停滞は不幸感覚をもたらします。心が成長をやめ、滞り、停滞して後退すると、私たちの目の輝きは消え、頭に蜘蛛の巣が張ったようになり、どんよりとした精神状態になります。心の喜びが消えるので、肉体的な快楽でそれを補おうとしますが、空しさが膨らんでいき、やがて空虚さに耐えられなくなります。 成長する方向にこそ、道があります。 ということは、どんな挫折や喪失であっても、そこから成長する方向を見出し、その経験や環境を成長する糧にしようとし、自分の魂がより成長する方向を人生の選択肢通して選ぶことが、道を切り開くものとなると思います。 それには勇気

人への拒絶の感情を見つめる

私の小さな経験から、人への拒絶感情、拒否感情について考えてみたいと思います。 私はある時ある場所で、一緒に働いていた職場の若い子に対して、強い拒絶感情が湧くのを感じました。 彼は、仕事中に人に話しかけて、自分のことを色々と心の内面にわたって話す人でした。職場の人は、仕事と無関係なことで話しかけられると注意がそがれるので迷惑に感じていました。そしてともすると彼が心理的に接近しすぎることには、特に女性は気持ち悪さを感じるようでした。 上司や先輩からは「口にチャックをしなさい」と、いつも言われていて、叱られていましたが、それが度重なるうちに、めげて、失敗が増えだしました。 私は彼を見ていて、母親とのコミュニケーションに飢餓感があり、職場ではそれを穴埋めするコミュニケーションが欲しいのかもしれないと感じていました。普段はうるさく感じつつも、共感的に理解しようとしていたと思います。 それがある日、彼に対して非常に強い拒絶感情が出てくる自分にびっくりしました。彼を否定する感情が出て、排斥する気持ちを感じたのです。 しつこく出てくる拒絶感情に違和感を持ち、自宅に帰ってからじっくりと自己分析しました。 するといろいろな理由が複合的に働いていることに気が付きました。 一つは、職場の人たちの彼に対する否定の集合想念を吸い込んでしまって、それゆえに非常に強い拒絶が出た可能性が高いことです。その場の空気というやつです。これを吸い込むと、自分もその感情に染まって引きずられていきます。 二つ目は、彼の持っている仕事への不熱心さ、仕事を軽く見ていることの反発です。これは彼の仕事への姿勢のなかに、やはり問題を感じ取って、それに対して私の心が反応していると感じました。 三つめは、自分自身の状態を彼に重ねた無意識の拒絶です。私はこの日に、ある問題に心がとらわれて、雑念がなかなか去らなくて困っていました。つまり私は心の中でおしゃべりが止まない状態だったのです。そういう自分が嫌でしたが、この嫌な自分を彼に重ねて、彼を否定したのです。もちろんこれは無意識に働いた心理です。 第四には私の疲労がありました。この日は疲労がたまっていて、本来なら持てるはずのゆとりのある心の状態を保ちにくかったのです。私の個性が発揮された状態で

自分を変える決意3

自分の触れたくない問題に向き合うことは恐怖を伴いますが、それ以外にも様々な抵抗に出会うことがあります。 その一つに、身体症状があります。頭痛、吐き気、めまい 、腰痛、胸の苦しみ、胃痛…等々、さまざまな身体症状が出ることがあるのです。 こうした身体症状は、潜在意識の反応が現れたものだと考えることができます。 本物の病気の症状であれば、医者に診ていただかないといけませんが、たとえばある記憶を思い出そうとしたりするときに限って出てくるものであれば、心理的な要因によるものと言えます。 私たちが自覚し、気づくことを拒んでいる思いや感情、記憶がある時に、私たちはそれを無意識のうちに潜在意識に押し込め、自覚しないですむようにしています。しかし、その思いや感情、記憶が無くなったわけではないので、身体に何らかの症状として現れてくることで、自分が問題を抱えていることしらせてくれるのです。身体症状は一種の潜在意識からのサインなのです。問題を抱えていることを知らせるサインです。 この場合は、身体やその症状に心を開いて、どんなサインを送ってきているのかを聴いてあげる必要があります。症状はサインなので、その意味を聴いて受け取ることができれば消えます。たとえば痛みの消滅などが起きるわけです。 まず身体症状というサインを理解しよう、受け止めようという姿勢が大切になります。身体と対話するとは、実際にはその症状の奥にある潜在意識と対話することを意味します。症状をよく味わい、どういう感覚が起きているかを詳細に感じとり、そして問いかけます。何を伝えてくれているのですか、と聞くのです。その答えが心に浮かぶのを待ちます。 すぐに答えが浮かばなくても、がっかりしないでください。そういう開かれた心があれば、ふと気がつく瞬間や、教えてもらえる瞬間があるものです。それは夢のなかかもしれませんし、誰かの言葉かもしれません。瞑想している時に、ふと気がつくかもしれません。 症状を潜在意識のサインとして捉えて、その意味を問おうとする開かれた気持ちを大切にすることが大切です。 いずれにしても自分自身と向き合って逃げないという姿勢、これが最も大切であり、自己変革の鍵はこの姿勢にあります。 <関連記事> 自分を変える決意1 http://tanem

自分を変える決意2

本気で自分を変えると決めると、次は自分自身の中での抵抗に直面します。 自分が決して見たくないし、認めたくない何かに向き合わねばならないし、それを受け入れ、告白しなければならないからです。 自分がしたことや、思ったことで秘密にしていることは、深く自分を恥じ自分を責め、自己否定している気持ちが伴っているものです。 それを思い出し、受け入れ、告白することは、あたかも処刑台にのぼるような気持ちが起きてくるものです。 要するに、激しい 恐怖心 と戦うことを意味するのです。 しかし、これだけは認めたくないし言えないと思っていたことを、これが自分だと認めて告白し、受け入れたときに、心が変わります。憑き物がとれたようになり、軽く明るくなるのです。 勇気をもって告白し、「こういう自分をも受け入れてもらえた」という経験は、自分自身を受け入れる自己受容を促します。その時に自己否定が剥がれ落ちるのです。これが大きな成長です。 自分への信頼、自分を生かしてくださっているすべてへの信頼が、そこでは芽生えてきます。(つづく) 種村トランスパーソナル研究所 ( 心理カウンセラー種村修 ) 心や人生の問題のご相談をお受けしています。 連絡先:℡ 090-8051-8198 メールアドレス: tanemura1956@gmail.com

自分を変える決意1

私たちは、どうしても自分を変えたいと、強く願う時があります。 何度も不本意な生き方を繰り返してきた自分に嫌気がさし、絶対に変えたいと、そう決意する時です。 自己変革のためには、いくつかの関門があると思います。 その一つは、依存心を取ることです。 これは私自身が気付いたことですので、その時の発見を「依存心は自己変革を妨げる」とブログに書かせていただきました。 http://tanemura2013.blogspot.jp/2017/03/blog-post.html 誰かに自分を変えてもらいたいと、人任せに願っている間は、絶対に変わりません。その誰かが、神様や仏様でも無理です。ましてセラピストでも宗教家でも無理です。 自分は自分の意志でしか変えることができません。 他人の意志で変えられたとしたら、それはロボット化することを意味します。つまり何ものかにコントロールされ、操られて生きる生き方になるのではないかと思います。 だから、神仏に「何とか変えて下さい」とお頼いしても、「あなたはロボットではない。自分で自分を変えることができる。本気で自分を変えたいと思うのか。それをこそ自らに問え」と、そう言われる気がします。 要するに「変えてください」ではだめであり、「変えます」と本気で思えた時に、変わり始めるのです。 ( つづく ) 種村トランスパーソナル研究所 ( 心理カウンセラー種村修 ) 心や人生の問題のご相談をお受けしています。 連絡先:℡ 090-8051-8198 メールアドレス: tanemura1956@gmail.com