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(投稿)霧の中を進む2


(コメント)准カウンセラーの「大」さんの投稿です。心を探究していく過程で味わった「心理的な体験」を、イメージで書き綴ってくださいました。誰しも自分のことのように感じる部分があるのではないかと思い、紹介させていただきます。(種村)

 

(投稿)

道に迷って

 この一本の道は、緩やかな蛇行を繰り返しながら、登り坂が続いている。霧の濃さは変わらず、逆にさらに濃さを増しているように感じる。
目の前にうっすらと見えていた視界も、明らかに見えにくくなってきた。

見えなくなる視界を前に、焦りと苛立ちの気持ちがでてきた。
この先どうなってしまうのかという不安な気持ちも、再び湧き上がってきた。
焦りと不安に支配され、かすかに聞こえていたベルの音さえも聞こえなくなっていた。
とにかくここを抜け出したい。目の前を遮る霧の存在に対する怒りの気持ちがこみ上げてきた。
とにかく、ここを抜け出したい一心で、足運びが早くなった。
心の中は、目の前の霧に対する怒りの気持ちで一杯だった。
「ちきしょう! こんな霧さえ無ければ!」
そう叫んで、手に持っていた荷物を振り回し、霧を散らそうとした。
そんなことしても無駄だとわかっているのに、やらないわけにはいられなかった。
目には大粒の涙が溢れていた。悔しくて悔しくて仕方なかった。
やや自暴自棄になりながら、目の前が見えないまま走り出した。
何とか進めたので、そらみたことかと思った矢先であった。
踏み出した足の感覚が明らかに違ったのを感じた。
我に返り、必死に足を止めようとしたが、勢い余って転んでしまい、2,3回転したあと、何とか止まることができた。
転んだ勢いで、体の数カ所から血が出ていたが、大怪我にはならずに済んだ。
周りを見てみると、少し折れかかった低木があった。幸いにも、この低木がクッションとなって、止まったらしい。

 

危険で厳しい道のり
よく見ると、この先は、深い崖になっていた。どのくらい深いかは、霧が邪魔して見えなかった。顔から急に血の気が引いていくのを感じた。
この低木に感謝をし、折れた部分を、持っていたヒモでしっかりと結び、元の状態にしてあげた。
しかし、道のすぐ脇が崖だったとは。霧で見えなかったとはいえ、とても危ないところを登ってきたことに、ようやく気づくことができた。


さらに気づいたことは、荷物を振り回した後に走り出した方向は、全く逆の方向だったということであった。霧で視界が悪い中、さらに気が動転したこともあり、自分が登っているのか下っているのかもわからない状態だったようだ。
冷静に考えてみれば、これほど勢いよく転んだのは、坂道を下っていたからであろう。
登ったところより、かなり後退してしまったようだ。
気持ちが落ち着いたら、全身に痛みを感じた。止血の処理をしながら、冷静でなかった自分を反省した。
今は、自分を責める気にもなれなかった。
むしろ、谷底に落ちずにすんだことに感謝をした。
そして、自分が今歩んでいる道が予想だにせず厳しかったことに、身が引き締まる思いだった。

 

導きの音と光
道端にあった岩に静かに腰を下ろし、再び耳を澄ませた。
かすかであるが、ベルの音が聞こえてきた。
ただ、音が小さすぎて、どこで鳴っているのかわからなかった。
ベルも鳴らし方を変えながら、こちらの居場所を探しているようであった。
少々お腹が空いたので、荷物の中の食べ物を探した。
先ほど荷物を振り回して、さらに転んだ勢いで、荷物の中から食料と水がこぼれ落ち、ただでさえ少なかった食料が、さらに少なくなっていた。
そのわずかに残った食料を少しだけ口にした。
冷静さを失うと、本当に大切なものまで失う羽目になることを、深く教訓として学んだ気がした。
二度とこんな馬鹿な真似はするまい、と深く心に誓った。
ふと、持っていた荷物袋をよく見ると、落ちないようにしっかりとくくりつけてあるものを見つけた。よく見ると、カンテラのようであった。
そのカンテラに火をつけ、辺りを照らしてみると、霧の中の視界が少しだけ見えるようになった。
これで少しづつ進むことができる、と少し気分が明るくなった。
しかし、なぜ、カンテラが入っていたことに気付かなかったのだろう。
懐中電灯と違い、前を思ったほど照らすことは出来ないと思っていたのかもしれない。
しかし、少しではあるが、先を照らすことができるから、このカンテラを照らしながら進むことにした。
それよりも、このカンテラの包み込むような暖かい光が、疲れきった心を癒してくれた。
そのような優しい力が、このカンテラの灯にはあった。
このカンテラの光を眺めながら、静かに安らいだ気持ちを味わっていた。
このまま時間が止まってくれればいいのに。そう思った。
さきほどまでかすかに聞こえていたベルの音が、次第にはっきりと聞こえてくるようなきがした。
いや、気がするのではなく、ハッキリと聞こえ出してきたのだ。
ハッと思い立って、カンテラを手に持ち、高らかに頭上に掲げた。
すると、こちらの存在を確認したかのように、こちらに向かってベルの音がハッキリと聞こえて食えるのがわかった。
ベルの音は、四方に鳴らしながら、こちらの居場所を探していたのだ。そして、このカンテラの光を目にし、こちらに向かって鳴らし始めたのだ。
このカンテラを掲げている限り、この濃い霧の中を進んで行く道標として、そして、ベルを鳴らす先への合図として、道に迷うことなく進むことができる。
そう気づいて、少しだけ心が希望の光で明るくなった。

まだ先はどこまで続いているのかわからない。
しかしながら、怪我の功名といってよいのか、思わぬ宝物を見つけることができた。
それも、自分が大切に持っていた荷物袋の中に。
一時的に迷ってしまったことを後悔しても仕方がない。

失うものもあったが、得られたものもあった。

それもこの道程を進む上で欠かせないものを手に入れたのだ。

いや、もともと持っていたことに気づくことができたのだ。
とにかく、一歩一歩進めて行こう。
カンテラを高らかに掲げて。

自らのためだけではなく、後から続く者のためにも、このカンテラの灯が道標になるように。(大)

 

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そのために境界性パーソナリティ障害では、本人の苦しみが激しいだけでなく、家族やその周囲の人が振り回されてへとへとになっていくことが少なくありません。


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