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痛みを知るということ



カウンセリングをしていると、人の心の痛みに触れることになります。

その痛みは、情けない自分を惨めに思う気持ちであったり、恥ずかしくて仕方がない思いであったり、プライドが傷ついて血を流している心であったり、密かに犯した過去の罪への罪悪感であったりします。

人はそれを思いだし、勇気を出して話すことで、心の重荷を降ろそうとするのですが、同時にそれをどう受け止められたかによって、もっと傷つくこともあります。羞恥心で後悔することもあります。

聴き手にどう受け止められたか。それで、自分の存在価値が損なわれたか、守られるかを敏感に感じます。

上から見下ろされてさげすまれていないか。人と較べられていないか。ひそかに軽蔑されたり馬鹿にされていないか。愚かだと思われたのではないか。裁かれていないか。無視されたのではないか。そうしたさまざまの思いが、その人を苦しめることがあります。

しかし、受け入れられ、全身で受け止められて、自分の痛みにそっと触れてもらえたと感じると、その人は癒されます。この手触りを求めてカウンセリングに来られます。

その時に、そういう触れ合いができるかどうかで、その人は癒されて救われたり、傷ついたりと、さまざまな反応をすることになります。やっぱりわかってもらえないと失意でおわるのか、分かってもらえたと温かい気持ちになれるか。それは、自分の傷口にそっと痛くないようにさわり、しかも温めてもらえたと感じるかどうかできまるのではないかと思います。

カウンセラーはクライエントに寄り添って温めようとします。

しかし、本当にそうでしょうか。実はカウンセラーこそが、寄り添うことで、相手にぬくもりをいただいているのではないでしょうか。そういう相互作用が働いているのではないでしょうか。

カウンセリングとは、どちらかが一方的に相手を温める行為ではないように思います。お互いが触れ合うことで、温め合うことだと思えるのです。自分がクライエントにしっかり寄り添えることで、カウンセラー自身がぬくもりをいただいているのかもしれないのです。その時にクライエントは癒されたと感じるのかもしれません。

カウンセリングそして傾聴は上から目線ではできない仕事です。上から目線を感じると、人は離れていきます。

カウンセリングの場では、カウンセラーとクライエントはつながっています。不思議なつながりが生まれます。その場から離れていてもつながり続けます。

クライエントとして目の前に座る人は、実は自分でもあると感じる時にこそ、不思議な癒しの力が働き出すのかもしれません。

お腹が痛い時に、私たちは右手を腹に当ててじっとしていると、治ることを経験したことがあります。手とお腹は別ものであって別ものではありません。一体の生命です。

同じようにカウンセラーとクライエントは別ものであって別の存在ではないのかもしれないと思います。


一体の生命、つながった命が、エネルギーを交流させ合うことで、癒しがうまれるのではないかと思えるのです。

その時に働く不思議な生命の働きを信じて、それに委ねている時に、いつしか人は癒されて再生してゆくときを迎える。そんな気がします。

<ご案内>
種村トランスパーソナル研究所ではカウンセリングを行っています。
直接お会いする対面カウンセリングとともに、電話カウンセリングやメールによるカウンセリングも行っています。相談してみたいと思われるかたは、遠慮なくご連絡ください。
℡090-8051-8198 (メール)tanemura1956@gmail.com
カウンセリングルームは、JR常磐線・我孫子駅(千葉県)南口から徒歩10分にございます。

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彼には親や祖父母への依存心が根っ子にあるので、無意識に誰かが何とかしてくれるという気持ちがあり、自立してゆくための気力や努力が乏しくなります。「自分は特別だから愛され大切にされて当然だ」という思い込みがあるので、感謝の薄い、傲慢な人間になりやすいのです。また努力が乏しく、人の世話になることに平気です。
こうして「自分は特別の人間だ」という思い込みが、「肥大した自我…