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(投稿)未来を創る5 過去に生きる心を変える



1.不安感の理由

最近、というか昔からですが、朝起きる時に、何ともいえない不安に襲われます。
その原因が何であるのか全くわからず、特に夢見が悪いときなどは、起きることができないことさえあります。
ある朝目覚めたときも、何度も言えない不安に襲われました。
それほど強い感覚ではないのですが、どんよりと重く、非常に気分が良くありませんでした。

その朝は、布団に入りながら、目覚めてすぐに自分に問いかけました。
何度問いかけてもわからなかったのですが、その日は時間をかけて問いかけてみました。
「自分を襲うこの不安感は何なのか。」
「ただの怠け心なのか、それとも、深層意識での何かが影響しているのか。」
しばらく問いかけてみると、突然バシッと心の中に入ってきた念いがありました。

失ってしまうことへの恐れ。それがこの不安感正体・・・。」

その念いが湧いてきた瞬間、心の中から不安がスッと抜けていくのを感じました。
「何を」失ってしまうことを恐れているのか、それはわかりませんでした。
その日から、ずっと、この「失ってしまうことへの恐れ」について考えました。


2.失うことへの恐れ
今まで気づかなかったことですが、私の中には、確かに「失うことへの恐れ」というものが存在していることがわかりました。
そして、自分の中に「失うことに対する恐怖」が存在しているということは、何かのトラウマが原因となっている。すなわち、過去において、「大切なものを失った、もしくは幸せな環境が崩れて、不幸が訪れた。」といった経験があって、それがまた起こるのではないか、という不安を感じているのであろうと思います。それは、それで今後の探求の課題としてとらえました。

ただ問題であったのは、その不安をきっかけとして、自分の心がどう動いたか、ということです。
つまり、自分を守る「自己保身」へ走ったのかどうか、ということです。
この不安というものが、ただ単に自分を守りたいという「自己保身」としてあったなら、そこに反省すべき材料があるということです。

過去世において、どのような経緯があったかを、追跡してみました。感じられたのは、次のようなものでした。

「私が伝えていたものは、素晴らしい教え。不幸な人々を救いたい。苦しみに満ちた人々の心に光を灯したい。その一心で教えを伝えていった。人々の顔は笑顔に満ちていった。神の御力の素晴らしさよ。そうして苦しみに満ちていた人々の心に光が灯り、周りは次第に明るくなっていった。
しかし、それもつかぬ間のことであった。権力者達が、私たちを弾圧し始めた。多くの仲間達は捕まり、そして殺されていった。私は神を恨んだ。何故に、このような無情なことをなさるのか。あなたを信じていた人たち、あなたに従う人たちを、何故に苦しみを与えようとするのか。あなたを信じることによって苦しみを与えられるのなら、あなたを信じる価値など、どこにあろうか。何故にあなたを信じる必要があろうか。
教えて欲しい。なぜなのか。なぜ、神を信じるが故に、苦しみが与えられるのであろうか。神の教えは、人々を苦しみから救うものではないのか。失望や絶望に満ちた人々の心に、一筋の希望を与えたもうものではないのか。それを、何故に、信じることによって苦しまねばならないのか。
わからない。どうして良いかわからない。何を信じて良いのかわからない。自分が今まで信じてきたものはなんであったのか。教えを広めたばかりに、殺されなくていい人たちが殺されてしまった。自分はとんでもないことをしてしまったのであろうか。一人でも多くの人たちを幸せにしたかった。それなのに、自分を縁として、多くの人たちが殺され、苦しむことになった。ああ、自分はどうすればいいのか。何を信じていけばいいのか。」


3.過去に生きている心を変える
神への信頼を根底から覆され、正常な思考ができなくなってしまった。そして、心の支えを失った結果、不安恐怖に襲われる結果となってしまった。恐怖や不安に襲われ、そこから自己保身の感情が沸き上がってきた。
神に裏切られたという心の傷、そして幸せにしようとした多くの人々を不幸にしてしまったという自責の念は、深く深く、自分の心の奥に刻まれているようです。このときに持ってしまった自己保身の心のクセが抜けきっていないように感じます。

その時の自分を正当化するつもりはありません。しかし、この時に受けた心の傷が、もうこれ以上自分を苦しませ続けることがないようにしなければならない。過去のレンズを通して未来を見ているのなら、過去のレンズを取り替えることも、未来を輝かせるために不可欠なことであると感じます。

過去のレンズ取り替えるには、過去における認識を変えていかねばなりません。心は未来にも過去にも生き続けることができます。過去に生きている心と対峙し、変えていかねばならない。それが未来を創る上で大切なことであると思います。(大)

<種村トランスパーソナル研究所の連絡先>
℡:090-8051-8198(心理カウンセラー・種村修)
メール:tanemura1956@gmail.com

コメント

  1. <ご紹介>
    読者の方から長文の感想をいただきました。ありがとうございます。内容は宗教的な問題ですが、心理療法においては人生のあらゆる面をテーマにしますので、宗教的な側面も決して軽んじることができません。貴重なご意見として、紹介させていただきます。(種村)

    <読者のコメント>
    大さんの希望のブログ投稿を読みました。

    そこで出てくる試練の神は、今までの地球での指導をしてきた神ではないかと思うのです。
    過去の神は、使徒が十字架になろうが、斬首、火あぶりなどに会おうが救いのない神だったと思うのです。
    それは、真の神ではないように思えます。
    私は思うのですが、イエス様のように特別の何か使命が有られた方は別として、救いをもたらさないのは本当の神ではない(邪神)ような気がします。

    ブログでは、一心に神を信じてきたのに、自分以外の大勢の人々が犠牲になって不幸になったということです。
    自分のカルマ、因果応報がないと仮定したとすれば、この神は、邪神ではないでしょうか。
    信じるものが違っているということではないかとも思えるのです。
    感覚的に邪神ですが、力だけ持った人格大霊のような感覚です。
    例えばノアの箱舟ですが、ノア以外にも全うな心を持った方もおられたと思いますが、救われたのはノア一家だけです。
    自分の言う事を聞く特別に可愛い人間だけを大切にする傾向があると思います。
    ヨブにしてもわざわざあのようなことをする必要はなかったように思うのです。
    結局は自分の忠誠を測っているようなものですから、あまり愛は感じません。
    真の神は自分の忠誠など求めないと思うのです。ただ愛ある神であるはずですから。

    人間でさえ、悲惨な惨劇が目の前にあったら救おうとします。それは、内在された神の心がそうさせます。
    それを見てみぬふりできるのは、真の神ではないと思うのです。
    そういう意味では、裏切られた神は、所詮そういう神であったということで、自分の欠陥として見るべきではないように思います。

    ブログでは、自己保身と言っていますが、私はそうではないと思います。
    何もかも失えば、神を頼るのはあたり前だと思うのです。
    私だってそうです。苦しい修行の中、神と一体となって乗越えようとしているのですから。
    それを自己保身と受けとっているからいつまでもその執着(神への不信)が離れないと思うのです。
    神への不信感の反作用で、自己保身と心が決めているように思えます。

    これを解決するには、宇宙を創造した真の根本神への信仰が大切だと思います。
    根本神ならば絶対に「神に裏切られた」という思いを植え付けるような試練は与えないと思います。
    「神に裏切られた」という思いを植え付けるのは、おかしいと思うのです。
    これは、わざわざ根本神への反逆の種を持たせるということですから。
    ですから根本神から別れた神によって、さまざまにありさまが別れると思います。
    つまり、神の選択が必要だと思います。

    私が知っているある宗教家はもとはそれなりの霊格があったと思いますが、しかし、行き着く先はほぼ地獄界です。これは別の見方をすれば邪神です。
    邪神は、根本神への信仰より、自己の臣下を欲する傾向があるようです。
    正に、自分が神になりたい心です。
    そこにあるのは、神への嫉妬です。それとこの世の支配欲です。
    つまり、この世を自分の思想で支配して、地球への強烈な影響力の実権を握るということです。
    この宗教家は我欲が先行してしまい、大悟する前に転落しましたので大失敗、夢見果てたり、ですが。

    ですから、いつまでも自己保身と苦しむよりも神の選択が誤っていたから根本神への信仰に切り替えようと思った方が一瞬で開放されます。間違ったものを神と信ずれば、悲惨な悲劇が繰りかえされます。
    私がそうでした。過去の悲惨なことは、カルマの相殺とした考えると、すっきりします。終ったことです。
    もし終ってなければ、今世カルマが現れるだけのことです。その時に真剣に反省していけばいいだけだと思います。

    この世は所詮、創られた世界です。
    様々な試練が襲いますが、真の神(根本神)ならば救いがあります。
    その為のイエス様の教えであり、仏陀の教えであると思います。
    言葉は違いますが、イエス様は、真の神(父)ならば、絶対に救いがあると教えられています。
    私もそう思います。

    それと、根本神は、最大の救いとして、内なる神(根本神の魂)を心の中に下さっています。
    旅をさせる息子にお守りだといって、首からのお守り袋にお金をこっそり入れておく母親のような暖かい心です。
    ですから、神への不信、自己保身は消えて、語弊はありますが、神への絶対の信頼、絶対の希望がもてます。
    それは、自分の信頼であり、希望です。
    これで苦悩はあっという間に消えていきます。

    以上、ブログを読んで感じたことです。

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1.決して珍しくない症状



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