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7月, 2016の投稿を表示しています

無気力を抜け出す方法

1.幸せは歩いてこない 無気力から抜け出すには、目標を立てることと日々の工夫が必要です。 無気力の時は、往々にして受け身的になり、待っていれば幸せのほうから歩いてくるような気持ちでいます。 自分が変われるきっかけがどこかにあり、それにさえ出会えば突然自分が変われるにちがいないと、期待して待っているのです。 心理的には依存的であり、主体性がありません。 そこには川の流れに流されてゆくような危うさを感じます。 このまま流されると滝つぼに落ちるのに、それを見ないようにしてボートに寝そべって小さくなっているような危うさです。 自分が幸せに向かって主体的かつ能動的に努力してゆかないかぎり、幸せにはたどりつけません。 「幸せは歩いてこない。だから歩いていくんだね。」 水前寺清子さんが歌う 365 歩のマーチの歌詞のとおりです。 2 .目標を立てる 自分がどこに向かって歩こうとするのか、それが目標を決めるということです。無気力から脱するには、目標を持つことが決定的に重要です。 目標は、長期、短期、今日すること、この 3 つを毎日書くことです。 これが行動を促す指針となります。 自分を変えるためには、まず目標を書いてみることです。 日記に毎日 3 つの項目を目標を書くと、心がどちらに向かってゆくのかが、はっきりしてきます。 そして、今日何をするか、それは何のためかが明確になるので、目標に向かって一歩が踏み出せます。 この積み重ねが意欲を増大させ、無気力から脱却できるのです。 まず長期目標では、数年後にはこういう状態になりたいということを書きます。その時に自分が目指したい心の状態も書くほうがいいと思います。 短期目標は数カ月後にこうなっていたいと思うことを書きます。 そしてその為に今日は何をするかを書きます。とても具体的なことです。 これを書くことで、今日は何をしようかと考えるだけで時間が過ぎていったり、目標と無関係のことばかりして一日が終わったという繰り返しを避けることができます。 目標は書いているうちに変わっていくことがあります。 その場合は自分によりぴったりくる目標を書き直せばいいのです。 3 .日々の工夫をする 仕事

苦しみは成長のエネルギー

1.人生の壁 何度も何度も繰り返し出てきて、行く手を阻む乗り越え難い壁というものが、人生にはあります。 心に深い傷を負った人であれば、ふとしたことで怒りが爆発したり、乖離が起きたり、悲嘆にくれたり、自殺願望が何度も生じてくることもあります。 職場での人間関係の葛藤、あるいは男女問題の苦しみや子供の引きこもりなど、どの人にも特有の壁があります。 その壁をもう卒業できたかと思っても、新しい状況でまたぶり返します。 何度も繰り返し出てくると、「永遠にこの地獄から抜け出れないかもしれない、そうしたら自分は破滅だ」と絶望に襲われ、自分の無力感に心が折れそうになることもあります。 しかし、カウンセリングを通して学ばされることは、苦しみはその人の成長のエネルギー源であり、その人が変容し成熟していく力の源泉でもあるということです。 苦しみがなければその人は変わろうとしません。苦労して成長しなくても楽に生きてゆけるからです。 一番成長する時というのは、今の自分では乗り越えられない人生の壁に直面して、何とか乗り越えようと努力している時です。その時にもがき苦しみ、自分を真剣に見つめる中で、心が成長し、古い自分を脱皮してゆきます。 ですから、カウンセリングではカウンセラーがクライエントの苦しみを安易に取り除くように操作することは、その人の成長を阻害し、停滞させてしまうことになります。 クライエントが停滞した反作用はカウンセラー自身が受けます。そして自分の過ちに気づくまで苦しみます。 間違いに気づけば、そこから立ち上がります。そして、その人の苦悩をエネルギーとして心や人格の成長を促すカウンセリングへと変わっていきます。 2 .自分を見つめる 苦しみに向き合う時のポイントは、 自分を見つめる ということです。 自分を見つめて、自分の心がどんな状態にあるのかを知り、なぜそれが起きているのかを知り、自分のどのような思考や感情がそれを呼び寄せているのかを問いかけます。 心に問いかける自己対話をしていると、さまざまな事柄がつながってきて、自分が見えてくることがあります。 たとえば問題の状態になる時に、直前にはどういうことがあったかと見なおすと、共通する課題を抱えた人と出

無気力の克服…身体が重くて仕方がない時

1.後悔しないですか やり気が出ないといっても、さまざまな場合があります。 今回は身体が重くてしようがなく、気力が湧かない場合を取り上げます。 勉強しようと思うのに、机に向かうと身体が重くなってどうしてもできなくなると訴える学生がいます。 睡眠不足で身体が重く、仕方なしに寝て過ごすという失業中の中年方もいます。 これが一度ではなく、繰り返し起きている場合には、じっくり自分を見つめて対策を立てる必要があります。物質的肉体的な問題だけではなく、のりうつりや心の惰性の問題があるからです。 まず繰り返しこれが起きてくる場合は、うつ状態の一種である場合があります。うつ状態ですので、悲観的な未来や自己否定の思いが湧いてきます。これを放置しておくと、自殺願望を含んだ自己破壊の思いに支配されていく危険があります。 それに現実問題としても、無為のなかに時間だけが流れて、生産的で歓びのある人生を送れなくなります。 極端な痛みや苦痛がないからといって、放置しておくのは危険です。きちんとした対策をたてなければ、流されるだけの人生となり、必ず後悔をするでしょう。 2.心の状態をクレヨン画で描くと 自分の心に何が起きているのかを知るのに、クレヨン画を描くことはとても有効です。身体が重くどうしても気力が湧かないで寝ていた日の自分を思いながら、その時の自分はどういう状態だったのだろうかと自分に問いかけます。そして心に映像やイメージが浮かんでくるのを待つのです。 具体的な一つの事例をあげて説明します。これは B さんが経験したものです。 B さんの許しを得て紹介します。 横たわっている黄土色の人物が浮かんできました。 床から黒い紐(ひも)のようなものと黄土色の紐のようなものが人物をひっぱって、動けなくしています。 髪の毛も深緑の糸のようなもので引っ張られて床に止められており、動けなくされています。寝たまま動けなくされている巨人のガリバーのようです。 その人物の上には靄(もや)のような暗いエネルギーが覆いかぶさっています。 黒と灰色のエネルギーです。 つまり、身体が下からは引っ張られ、髪の毛は引っ張られて固定され、上からは暗い二種類のエネルギーに覆われてしまっているのです。 これで

心の闇と対決する力

自分を知るためには、 自分の心の闇や触れたくない心の傷にも向き合わなければなりません。 これはすごくつらいことです。 向き合おうとするだけで激しいストレスを感じます。 私たちの心は、もともとこうした負の記憶を忘却することで自分自身 ( 自我 ) を守ろうとしてきました。 一例をあげると、むごい虐待を受けた人の場合、しばしばその時期の記憶がありません。これは心を守るために、個人的潜在意識に負の記憶を封印してしまっているのです。 しかし、記憶を封印しても、負の影響がなくなるわけではありません。虐待の記憶を連想させる何らかのものに触れると、激しく感情が揺れます。不安や恐怖が起きます。 自分を知るためには、この大変難しい問題に直面しなければならないわけです。 なぜそんなに難しく感じるのでしょうか。 自分のみじめさや深刻な劣等感や、ひいては自分の醜さを直視することになるからです。これは耐えられない苦痛や恐れを呼び起こします。 私も、できれば避けたいと思っていた過去に、どうしても向き合わざるを得ないと覚悟を決め出した時があります。 そのころ、偶然にも私の背中を押して頂くような出来事がありました。 明治神宮に参拝のさい、御神籤をひいたのです。 その御神籤には、「峯」と題する明治天皇陛下の御製 ( 御歌 ) が書かれていました。 「大空にそびえて見ゆるたかねにも 登ればのぼる道はありけり」 この御神籤に共時性を感じて、 ハッとしま した。 私はこの歌について、「どのように解釈をすればいいのでしょうか」と、 お伺いをたてるような気持ちで自己対話をしてみました。 すると次のような言葉が心に浮かんできました。 「汝の心の中の地獄をみつめよ。 その地獄を見つめ切るとき、 そこが汝の天国への道となる。 高きに通じる道は、 心の中の地獄をみつめ、 対決してこそ開けてくる。 汝の天国への門は、 そこにこそある。 それが汝の高嶺(たかね)へと通じる道である。 心の中の地獄と向き合うことを恐れるな。」 私は勇気が湧いてくる感覚を味わいました。 自分の最も醜い部分を直視することが、魂の成長へとつながるきっかけになる。 そういわれてい

子どもが無気力から脱するとき

子供が勉強にやる気を見せず、無気力でどんどん成績が落ちてゆくときには、次のような状態がよく見られます。 まず特徴的なのは勉強の習慣です。 □家で勉強しない □プリントをぐちゃぐちゃにする □提出物を出さない □テレビゲームを叱られるまでやる □テストの日程が分からない □テスト対策をほとんどしていない □テスト対策は山をはって外れる これはある塾長 ( 注 ) が列挙している項目ですが、見事なほど当てはまっています。 同時に目標がありません。 □目標を持っていない。 □目標が不明確 □目標に対して決断していない 目標がないので、何のために勉強するのか分からないと言います。 目標がないので自発的に何かをするということができません。 それは行動・動作面と考え方の習慣にも現れます。 □姿勢が悪い □集中できずふらふらしている □やる気がない □机のまわりが汚い □親の言うことを聴かない □物事にいやいや取り組んでいる □自分より成績が下の人と較べて安心している □靴をそろえない □時間に遅刻する 子どもの状態を見て心配し、気をもんでいるご家庭は多いでしょうが、一般的にこういう症状が出るのです。いいかえると、これらは子どもの無気力を継続させている悪しき習慣であるのです。 子どもが変わるのは、本当に危機感を持った時です。親がいくら危機感を持っていても変わりません。しかし、子どもが自ら危機感を持つと、底を打って反転する現象が出てきます。陰極まれば陽転するという現象です。 この危機感は子どもの「心」が子供に対して送ってくるサインではないかと思います。「このままではいけない」ということを心底感じ取るには、この「心」からの警告がいるように思います。頭で理解しているだけでは無理でも、心で感じ取れた時には意識と行動が変わります。 それまでは頭では分かっているようでも、本当は甘く考えています。心で感じ取っていないからです。 しかし、もうこれ以上はダメだとなった時に、「心」さらに言えば「潜在意識」から警告が来る場合には変化します。 その子供の変化の「時」ですが、周りが自分たちも本気で変わらないといけないと決意し、努力

心が折れるとき、それでも自分を信じよう

1.連続監禁殺人事件 アメリカの有名なテレビドラマ「コールド・ケース(シーズン5、第 15 話『地下室』)」を見ました。暗い地下室に監禁され、絶望の中に、まず心が死んでいく被害者女性たちの姿を見ることに喜びを感じ、監禁・殺人事件を重ねた男の犯罪心理が描かれていました。 犯人男性は、子どものころ古井戸に落ちた若い女性を発見しました。何もせず井戸をのぞき込むだけでした。彼女は助けを求めました。しかし少年の無為を悟って生きる望みを失った女性は、ついに力尽きて水に沈んでいきました。 その時を回想し、犯人は警察に告白します。 「 あんなに美しいものを始めてみた。 」 それは、「 あきらめの瞬間 」でした。 さらに彼は言いました。 「 希望が消えてしまえば死は儀式だ。地下室の扉を開けても、もはや出ようとしなくなる。 」 犯人は被害者を地下室に閉じ込め「 この世で生きていくための支え 」を奪い取り、希望を失い壊れてゆく姿を見ることに暗く歪んだ悦びを感じていたのです。 しかし、最後の被害者はこわれませんでした。結婚式の当日、誘拐され地下室に押し込められていた女性は、漆黒の地下室に横たわるだけの日々でしたが、それでもかすかに歌を歌い続けていました。近くの教会から毎日聞こえてくる讃美歌です。 「 悲しみと恐れを追い払い道を照らせ ……」 犯人はそれにショックを受けました。 女性警察官は犯人に言います。 「 どん底みたいな場所で彼女は美しい支えを見つけた。心がおれなかった。だから彼女はあきらめなかった。すべてを奪われても自分を失わなかった 。」 そしてその女性は救出されたのです。 2.眼の光が消える 心がおれる時、人は無気力に沈み込みます。 これは、生きていく心の支えを失い、希望を失った結果としての 無気力 です。 その前に、自分が壊(こわ)れてゆくことを経験しています。 その結果、まるで自動車の運転中にハンドルを手放したようになります。 ハンドルを手放せば、車はそのまま突っ込んでがけから転落するか、どこかにぶつかるかします。ガス欠になれば、そのままじっと横たわって壊れていくかもしれません。 欲望に振り回されたり、人と衝突したり、自殺したり、寝た切

無気力と魂が腐る感覚

学生の頃、学内での深刻なトラブルで無為の底に沈んでいた時期がありました。 勉強も運動もできず、授業に出席することもできませんでした。 その頃の下宿の部屋はチリと洗濯していない衣類で埋まり、悪臭が漂っていたと思います。 無気力の淵に沈み込んだまま、身体も重く、毎日が憂鬱で生きている実感がない状態が続いていました。 その頃、本棚にあった古代インドの聖典を開くと、無気力で何もなさない人は魂が腐っていくと書かれていました。 ギクッとして、「今の自分だ」と思った、その衝撃を鮮明に覚えています。 「この状態を続けると自分は腐っていく」という恐怖に襲われ、反省が生じ、自分を変えようとし始めました。 そこでまずしたことは、部屋の掃除からでした。 思い返すと、無気力やうつ状態から脱する時は、たいていの場合掃除から始めていたように思います。 経営危機に直面していた会社に勤めたときも、朝一番に出社して、まず掃除から始めました。 この会社の再建は、中年の危機からうつ状態に陥った私の心の再建にリンクしました。 掃除には不思議な力があります。 掃除は、部屋や住まいの掃除を、少しずつ毎日行うのが基本です。 勉強でも仕事でも、何かを始める前にどこか一カ所をきれいにします。 するとそこを通るたびに、心がすっきりして、やる気が出るから不思議です。 毎日どこかを掃除していくと、だんだん住まいがきれいになり、同時に心もしゃきっとしてきます。 無気力で苦しんでいる時には、まず掃除からの出発が効果的かもしれません。 関連記事 無気力と向き合う  http://tanemura2013.blogspot.jp/2016/07/blog-post.html 無気力と逃避  http://tanemura2013.blogspot.jp/2016/07/blog-post_2.html <ご案内> 種村トランスパーソナル研究所では、直接お会いする対面カウンセリングとともに、電話カウンセリングやメールによるカウンセリングも行っています。 相談してみたいと思われるかたは、遠慮なくご連絡ください。 ℡ 090-8051-8198  (メール) tanemura1956@gmail.com カウンセリン

無気力と逃避・・・・・・向き合う方法

1.逃避 無気力と向き合うことは、逃げている自分と向き合うことに他なりません。 無気力の奥にあるのは、 逃避 です。 やらねばならないとわかっていることから逃げているのです。 なぜ逃げるのでしょうか。 学生が勉強から逃避して、ゲームや気晴らしに走る時はどうでしょうか。 結局、勉強ができない自分がつらくて、自分のプライドが傷つくことから逃げているのではないでしょうか。 人と較べて劣っていると感じると、学業に向き合うこともつらくなります。 しかし、逃げることによっては、何も解決しません。 逃げたという事実は、もっとも自分のプライドを傷つけます。 2.まるで追試のようなもの 逃げても、また同じ状況と向き合わねばならない時が、人生には巡ってきます。 まるで落とした学校の単位は、合格するまで追試があるようなものです。 苦手なことから逃げる。 プライドを傷つくのが怖くて向き合わずに逃げる。 自分ができない事実にさらされるが怖くて逃げる。 いずれも、経験しました。 しかし、これらを絶体絶命の状況下で、プライドも苦手意識も度がえししてとにかく取り組むしかないという状況の追い込まれ、それを数年がかりで突破した経験をしました。 突破すると、自分に 自信 がつきました。 自分もまんざらではない という自信です。 周りに評価してくれる人もできました。 不思議な気がしましたが、誰かの評価は自信を与えてくださいます。 それはやる気につながります。 そういうことを経験して知りました。 逃げた問題は必ず追いかけてくる。 唯一の解決策は、逃げずに向き合うことなのだ。 これが得た教訓です。 向き合って格闘すると、 成長 が始まります。 向き合って戦っている自分に 自尊心 が湧いてきます。 「一歩でも二歩でも、半歩であっても、今日も自分は前進する」と言い聞かせます。 前進し続ける時は、成長している時です。 成長は魂の喜びとなり、心のエネルギーを増やします。 要するに気力が湧くのです。 3.小さな達成感を大切に さらに無気力に向き合うには、小さな達成感を大事にすることが必要です。 新しいこと、今まで